ことの収拾がつき始めると、見物していた者はまばらに散っていった。
だが若い男はどこへ行こうともせず、そこに佇んでいた。
大地も同じく、いろんなことが一度に起こり混乱しているのもあって、動くことができなかった。
その時大地の耳に、見物していたであろう少年らの声が飛び込んできた。
「…あの人、超カッコいい…」
「オレも思った…怖そうだけど、そこがまたいいって言うか」
「恋人でもないのに恋人のふりしてあいつのこと助けたんだよな絶対!イカスー!」
「うわ〜僕も助けてほしい〜!」
「あーあ、オレも誰かに襲われないかなー。そしたらあの人に助けてもらって、お近づきになれるのに」
五人の少年らは、全員が若い男の方を向いてうっとりと頬を染めている。
どうやら大地を助けた姿を見て、この男のファンになったらしい。
カッコいい男の人を見て『キャー素敵!』なんて騒ぐのは、女の人だけだと思ってたけど…と大地は少し妙だと感じた。
(ここ、男の人しかいないから…?そんなもんなのかな?)
それにしてもなァ、ますますわからない街だと思っていると、少年らがさらににぎやかになった。
「どうしよう、話し掛けてみようか?」
「え〜…ちょっと怖いから緊張する…!」
「でも今がチャンスだよ!この先会える保証なんてないんだし」
「相手にされなかったら恥ずかしいよォ」
「なんて声掛けんだよ」
若い男と接触するべく小声で押しあいへしあいしているが、彼はそれを知ってか知らずか、無視して大地の方へ近づいてきた。
大地はあまりの衝撃に肝心なことを忘れていた!と傍に来た若い男に慌てて礼を言った。
「た…助けていただいて、ありがとうございました…!」
頭を下げる大地を、若い男はじっと見つめた。
そのまま少し時間が経った。
大地は男が何も言わないのでいったん顔を上げた。
目が合った。
若い男は特に表情を変えることもなく、そのまま大地を見ている。
その視線には中年男に対するような厳しさはなかったが、相変わらず無表情で美形ゆえに少し怖かった。
「…お前、この街に来たばかりだろう」
若い男の問いかけに、大地はおどおどしながら何故わかったのだろうという顔をして、小さな声で答えた。
「はい…」
男は形のいい口唇から、小さくため息を漏らす。
「この広場は『立ちんぼ』っていう、客引きしてるガキが商売してるとこだ。その気がないのにこんなとこでひとりボーッと突っ立ってると、
客をとるためにいるんだと思われて、さっきみたいにろくでもないヤツにからまれるだけだぞ」
若い男は大地に対してか中年男に対してかはわからないが、呆れたような様子を見せた。
「ったく、せっかくオレがお前の男のふりして芝居打ってやってんのに、バカ正直にそんな名前じゃないなんぞと言いそうになっただろう」
大地は眉毛を八の字にして、肩をすくませながら若い男の顔を見上げた。
なんとなく『お前の男』という言葉が引っかかったが、意味不明の連発だったため何も言わなかった。
ネオ芳町。
男しかおらず、強引でいやらしい中年男や、それを別段止めるでもなくおもしろそうに見ている者、女のように着飾った少年たちが多くいる街。
目にしたあらゆるものが今まで施設にいた頃には想像すらできなかったものばかりで、まるで別世界だった。
今のできごとで、大地はこの街のルールを自分がほとんど知らないことを思い知らされた。
知らない言葉や知らない習慣、決めごと。
今回はこの若い男に助けてもらってことなきを得られただけのことで、これからのことを思うとさらに不安が募る。
「これからは、自分の身は自分で守ることだ。じゃあな」
男は一言大地に忠告をして、踵を返して立ち去った。
「ぁ…」
大地は怯えにも似た心細さが最高潮に達した時にそう告げられて、この男と別れることが怖くなった。
中村屋に行くまでの道中、またルールを知らないことで今みたいにトラブルに巻き込まれたら…そう思うと肥大する不安感に飲み込まれそうだった。
この男に中村屋まで連れていってもらうようお願いするのは図々しいだろうか。
引き止めようかと思ったが、『自分の身は自分で守ることだ』と言われたばかりゆえ、追いすがることができなかった。
大地がそうしている間に、若い男に声を掛けようとしていた少年らはどうにかお近づきになろうと一斉に一歩踏み出した。
だが若い男がすぐ近くを通り過ぎているというのに、物怖じして誰も声が掛けられなかった。
男は見知らぬ者がおいそれと声を掛けにくい、近寄りがたい雰囲気を纏っていた。
少年らは話し掛けられずとも間近で見ることができて、先ほどよりも顔を赤らめて全員うっとりとその背中を眺めていた。
大地は頼りにしたかった人が行ってしまいしょんぼりしつつ、しかしこの街に来た最初の時点に戻っただけだと思いなおして、地図を広げ
中村屋の方向へと駆け出した。
曲がり角を曲がり、先ほどより少し狭い道に入る。
狭いとは言ってもメインストリートより人が多くにぎやかだった。
「ん?」
大地は走るのをやめて、ある男の後ろ姿に見入った。
その後ろ姿は先ほど大地を助けてくれたあの若い男であった。
黄緑色が少しくすんだ短髪、スラリとしたモデルのような体躯。
そして何よりすれ違う少年たちが皆こぞって熱のこもった視線で彼を見つめている。
間違いない、さっきのあの人だ。
若い男は相変わらず少年たちの熱い眼差しに気づいているのかいないのか、何ごともないようにそのまま通りを真っ直ぐに歩いていく。
大地は若い男の姿を捉えた途端、大きな安心感を抱いたことを自覚する。
手元のメモを見ると、中村屋へ行くのもこのまま道なりに真っ直ぐであった。
大地はクスッ、と笑った。
目的地は違うだろうが嬉しくなって、若い男の後を追いかけるように進んだ。
若い男は露店商や道行く人に親しげに声を掛けられ、愛想は良くないもののそれぞれに軽く答えていく。
この辺りに知り合いが多いようだ。
それにしても、まるで道案内しているかのように不思議と大地が行きたい道を歩き続ける。
大地はなんだかおもしろくなってきた。
気づかれていないことも、妙に楽しくなってくる。
そのまま大地は一定の距離を保って、こそこそと中村屋への道を進んだ。
道中、若い男が足を止めて店先の人と少し話しているのを見ると、大地はそうする必要もないのに道の端で話が終わるのを待つ。
歩き始めたら同じように歩き始める。
中村屋まで急がないといけないとわかっていても、なんとなくワクワクしている自分を否めなかった。
