百華煉獄122
 虎視眈々と、野望の実現を企む男がいた。

 男には野心があった。
 権力者になりたい。
 誰よりも偉くなりたい。
 この世の名誉という名誉を、すべて手に入れたいと。

 権力者のトップというと、政治家、ことに総理大臣をイメージするかもしれない。
 だが、この男の名誉欲はそれだけにとどまらなかった。


 社会は表と裏、このふたつが背中合わせになって成り立っているものだ。
 表だけでも裏だけでも成立しない。相反する表と裏があるからこそ、この世は平和に動いていると言っていい。

 表を象徴する存在として、国を動かす政治家たちがいる。
 裏でのそれは何者かというと、マフィアたちだ。


 表と裏は必ず存在する。
 このふたつは無関係ではいられない。
 これらは一見無関係を装って、密接に関係している。

 無関係である振りをせねばならぬ理由は政治家側に大きくあった。
 彼らが公然とマフィアと手を組む姿など世間に見せようものなら、たちどころに攻撃を受け、政界から干されてしまう。

 なのでなかなか思うようにコネクションがとれないでいた。
 政界側もマフィア側も、バレないように互いに連携をとることに難儀し、しかしそれを疎かにもできず、手はずを整える煩わしさに頭を抱えていた。

 ゆえに、誰かがうまく仲介してやらなければならなかった。
 狸で腹の探り合いばかりしている政治家と、逆らえば何をされるかわからぬ非情な暴力組織のマフィア。
 どちらも一筋縄ではいかぬ相手だ。
 これらを上手にとりもつのは、有能な者しかできない。


 ならば、とそこに名乗りを上げたのが野心を胸に抱くこの男だった。
 このふたつの橋渡しがうまくできれば、表も裏も私を無視できない。
 それどころか、国の公の機関からも、マフィアなどの裏組織からも重要人物と重視される存在になれるのだ。

 まずはコネクションと財力を得よう。
 それを元手に、強大な権力と名誉も得よう。
 そうなると、裏も表もすべてが我が意のままだ。
 それはまるで…神ではないか。

 政治家からもマフィアからもありがたがられるこの大役は、そんじょそこらのヤツには務まらない。
 そのようなことができるのは私だけ。
 私は、光と闇を併せ持つ唯一無二の存在になるのだ…!


 名誉欲に捕らわれた男は、細い三日月のような瞳から怪しい光を放ち、薄く笑った。

 男の名は、中村喜市といった。



 まず、権力を得るために中村が青写真を描いたのは、陰間茶屋街を造るという構想だ。
 陰間趣味、お稚児趣味を持つ者に、政治家が数多くいたからだ。

 自分たちに都合のいいように法改正を行い、昔よりは男児と性交渉を持つことが容易になったものの、まだまだ立ち場上大きな顔で利用できない官僚たちが
多かった。
 所属する政治団体は児童愛護を唱えているのに、実際は少年とセックスすることが何より大好きという者がまだまだいて、お忍びで陰間遊びをしようにも
思い通りにいかずにフラストレーションがたまっていた。


 少年趣味の有力者たちと懇意にしていれば、野望が叶えやすくなると中村は踏んだ。
 まず、男しか入れない一大陰間茶屋街を造る。
 女人禁制にする理由としては、児童買春をする者はほとんどが男性だということ以外に、ことに児童愛護、子どもを性的搾取から守ると声高に叫ぶ者に
女性の割合が多かったためだ。
 これで政治家の少年愛スキャンダルが報道されるリスクを半減することができる。

 男だけしか入れないと言っても、まだまだ油断はできない。
 誰が何を装ってスクープを狙ってくるか。マスコミ連中はあの手この手で迫ってくるだろう。
 ならばこの陰間茶屋街は、入り口をひとつしか持たない設計にしよう。
 その入り口はセキュリティを万全にする。周りは高い高い壁で囲ってしまって、どこからもお稚児趣味反対派が入ってこぬように努める。
 そうやって、政治家たちが思う存分趣味を愉しんでもらえるように尽力しようではないか。

