はじまりのはじまり
「ねぇ〜お母さ〜ん」
また始まった、と美恵は内心ため息をついた。
「お母さんってばぁ〜」
そうとは知らずに、大地はさらに猫なで声で美恵に甘える。
ここ最近、遥家名物となりつつある『美恵vs大地・仁義なき戦い』。
大地の「ねぇ〜お母さ〜ん」の呼びかけが、格闘技で言うところの「カーン!」というゴングに当たり、ここから美恵と大地、おのおのの「なだめてすかせて」な攻防が始まるのだ。
その原因は―――ジェットボード。
ここ近年、大人といわず子供といわず、特に男性諸君に大流行しているジェットボード。
大地の住む東京都内では、各所で月に何度もその華麗なボード捌きを競う大会が開かれており、毎回参加者・ギャラリーともに定員超えしてしまうほど大人気なのだ。
大地は3ヶ月ほど前にこの大会を観覧して、それ以来ジェットボードが欲しくて欲しくてたまらないのだった。
リニアモーターのついたボードを、風にのって自分の身体の一部のように乗りこなす。自分もあんな風に、自在に大地を空を、泳いでみたい!
すっかりジェットボードに魅了された大地は、母親の美恵にねだりまくっているという訳だ。
だが美恵は、簡単に首を縦に振らない。
なので、毎日毎日飽きもせず、仁義なき戦いが繰り広げられているのだった。
「お母さん、来月の5日って何の日かー?」
大地が妙に余裕のこもった含み笑いをしながら、洗濯物を庭先で取り込む美恵に尋ねる。
―――来月の5日。そりゃもちろん、という風に美恵は答えた。
「5月の5日でしょ?子どもの日じゃない。端午の節句!」
大地はそれを聞いて軽くのけぞりながら叫んだ。
「ちっがーーーーう!…ってそれも合ってるけど、誕生日!!僕のっ、10歳の誕生日でしょっ!!」
「ハイハイ、分かってるわよちゃーんと」
クスクス笑いながら、美恵は洗濯物をリビングにドサッと置く。
サンダルを脱ぎながら部屋に上がってくる母親の横に、大地は擦り寄りながら座った。
「え…ちゃーんと分かってるってことは…ジェットボード、買ってくれるのっっ??」
やっぱり誕生日というイベントは効果大だ。誕生日すっげー!…なんて期待満々に目を輝かせる大地に、美恵は肩をすくませて言った。
「それとこれとは別の話よ」
「なーーーーんでぇ!!」
期待していた分、美恵の言葉は思いもよらぬもの。大地は不満たっぷりな声を漏らした。
「誕生日なんだから、欲しいものくれるのが普通でしょっ?」
「あらぁ、誕生日は感謝する日よ?」
「感謝する日?」
初耳な情報に大地は間抜けな顔をする。美恵はクスッと笑った。
「そう。親に感謝する日。大地なら、『お母様、10年前の今日、僕を生んでくれてありがとう』って心の底からお礼を言う日。
大地ももう10歳になるんだから、プレゼントくれるのが普通なんて思わないの」
分かったような分からないような理論に気圧される大地。
大地は、本っ当ーに本気で、何が何でもジェットボードが欲しくてたまらなかった。
今まで、ここまで強く欲しいと思ったものはなかった。自分でも不思議なくらい、ジェットボードに執着している。
そりゃ、子どもが持つには高価なものだと分かってはいたけれど、だからその分お小遣いもなるべく使わないで貯めていた。
でもジェットボードを買ってしまえるほど貯めるには、かなりの歳月を要する。大地は今、欲しいのだ。
それじゃあやっぱり親に買ってもらうしか、と思い作戦変更。
むろん、大地もただでジェットボードを買ってもらおうとははなから思っておらず、大好きな放課後や帰宅途中の遊びを蹴って、
できるだけ母親や祖父の手伝いをして、自分なりに努力はしているつもりだった。
