百華煉獄119
「…条件はもうひとつ」
 中村は静かにそう言った。
 口調は穏やかなものの、彼の周りの空気が先ほどよりもずっとずっと不穏さを纏い始めた。
 きっと今から語られるのは、中村にとっては最高の条件だろう。
 おのずとそれは、大地にとって最悪の条件になることを意味していた。

 緊迫して息をつめる大地に、中村は続けた。
「ナブーがここでお前と床入りする際、シャマンを必ず傍に置くこと」
「!!!!!」
「昨晩と同じと思えばいい。ナブーはお前とセックスする様子をシャマンには逐一知っておいてほしいということだ」
「……!!!」


 大地はあまりの話に言葉がなかった。
 昨日の水揚げ時にシャマンが近くにいることでかなりの昂りを見せていたナブーは、あの時一度だけではなく、この先ずっとシャマンを傍に置いて大地との
セックスを愉しもうというのだ。
 それは、大地の受けた恥辱がそのまま、いやそれ以上の力でシャマンを苛むとわかっての条件に他ならなかった。

 少年時代に手ひどく犯したシャマンを、青年になった今もなお大地を使って辱めようとしている。
 なんてひどい話だ。
 なんて下衆なヤツらだ。
 今回の身請け話の核心がそこにあると知った大地は、あまりの理不尽さにわなわなと震え始めた下口唇を小さく噛んだ。


「とにかくナブーが御所望した通り、この身請け話はお前とシャマン、セットでだ」
 中村は、当然納得できていないであろう様子の大地を無視して席を立つ。
「お前の住まいは今後風雅になる。引っ越しや細かいことは世話人から伝えに来させる」
 所作は上品なのに、その品性はどこまでも下劣な男を静かに見ていると、その口角がぐいっと上がり改めて笑い掛けられた。
「さァ、これからコンビを組むシャマンと今後についてゆっくり打ち合わせでもしておけ」

 大地の視線は、中村の蛇のような不気味で威圧的な視線とからみ合った。
 無体な身請け話に大地が静かな怒りから目を潤ませていることに気づいて、再度笑みをこぼしながら中村は扉へと振り向いた。


 中村は入り口の近くにいたままのシャマンに声も掛けずに部屋から出ていった。
 欲のために身勝手な取り決めを行ったオーナーが消え、大地はシャマンとふたりきりになり少し身構えた。


 シャマンは大地が中村から身請け話を聞く間中、ずっと俯いたままだった。
 彼はきっと、昨晩のショックがまだ冷めやらぬうちに中村からこの話を聞かされたのだろう。
 そう思うとなおさら痛ましく思えた。

 もう逢えないと覚悟していたのに、こうして自分の部屋に彼が来てくれた。
 本当はこれ以上なく嬉しいことなのに、そこにはナブーの身請け話という過酷な因果がからんでいる。
 手放しでは決して喜べない状況を、大地は悲しく感じた。


 大地は力なく立ち尽くすシャマンを思いやり、椅子を勧めた。
「あの…シャマンさん、こっち来て座って?」
 そう言ったものの何も反応がない。大地はこちら側に誘導しようと、立ち上がって彼の傍に行くことにした。
 だが歩き出した途端、テーブルの脚につま先をぶつけてつんのめってしまった。
「…わっ!」
「っっ!!」
 シャマンは大地が転んではいけないと、とっさに腕を伸ばした。
 しかし大地はどうにか自分でテーブルに手をつき、自身を支えてことなきを得られた。


 結構な勢いでぶつけたものだから、つま先に強い痛みが生じた。
「イテテ…」
 大地は顔を歪ませてそこをさすった。

「……」
 シャマンはその様子を、自身の差し伸べた掌越しに黙って見ていた。
 
 本当に求められた時に握り返してやらなかったこの手。
 それを今さら、転びそうになったことで差し伸べてやってもそれになんの意味があるのだ。
 これはなんの優しさだ。
 中途半端なこの行為はいったいなんなんだ。

 大地は持ちこたえ、ひとりで痛みに耐えている。
 シャマンの腕は行き場を失くして、大地に気づかれることなくそっと元へと戻った。


 足先がまだジンジンするものの、そんなことよりシャマンが気になって大地は顔を上げた。
 今のことで緊迫した空気が少し和らいだかもと思った大地だったが、それはあくまで大地ひとりが感じていただけのようで、シャマンは相変わらず暗い顔で俯いている。
(どうしよう…何か話したいけど、何を話していいか…)
 大地が困惑して何も言えないでいると、シャマンが静かに口を開いた。