 そんな彼らが性的嗜好を解放できる場所を提供する代わり、こちらはひとりひとりの秘密を知ることができる。
 もちろん強固な関係を築くことが目的なので、そこは信用第一、外部に漏らすような真似はしない。
 だが、彼らの弱みを掌握することができるのだ。

 こちらの利になる要求に応えなければ、どうなるかわかりますか。

 この一言は、相手が大きな権力を持つ者ほど怖ろしく聞こえるはずだ。
 中村はまだ街ができてもいないのに、この言葉に震え上がる官僚を想像して肩を揺らせて笑った。


 青写真通りに、表と裏の良好な関係を構築するための陰間茶屋街を造る。
 しかし陰間茶屋の店舗を一から作り、そこから陰間茶屋街を興すのでは金や立地条件、マフィアが主に管理するショバの問題で時間がかかるし、
実際問題難しい。

 それならば、今ある大手の旅館をのっとればいい。
 そういうところは必ず大物政治家が顧客になっているはずだ。
 手っ取り早く店舗や顧客を丸ごとごっそり手に入れられる。

 欲を言えばその土台になる大手旅館には、近々代替わりが起こりそうなところだともっといい。
 そして一族経営ならなおさらだ。
 代替わりには現在の形から変化する隙が必ずある。
 その隙を突けば、一族経営で強かった絆も自分たちの店という思い入れが強い分、崩れ始めると脆いのだ。


 今抱えている問題がすべてクリアでき、少しでも早く陰間茶屋街を造れる基盤の店。
 中村は調べに調べて、ネオ芳町にある紅屋に目をつけた。
 今現在、紅屋は二代目の清蔵が経営している。
 妻が早くに亡くなったため女将は血の繋がりがない中で、彼が従業員らと協力して大きくした老舗高級旅館だ。

 一般人には敷居が高いものの、ここは大物政治家が数多く利用している。
 顧客を調べると、中村の狙い通りお稚児趣味の者が多数名前を連ねていた。


 この好条件に加え、中村にはさらに嬉しい情報があった。
 顧客名簿の中に、ナブーというまだ若き極道者の名前があったのだ。

 彼のことを調べ上げると、若干二十五歳にして邪動組の若頭になるほど有能な男だった。
 現組長にもその手腕を大きく買われているナブーは、次期組長は間違いないとの呼び声が高かった。
 彼は少年愛者のため、さまざまな陰間茶屋に頻繁に出入りしているようだ。
 中村は彼を『使える』と踏んだ。



 表社会への足がかりとして、まず裏社会の男にアプローチを行うことにした。

 邪動組に詣でた中村は、自身の野望をナブーにすべて打ち明けた。
「陰間茶屋街?おもしろそうじゃねェか」
 若者なのにドスが効いていて、ひと目でただ者ではない箔があるナブーは、巨体を前のめりにして中村の構想に興味を示した。

 スキンヘッドの頭は脂でてらてらと光り、手入れはしてあるがあごと口周りに多量のひげを蓄えている。
 ゴリラのような体格で、頭脳に加え腕っぷしも優れているようだった。
 ただ前面に彼からは好色そうな雰囲気が漂っており、ナブーの相手をする少年は大変だろうなと、中村は心の中で苦笑した。

「この話…あなたの協力を得たくてここへ来た。歓楽街を丸ごと造ろうと言うのだから、私ひとりの力ではどうしようもなくてね」
「…役所への申請に建設会社、いろいろと段取りや手はずが必要だな。オレと手を結ぶとなると、見返りは高くつくぜ?」
 マフィアと結託するということは、並大抵の覚悟ではできない。
 中村は微笑みながらうなずいた。
「それは心配いらない。あなたには大物官僚たちとの新たな交流、関係維持という対価が支払われるよ。それに陰間茶屋街を造ろうというんだ。となると…
わかるだろう?君の趣味と実益を兼ねたオイシイ話だ」
「陰間ねェ。そりゃあオレ様にとってかぐわしい…この上なくイーイ匂いがする言葉だ」

 中村はナブーの返事にさらに笑顔を浮かべた。
 力強い仲間を得られて自然に喜びが顔に現れた。

 こうして、裏の世界で頭角を現している邪動組の若頭と中村の協力関係ができあがった。