だからこそ今度の誕生日が、ジェットボードを手に入れる絶好のチャンスだったのに。
(なんでお母さんはそれを分かってくれないんだろう…。今までこんなにねだったものなんてないのに。お母さん、イジワルだよ…)
大地が少し悲しくなってきた時、美恵が大地の正面に座りなおして言った。
「大地。ジェットボードを買ってもらったら…学校にジェットボードで行こうと思ってるでしょう?」
ギクッ。
大地は軽く美恵から目を逸らす。
「それに…乗りなれたら改造して、もっと速くしようと思ってるでしょう?」
ギクギクッ。
…ヤバイ。完全に見破られている。
危ないとは分かっていつつも、ジェットボードを買ってもらった暁には、大地はズバリその2つを実行しようと思っていた。
「そ…そんなこと…」
つくり笑いで誤魔化す大地のオデコを、美恵は人差し指で軽くつっついた。
「お母さんは大地のこと、全てお見通しよ」
最後にそう言い残して、手際よくたたんだ洗濯物を元の場所にしまう為、美恵はリビングを出て行った。
1人残された大地は、つっつかれたオデコをさすりながら考えていた。
(―――お母さん、僕のこと…心配してたんだ)
メカ好きで、腕白で、時に無茶をする。男の子は元来そういうものだろうが、そんな傾向が顕著な大地がジェットボードを手に入れたらどうするか。
美恵は大地の性格を、大地以上に良く知っていた。
『危ないからダメ!』と頭ごなしに止められるよりも、あんな風に言われた方が美恵の気持ちが伝わってきて、大地の心がツキン、と痛んだ。
その日の晩御飯は、久しぶりに一家揃っていつもの通り、にぎやかな食卓だった。
ただ少し違うのは、ここ最近家族が集まれば恒例になっていた『美恵vs大地・仁義なき戦い』がないことだけ。
いつもだと2人の戦いが始まると、父親の大樹と祖父の大河は、その様子を苦笑しながらなるべく関与しないよう努めていた。
なぜなら美恵の言い分、大地の言い分、それぞれ理解できたからだ。
大地の弟、大空だけはひとり熱心な(というか無邪気な)大地派で、元気に「兄ちゃん頑張れー!」なんて声援を送っていたけれど。
大地は風呂上り、自分の部屋のベッドに寝転び、開け放たれた窓からボーッと月を見ていた。
月。なんだか月を見ていると無性に懐かしい気持ち…というのだろうか、行ったこともないのに妙にノスタルジックな、感傷的な気分になる。
(ジェットボード、大きくなるまで…自分が買えるようになるまでお預けかなぁ…)
今日の美恵とのやりとりを思い浮かべながら大地がそう思った時、月がほんの少し…ほんの少しだけだが、鈍い光を発したような気がした。
「?」
不思議に思って窓に近づくが、月の明かりは元に戻っている。その時、部屋のドアがガチャッと開いた。
「あ…お父さん」
「おー、起きてるか?」
「うん」
先程の月の輝きのわずかな変化に落ち着かない大地は、くるりと窓から離れベッドに座った。
「…今夜は月が綺麗だなぁ」
大柄な背を若干かがめるようにして、大樹は1度窓越しに月を仰ぎ見る。そしてゆっくりと大地の隣に腰かけた。
普段仕事であまり家にいることがない大樹は、たまに早く帰ってこれた日にこうやって大地や大空の部屋に入ってきて、少しだけ話をする。
他愛のない話を少しするだけだが、この時間を大樹はとても大事にしていた。
「今日は、いつも恒例のジェットボードねだり、なかったなぁ」
タバコの匂いをまとった大樹に微笑みかけられた大地は、視線を足元に落として元気なくうなずいた。
「うん…」
その様子に大樹は驚いた。
「どうした?あんなに欲しがってたジェットボード、あきらめたのか?」
「それはないっ。そんなことは絶対ないよっ」
ハッと顔を上げて、大地ははっきり否定した。…が、その後こう続けた。