「…身請けの条件は今聞いた通りだ」
 大地はシャマンの顔を見つめた。
 彼の視線は大地の前方にある床にぼんやりと向けられている。
オレは普段、今までと変わらずに教育係の仕事をするが…ナブーがお前に逢いにここへ来た時はいつでもその場所へ出向くようにと言われている」

 シャマンは淡々とそう続けた。
 きっと昨日から今に至るまで、彼の中でさまざまな想いが交錯し、苦悶したことだろう。
 しかし、異例の水揚げ条件に暗い影は宿しているものの、今の彼はそれを受け入れて冷静に見えた。
 それは元来の性格からというより、ずっと昔から知る中村やナブーのタチの悪さを知っているがゆえ生じた、諦念からくるものだろう。


 自分を見ずにそう告げるシャマン。
 いつも毅然としたシャマンが相手の目を見ないのは、納得できないのに抗いようのないことだと諦めているから。
 釈然としないものを抱えたまま、受け入れるしかない悲しみを抱えているから。
 大地は水揚げ前にふたりで逢った時、彼にそんな癖があることに気づいた。

 それでも大地は自分をちゃんと見てほしくて、彼に呼び掛ける。
「…シャマンさん」
 しかしシャマンは変わらずにどこか虚空を見つめるだけだった。

 シャマンは大地を見ないまま続けた。
「…ふたりでセットだと言われているこの身請け話だが…オレとお前の接点は必要最低限に抑えようと考えている」
「っ……」
「お前もそのつもりでいろ」
 今の宣言を聞いて身を強張らす大地を無視して、シャマンはくるりと踵を返した。


 大地はわかっていた。
 シャマンを苦しめるために、自分は中村やナブーに利用されているのだと。

 挿入困難でできが悪く、その上クロマサたちのレイプ未遂に遭った大地。
 そんな大地をシャマンが構えば構うほど、過去に大地も知らない深い因縁のある中村とナブーは、シャマンを苦しめるために大地を苦しめる。
 彼らのそんな魂胆は、この身請け話に如実に表れていた。

 大地が苦しむことはシャマンが苦しむことと同意。
 少年に対して性的搾取を行う男たちをとことんまで憎むシャマンからすれば、自らの行いが少年を苦しめてしまうなど耐え難いことだろう。
 下劣な中村やナブーは、そこをいやらしくかぎつけて愉しもうとしている。


 何も知らぬ幼い頃にナブーに犯され、中村の下で陰間として生きねばならなかったシャマン。
 彼は成長して青年になった今でも、ナブーと中村に囚われている。
 それも大地を使って、今なおその精神を犯され続けている。

 自分のせいで大地が苦しめられる。
 だからわざと大地を冷たく突き放す。
 それが、シャマンの優しさ。


 大地は自分が苦しむことよりも、シャマンが苦しむ方が辛かった。
 シャマンが大地を守ろうとするように、大地もシャマンを守りたかった。
 
 だったら、突き放されてあげる。
 あなたがわざとそうするように、オレもわざとあなたと距離を置いてあげる。
 あなたが望むのなら。
 あなたが少しでも楽になるのなら。
 あなたが少しでも、苦しまないで済むのなら。

 誰よりも大好きな、心から大好きだと思える人。
 誰よりも優しくて、誰よりも賢明な素晴らしい人。
 その人を守ることができるなら、傍にいても愛しい想いは押し殺して、できるだけ接触を避けよう。


 そんなことを思いながら、パタン、と小さく音を立てて閉じられたドアを、大地はぼんやり見つめていた。
 離れずに傍にいることが許されたのに、前のように自由に話したり笑い合ったりすることができなくなってしまった。
 こんなにも好きなのに。
 シャマンは大地に対して特別な想いを抱いてはいないだろうが、それでもひとりの陰間として大事に思っていてくれていることは伝わってくる。

 互いを思いやるゆえにこんな関係になるとはなんて皮肉なことだと、大地はシャマンが消えた方向を静かに眺めていた。