殿の誕生日 1
大地之助がお城へ来てから四ヶ月。もう九月になろうとしていた。
九月。
夏の気配がひっそりと身をひそめ始めるこの月は、大地之助にとって特別な月だった。
殿の誕生日があるのだ。
城へ来た頃尋ねてみると、九月九日という答えだった。
指折り数えて楽しみにしていたその日がもうすぐ来る。
誕生日といえば、お祝いの贈り物。
この世で一番愛する殿に、何か特別なものを進上したい!
大地之助は殿が何を欲しているのか、殿に内緒で家臣たちに聞き込み調査をすることにした。
最初はひとまず、殿と一番長い時間を共にしている家臣長の中条からだ。
殿と大地之助、また中条以下四人の家臣はその日、昼食を食べた後いつも通りお腹を落ち着かせるためまったりとした食後の時間を過ごしていた。
お膳を運び出す他の家来たちに指示を出している中条に、大地之助は声をかけた。
「ねぇ、中条さん」
廊下にたたずむ大地之助に呼び止められた中条は、ニコニコと微笑みながら視線を合わそうと中腰になった。
「何だい、大地之助殿。遊びたいのかい?」
そう答えながら、すでに中条は袖をまくり始めていた。
やんちゃな大地之助と遊ぶ時には基本的にこうしておかないと、邪魔で動けなくなってしまうからだ。
大地之助は首を振った。
「ううん、違うんだ。ちょっと相談したいことがあって…」
いくつかの部屋を挟んではいるが、この襖の向こうには殿がいる。
できる限り秘密にしておきたい大地之助は、ここではない別の場所で話がしたくて、中条の袖を引っ張った。
神妙な表情の大地之助が、相談ごととは。中条は心配になって思わず声を上げた。
「何だ、どうした何があったっ!?」
「っ…中条さん、し――――っ!!」
大地之助は慌てて声をひそめ、人差し指を口にあてて中条をたしなめた。
その仕草がたまらなく愛らしくて、中条はポ〜〜〜ッとのぼせ上がってしまった。
「二人きりで話がしたいんだ」
「……!!」
そういう大地之助に、中条はますます舞い上がった。
殿のお小姓で、自分たち家臣…いや、城の者みんなの憧憬の的である大地之助が、自分を頼って相談ごとをしてきている。
しかも二人きりでなど。
何か悩んでいるのだろう大地之助相手に、中条は不謹慎ながらも喜んでいた。
コソコソとしている自分たちに、殿や他の家臣たちが気づいてはならない。
大地之助は目の前の誰もいない部屋に、中条をぐいぐい押し込めた。
襖を後ろ手で閉めて中条を見ると、なぜか興奮している様子で鼻息が荒い。おまけに目を爛々と光らせていた。
「だ、大地之助殿、相談ごととは…殿にも言えない重大な悩み、この中条が力になれるのであれば、何なりと打ちあけてくれたまえっ!