「…ないけど…お母さんが…僕が怪我することすごく心配してるのが分かってさ…」
「……」
大樹は、フッと優しく笑った。大地はそれに気づき、不思議そうに大樹を見つめ返す。
「母さんはお前や大空が何よりも大事なんだよ…。お前もそれが分かるようになったか」
「うん…。今日、それがすごくよく分かって、ちょっとここんとこがなんかチクッてした」
大地はパジャマの胸の部分を軽くつまむ。
「…そうか…」
大樹は、大地の頭をクシャッと撫でた。我が子が少しずつ成長していることを感じ、大樹は感動していた。
「…でも、母さんの気持ちは分かったんだけど、どうしても今ジェットボードに乗ってみたい、走ってみたい、ってのは変わんないんだよねェー、困った困った!」
大地は大樹の手の温かさになぜだか泣きそうになって、わざと明るく振舞った。
「それはなぁ…その、危ないのは分かっててもってのは…やっぱり女の人には分からない、『男のロマン』だな!」
普段どちらかというとおっとり気味の大樹が、突然力強く似合わないセリフを言うので、大地はふき出した。
「『男のロマン〜〜』?何それ??」
「こら、笑うな!これは大マジメな話だぞ?男にはな、多少危険な目に遭ってでも、挑戦したいこととか成し遂げたいってことがあるんだ」
いつになく熱く語る大樹に、大地は笑うのも忘れて聞き入っていた。
「それに、人が今やってみたい、と強く思うってことには、必ず意味があるんだ。大地が今しかできない、今しか感じられないってことが、必ず存在してるんだっ!」
最後には大地の両肩を掴み、鬼気迫る勢いの大樹。
完璧に圧倒された大地だったが、大樹の言うことは、子どもの大地に無限の可能性を与えてくれる、不思議な力強さがあった。
大地は一気にまくし立てて息を荒らしている大樹に、少しビビりながらではあるが聞いてみた。
「お父さん…なんでそう思ってんなら、お母さんの前でそう言ってくれなかったの?その意見は僕の味方ってことだよね」
するとハッと我に返った大樹は、バツが悪そうに目を逸らして咳払いをしつつ答えた。
「…だって…母さん怖い…」
「……」
やや呆れながらも、大樹の意見にうなずかざるを得ない大地。
決して「あーしなさい、こーしなさい」なんてギャンギャンとうるさい母親ではないが、少女のような無邪気な雰囲気に反してしっかり者で、
家庭の全てをとりしきる美恵には、遥家の誰も頭が上がらないというのが現状だった。
大地は、赤面中の大樹に言った。
「僕、ジェットボード乗ってもいいってなったら…ちゃんと乗りこなせるようになるまで、安全な場所で練習する。
そうは言ってもちょっと怪我するかもしれないけど、ムチャしないから。お母さんやお父さんを悲しませるようなこと、絶対にしない。約束する」
大樹はじっと大地の目を見つめ、何度もうなずいていた。
「自在に乗りこなせるようになったら…自分流にカスタムしちゃうかもしれないけど」
そう言いながら、チラ、と上目遣いで大樹を見てみる。大樹は苦笑しつつ、答えた。
「できるかどうか分かんないけどな」
「できる!してみせる!!」
まだジェットボードを手にした訳でもないのに、ムキになる大地に大樹はこう言った。
「それが、『男の…』」
「『ロマン』だっっ!!」
大地に間髪入れず続きを言われて、ポカンとする大樹。それを見て大地は可笑しくて大笑いした。
「アハハ!!」
「…ハハッ!お前もだいぶん『男のロマン』が分かってきたなぁ。おっと、もう11時がくる。そろそろ寝ないとな」
大樹もつられて笑いながら、ゆっくりと立ち上がった。
「お父さん、ありがとう」
大地の思いがけないお礼の言葉に、大樹ははにかみながら答えた。
「…おやすみ」
