小泉とナブーご一行がいなくなると途端に静かになった。
それは人数が減ったことだけではない、別の緊迫感が大きく影響していた。
大地とシャマンと中村。
痛いほどに空気が張りつめている。静寂を破ったのは中村だった。
「大地、自分の部屋に戻れ」
迫力満点のナブーから『犯してやる』と宣言された大地は、ショック状態で呆然としていて反応がなかった。
中村は大地の身体を部屋の方向へ強引に向き直らせ、背中をドン、と押した。
「行け」
「……」
反応が乏しく理解しているかしていないのかわからないが、大地はふらふらとした足取りで部屋に帰っていった。
大地の姿が消えたと同時に、それまで静かだったシャマンが中村に口を開いた。
「貴様…!」
唸るような低い声。
普段のクールな様子はなりを潜め、碧い瞳は中村に対する怒りで燃えていた。
そんなシャマンを見ても中村は平然としていた。
不遜にシャマンを見つめ返し、彼の憤怒を意に介さないといった様子だった。
「何だその目は。いい話じゃないか。大地はそんじょそこらの金持ちではない、ナブーというこれ以上ない買い手が見つかったのだ」
「あいつは陰間になるためここにいたんだ。お前もあいつを陰間にするため、日々教育していたのであろう」
「何故あいつなんだ…!」
こめかみに浮かんだ血管をさらにくっきりと浮きぼりにしてシャマンはうめくように言った。
「…それはどういう意味だ?」
シャマンはそれを聞いて我慢できないといった様子で中村の胸ぐらを掴んだ。
「どういう意味だと?それはお前が一番良く知っているだろう!偶然のふりをしてあいつと大地と小泉を引き合わせる真似などして…何故あの男なんだ!
何故あの男を大地の水揚げの相手にした!」
激昂のため珍しく声を張り上げて疑問をぶつけるシャマンの顔を中村はじっと見つめ返す。そして満足そうに笑って言った。
シャマンはうっすらと感じていた中村の思惑を聞いて、歯を食いしばった。
「十年前お前がレイプされた嗜虐的な男に、お前が肩入れし面倒を良く見ている見習いをあてがえばおもしろいだろうと思ってな」
シャマンは中村の目を睨んだ。細く開かれたそこからは、濁った光を放つ黒目が覗いている。
目ざとくすべてのものを捉えようとする欲深な面がありながら、どこかこの世のものではないような空虚な目。
こんな男に何を言っても響かないとはわかっていたが、シャマンは愕然としたように呟いた。
「…オレを苦しめる材料として大地を使ったと言うのか」
「…手を離せ」
中村の思い通りになどしたくなかったが、シャマンは中村の着物からわなわなと震える手を放した。
乱れた襟を品良く正しながら、中村は気を取り直して話した。
「お前は大地に対し、他の陰間や見習いには抱かなかったなんらかの特別な感情を抱いているだろう」
「っっ」
ポーカーフェイスのシャマンがハッとした様子を見せた。中村はニヤリ、といやらしく口角を上げて笑う。
「ここへ来て二度もレイプされかけた大地…同じ経験を持つお前にとって、何か特別な想いを持つのは当然だろう。ただし…私はある時気づいたのだ。
果たしてそれだけだろうか、と」
「……」
「一方大地もお前に懸想しているようだ。まァ大地の気持ちには大して驚きはしないよ、お前に懸想するのはほとんど見習い全員と言っていいほどだからな。
しかしお前は違う」
中村は目の前のシャマンを指差した。
「お前が初めて思い入れを持った存在、それが大地だ」
大地が受けたレイプ未遂の被害は、シャマンにとって自身の過去と交錯するできごとだった。
同族意識と同情。
シャマンが大地に対してはっきりと自覚しているのはこの感情だ。
だが先ほど職員ルームで大地に何か別の感情が芽生えている気がしていた。それが中村の示唆するものなのだろうか。
その感情を持つことを中村に知られると、大地にとって良くない作用に働くことだろう。
いやらしいこの男は、自分と大地を苦しめるために必ずそこを突いてくる。
はっきり否定しなければ、とシャマンは中村との長年のつきあいから本能的に判断した。
「お前の思い入れの元にある感情の正体…なんだと思う?」
ニヤニヤと下衆な勘繰りを入れてくる中村にシャマンは冷たく言い放った。
「勝手に話を進めるな。大地に思い入れなどない」
「ハッ!」
シャマンの否定に、中村は息を吐き捨てて笑った。
「自覚していないのか、可哀想に」
「……」
挑発を繰り返す中村。シャマンはつきあいきれず、疑問を口にした。
「お前、何を企んでいる?」
冷えた笑みをたたえていた中村の顔から表情が消えた。
冷酷な経営者の顔になった彼は、シャマンを下からすくい上げるように見つめながら答えた。
「私は大地をひと目見た時から感じていた。こいつはきっと売れっ子になる、客の性的欲求を刺激する色香が何も知らずとも自然に備わっていると。
蓋を開ければ名門と来た。飛び上がるほど嬉しかったよ」
少年の性を切り売りして名を馳せた男。中村の目利きには決して狂いがなかった。
「こんな逸材をただの陰間として利用するのなどもったいない話だ。どうやらお前が大地に特別な思い入れを持っているのは傍から見てわかっていた。
だったらお前を苦しめる道具としても利用できるだろうとな。そこにナブーの帰国だ。こんな絶好のタイミングがあるか?」
中村は嬉々として目を輝かせている。
シャマンは吐き気がした。中村の欲を満たす道具に、シャマンだけではなく大地までも組み込む彼に心底嫌気が差した。
「ナブーには世話になり続けている。彼の望みは私の望み」
中村屋を創業するにあたり、ずいぶんとあくどいことをして今の地位を手に入れた中村。
その過程はナブーとの二人三脚と言って良かった。
「ナブーとはこれからも持ちつ持たれつの蜜月関係を保ちたいと思っている。そのための手段として大地を有効活用させてもらう。お前は余計なことをするな」
「………」
何か特別な感情を抱いているだろうから。
そんなことで、自分をいたぶる素材として中村は大地を格好の餌食にした。
「…最低だな、お前」
中村はそれを聞いて『おーコワ』とでもいうように肩をすくめた。その小馬鹿にしたような仕草にもシャマンは胸糞が悪くなった。
いちいちシャマンの苛立ちを刺激しながら中村は余裕しゃくしゃくで言い放った。
「なんとでも言え。お前からすれば今に始まったことではないだろう」
おとなしくはなったものの、もちろんシャマンの溜飲が下がったわけではないことは彼の表情から充分に伝わってくる。
中村は嫌味に微笑んだ。
「大地とお前はただの教育係と陰間見習いの関係なんだろう?何を熱くなっているんだ、おかしいじゃないか」
「……」
再度襟元をきっちりと正しながら中村は続けた。
「そうだそうだ、『太陽』に電話で報告をしておかないと。大地が超のつくSランクのVIP客に水揚げしていただけることになったと。橋本も大喜びだろうな、
やっと金が入って心置きなく博打が打てるんだ。待った甲斐はある」
いろいろと挑発したものの、もうシャマンが何も発言する気がないと見て中村は振り向きながら言った。
「さァ、明日の華々しいデビューに向けて、今から大地の準備に取り掛からなければならない。お前もわかっているだろうな、忙しくなるぞ」
そそくさと中村は回廊を後にする。
シャマンはくやしげに、それでいて悲しそうに中村の小さくなる背中を見ていることしかできなかった。