さあ…さあ、さあ!!」
大地之助の両肩に手をかけ、そう言って熱く前後に揺さぶってくる。
この家臣長、何を勘違いして盛り上がっているのか分からない。多少圧倒されつつも、大地之助はガクガクと揺れる首でなんとかうなずいた。
「う…うん、ありがとう。重大な悩みっていうんじゃないんだけど、教えてほしいことがあって」
「何だ、何でも答えるぞっ!」
「内緒だよ。誰にも言わないでね」
大きくうなずく中条。
大地之助は部屋の向こうに誰の気配もないことを確かめて尋ねた。
「そろそろ殿のお誕生日でしょう?だから僕から贈り物をしたいんだけど…何をもらったら殿は一番お喜びになると思う?」
それを聞いて、中条はぽかんと口を開けた。
そしてりきんだあまり掴んでいた大地之助の肩から手を離した。
「ねぇ、何がいいかなぁ?」
なおも聞いてくる大地之助に、中条は前かがみだった姿勢を元に戻して、一笑にふした。
「な〜んだ、そんなことか〜」
大地之助が由々しい悩みを抱えていると勝手に思い込んでいた中条は、真相を知って拍子抜けした。
「何ごとかと思ったら…大地之助殿、あまり大人をからかっちゃいけないよ?」
「か、からかってなんか…!」
大地之助は、自分にとって切実な悩みである贈り物の相談ごとを冗談ととらえられて、腹が立った。
少し膨らませた頬がぷりぷりした美肌を強調して、また可愛らしい。
中条は小さく笑って答えてやることにした。
「ふふ…では教えてしんぜよう」
「えっ、何々??」
さきほどまで怒っていたことも忘れて、今度は大地之助が中条に迫る。
「殿が欲しいものは、ズバリ…」
自分の袖を掴んで大きな瞳で見上げてくる大地之助に目をくらませつつ、中条は言い切った。
「ない!」
「え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
今度は大地之助が思いもよらぬ答えに拍子抜けした。
教えてもらえると期待していた分、もったいぶった言い方をする中条に一気に不満がたまる。その袖を勢いよく振り払った。
「もー、中条さん!!」
「ああ、ごめんごめん」
憧れの大地之助とめったに二人きりになれることなどなく、その嬉しさについつい調子に乗りすぎたようだ。
ムスッとし始めた大地之助に、中条は言った。
「でもな、大地之助殿。殿に特別欲しいものがないというのは、本当だよ」
怒ってはいたものの中条が真面目に答え始めたので、大地之助は気を取り直した。
「そ、そりゃ殿は何でも持ってて、今さら強く手に入れたいって思うものはないかもしれないけど…」
大地之助が残念そうに言うのを、中条はうなずきながらニッコリ微笑んで聞いていた。
「殿は…本当に何も望まれてはおらぬ。…大地之助殿がお傍にいれば、他に何も…」
「…!」
大地之助はそれを聞いて頬を赤らめた。
「私たち家臣の前でも、よくそうおっしゃっているよ。だから大地之助殿のお気持ちも分かるが、誕生日だからといって特別な贈り物など、
考えなくてよいのだ」
中条の言う通り、殿は実際大地之助にも同じことをよく言っていた。
特に契りの後戯の際には殿は自分を抱きしめてくれ、何度も囁いてくれた。
それはまさに夢見心地で、大地之助がこれ以上ない幸せを感じる瞬間であった。
自分の知らないところでも言っていたことを知るととても嬉しかったが、それを聞いてなおさら殿への想いが強くなり、俄然何かを差し上げたい
気持ちが募る。
この世にたった一人の心から愛する殿だからこそ、想いの詰まった形のあるものを一年に一度しかない誕生日にお渡ししたい。
「で…でも、殿にはやっぱり何かを贈りたい。中条さん、殿が何か欲しいなーってものがないんなら、何をもらったら喜びそうか分かる?」
「ああ、殿が何をもらったらお喜びになるかなど、殿を見れば一目瞭然ではないか」
「え、何?」
大地之助はそう言われても全然見当がつかなかった。
さすが家臣長、殿と一番長い間一緒にいる人はやっぱ違うなぁ!と尊敬のまなざしで見ていると、その耳に中条の得意げな声が響いた。
「大地之助殿自身だよ!あ、そうだ。誕生日の夜は、大地之助殿が自分に熨斗をつけて『殿、ご自由にどうぞ』って身を捧げるのはどうだい?」
「……!!」
大地之助は目を見開いて真っ赤になった。
「いや〜、絶対、絶っっ対お喜びになられるぞ〜!いや、殿だけじゃなく、誰しもが大喜びで受け入れるに違いない!我ながら名案だ」
よい考えが浮かんだと、ほくほくと顔をほころばせている中条に、大地之助はこらえきれずに怒りを露わにした。
「僕…真剣な話してるのに、さっきから中条さんったら冗談ばっかり!もういい!!」
わなわな震えて涙目の大地之助は、そのまま部屋を飛び出していった。
「あっ…大地之助殿っ…!」
取り残された中条は、駆けていく足音が呼びかけに反応せず消えていくのを耳にしながら、小さく一人ごちた。
「…冗談じゃなくて真剣に答えたんだけどなー…」
そして大地之助に嫌われたと、がっくり肩を落とした。
