そうしていると、何人かの足音が響いてきた。小さくゆったり歩く音に続いてドタドタと廊下を進む足音はどれも下品だ。
(き、来た…!!!)
大地はナブーの来訪に身を硬くした。
無意識に背筋が伸びる。顔が強張るのが自分でもわかった。
「さァ、こちらへ」
中村の声に続いて、襖が開いた。
「…っっ」
大地がそちらに視線を送ると、体格の良いナブーが尊大な様子で立っており、中の大地を見てニタリと微笑んだ。
ナブーの背後には、昨日彼と一緒にいたいかつい風貌の手下が五人ほどいるのが見える。
「おゥ大地、待ちきれなくてオナニーしてたか?」
低俗なナブーの冗談に彼らは肩を揺らして笑っている。
大地はそんな彼らにも脅威を感じて身を強張らせた。
中村はナブーの冗談にくすくす笑いながら大地を促す。
「ほら大地、ご挨拶しなさい」
大地は慌てて姿勢を正し、三つ指をついて頭を下げた。
「っ!ナブー様…よ、ようこそ中村屋へ。大地です、本日は存分に可愛がってくださいませ」
今まで何度も並木や中村の前で練習してきた挨拶なのに、あまりの緊張にすっかり飛んでしまっていた。
焦る大地だったが、ナブーは気にしていないようでガハハと豪快に笑った。
「…まったく、ナブーが形式的なことを気にしない性分だから助かったものの…気をひきしめなさい。お前の行儀が悪いと私が笑われるのだから」
そう軽く叱責しながら中村は座敷に上がってきた。彼の手はやんわりとナブーを誘導しており、その通りナブーが巨体を揺らしながら続く。
そのままナブーが大地の隣の座布団に胡坐をかいたのを見届けて、中村も姿勢を低くする。
そして大地の頭をぐい、とナブーに向かって下げさせた。
「し、失礼いたしました…!」
大地が詫びるとナブーはフッと鼻で笑って言った。
「まァまァ、陰間は男イカせてなんぼよ」
「お赦しありがたく思うよ」
中村は大地の顔を上げさせるために髪の毛を掴んだ。そして強引に引っ張り上げる。
「いっ…!!!」
「今から言うことをよく聞いておけ」
大事な客に無作法な真似をした大地を脅すように、どすの利いた低い声で中村は大地の顔の間近に迫った。
「すぐそこの広縁にシャマンがいる」
「っっ!?」
「お前を犯す際、近くにシャマンを配しておくこと。それがナブーが望んだ今回の水揚げ時の条件だ」
「……!!!」
大地は中村に髪を掴み上げられ苦しい表情のまま、広縁に視線を送った。
(さっき音がしたの…シャマンさんだったんだ…!!)
大地の動揺を隣で感じて、ナブーはクッと喉仏を一度高く上げて笑った。
「近くにいると言うだけであいつはこの部屋に入ることは許されていない。もちろん障子を開けて見ることもだ。ただただそこにいるだけ、中の様子は
聞こえてくるナブーとお前の声でしか知ることができない」
そう大地に説明する中村の瞳には、冷酷ないつもの冷たい光の中に燃えるような熱が宿っていた。
大地は気づいた。
自分の水揚げがシャマンを苦しめるひとつの手段になってしまったのだ。
今どんな顔で、どんな気持ちであの場所にいるのだろう。
(そんな…シャマンさん…!!)
大地の顔がさらに苦痛で歪んだ。
「…お前もシャマンが傍にいると知れば心強いだろう」
ハッ、と意地悪く笑って、中村は大地を突き飛ばすように解放した。勢いで体勢を崩した大地はナブーの前に倒れ込んでしまった。
「…っっ…」
ゆっくりと起き上がる大地を見てナブーが言った。
「あんまりガキをいじめんなよ中村」
「…ナブーには負けるよ」
冗談とも本気ともつかない会話をして、中村は大地から身を離した。
「ではナブー…ごゆっくり」
ナブーにそう告げると、中村は大地と視線を合わせて睨んだ。
厳しいその目からは『これ以上の粗相は許さないぞ』という戒めが伝わってくる。
大地は中村が怖ろしくて、視線をはずした。
しかし中村がまだこちらを見ているのがわかったので、弱々しくうなずいた。
それを見届けて、中村はゆっくりと座敷を出る。
そこにはナブーとともに来た彼の部下たちがいて、親分の指示を待っていた。
「へい」
ナブーの言葉に男たちは恭しく頭を下げ、すっと一歩後ろに下がる。中村によって音も立てずに襖が閉められた。
「おい…あんた」
「ん?」
中村を呼び止めた部下のひとりがいぶかし気な表情で口を開いた。
「あのシャマンってヤツ…ひとりであんなところに放っとくなんて危なくねェか?ヤツが得物でも仕込んでて、親分に妙な気を起こさんとも限らん」
「オレもそれが心配だぜ。うちのボスがあんなクソガキにやられることはねェだろうが、天下の邪動組組長にあんだけナメた態度とる野郎のことだ。
いらんことしでかさねェかそれが気がかりだ」
彼らは自分たちの組長に失礼三昧なシャマンが気に食わなかった。
あの生意気な若造が、もしやこの機に乗じてナブーの命を狙うのではと懸念しているのだ。
シャマンが座敷の奥にいることを許したオーナーに対しても不信感を抱いている彼らに、中村は断言した。
「それは絶対にない。そんなことをすれば大地の水揚げがご破算になる。そうなると大地の親代わりである男に金が渡らないどころか、別の子どもをその男から
寄越してもらうと脅してある。元々は大地を脅す手段だったその話はシャマンにも有効なんだ。何せあいつは陰間が困るようなことは絶対にしない。だからそんな
馬鹿な真似はしないと断言できる」
部下たちが納得するのを見て中村は余裕の表情だった。
そんな中村に対して底知れぬ不気味な怖さを感じた邪動組の男たちは、中村がなぜこのネオ芳町で王者と呼ばれるのかわかった気がした。
中村が部屋を去る様子を、シャマンは庭を望む広縁で静かに聞いていた。
表情がより厳しくなるのが自分でもわかる。
大地が初めて男に抱かれる。
それも自分をひどい目に遭わせた残虐な男に抱かれるのだ。
練習の際、名門ゆえに菊門が狭く、気遣っていてもあれだけ苦しんでいた大地のことだ。
嗜虐的なナブーのペニスが挿入されるのならその辛さは計り知れない。
そして自分は、中村の命で大地がナブーに抱かれる声をここでずっと聞いていなければならない。
この状況に未だ大きく戸惑っている大地の、昨日あんなに泣いて嫌がった大地の水揚げ現場近くにいなければならない。
悲しくも陰間にならざるを得なかった大地。
性的暴力を受けても、それでも男に身体を提供する毎日を送らねばならない大地。
そんな大地と自分を重ねていたせいで、中村は大地に目をつけた。
大地が受ける苦しみは自分のせいだ。
シャマンが小さく呟いたその名は、かすれて声にならず宙にかき消えた。