「おやすみなさい」
パタン、とドアが閉められ、大地はゆっくりとベッドに戻る。
なんだか今日は父親の意外な一面が見られて嬉しかった。
「『男のロマン』か…」
呟きながら窓の外の月を見る。最初に見たときより、輝きが増して見える。眩しいぐらいだ。
こうこうと自分を照らす月明かりを受けて、大地はウトウトと眠りに落ちていった。
その頃、大樹と美恵は、リビングのソファで話をしていた。
大樹は先ほど大地と話してきた内容を、美恵に伝える。
「男の子はな…多少痛い目見ても、挑戦してみたいことがあるんだよ」
タバコを吸いながら、煙で目を細める大樹を見て、美恵は微笑んだ。
「あなたの十八番『男のロマン』、大地は理解してくれた?」
いきなり言われて、大樹はむせた。
「…ウェッホッ!な…その話大地にしたことまだ言ってないのに、何で分かるんだっ!!」
「大地のこともそうだけど、あなたのこともお見通しな私なのよ♪」
ふふふ…と穏やかに笑う美恵を見て、大樹はこりゃ一生敵わないな、と思った。
「ジェットボード、今度の誕生日プレゼントに買ってあげましょうか」
美恵の提案に、大樹は微笑みながらうなずいた。
「私、大地に『お母さん達を悲しませるようなことは絶対しない』なんて言われちゃったら、反対しようがなくなっちゃったわ」
「まだ10歳になるかならないかって時に…あんな一丁前なこと思うもんなんだなぁ」
「小さくても、男の子だからね。色んなことを経験して、広い視野を持った素敵な大人になってほしいわ。…あなたみたいな」
「…ブェッホッ!」
美恵のいきなりな発言に、大樹はまたしてもむせた。美恵はそれを見て、少女のような顔で笑った。
大地はその晩、ジェットボードを自在に操る夢を見た。
その場所は、なんと月。寝る前に眺めていたからだろう。月面での乗り心地は、そりゃあ最高だった。
ただ1つ不思議だったのは、今地球で話題騒然の『ウサギ人間』らしき少年と、ずんぐりとした少年が一緒にいたことだ。
実際逢ったこともないのに、なんだか昔からの仲間みたいに仲が良さそうだ。そして、少し懐かしい。
大地はまだ、何にも知らない。
美恵たちが、ジェットボードを誕生日にプレゼントしてくれること。
それを何ヶ月かで自在に乗りこなし、改造して『大地スペシャル』と名づけること。
その1年後、くじ引きで月旅行が当たること。
そして、その月で不思議な冒険をし、かけがえのない仲間ができること。
…あの時見た夢が、正夢になること。
何にも知らない大地の、全てのはじまり。
それがまだはじまってもいない、ここからはじまる、お話。
−END−
後書きと言う名の言い訳
ハッピーバースデー我らが大地ンコvv ということで、大地お誕生日記念ノベルでごわす。
おーうう、ごっつ久しぶりの小説です。なんだかリハビリに励んでいるような気分でした…。
大地にバースデーをからめたら、やっぱりジェットボードがどうしても出てくるんで、それを手にするまでのお話です。
本当に大地受でもなんでもない、私にしては初めての健全小説。すごい、やればできるんじゃん、オレ!!(笑)
やっぱ遥家はいいやね〜。大好きだ。
美恵さんは子供の夢や希望を頭ごなしに否定する母親じゃないと思うんですが、かといって野放しになんでも「いいよいいよ」という母親でもないだろうし…その辺のさじ加減が難しかった。
その反面、大樹に大活躍してもらいました。アニメじゃもう全然陰も形もない大樹父ちゃんですけど、小説版じゃいい味出してんですよね。
父親じゃないと分からない息子の気持ち、という部分に重点を置きました。
このお話の最後の締めの文章たち、ごっつ恥ずかしいぜ!!
しっかし私の小説…長いね(汗)
