中村はさっそく紅屋に近づくことにした。
のっとるためには、もらった情報から紅屋を追いつめる材料をひとつでも多く集めて、脇を固めていかねばならない。
その足掛かりとして、まず紅屋に宿泊客として潜り込んだ。
高級旅館にしては一週間と長期滞在をした。その方が紅屋側に自分を強く印象づけられるからだ。
宿泊した際に仲居との他愛ない会話の中で、仕事はファイナンシャルプランナーをしていると自己紹介しておいた。
普段、会社経営者や実業家などの資産運用や事業拡大のアドバイスをしているのでストレスがたまるから、従業員の心配りがきめ細かなここで心身ともに
休めるのは至福の時だ、ここは私が利用した旅館やホテルの中で最高の場所だと言うと、仲居は大感激した様子だった。
「この素晴らしい紅屋がここだけではなく全国、いや世界中にもっと増えればいいのに。そうしたら出張先でも利用して、少しでも仕事の疲れを癒すことが
できるのですがね」
知的で清潔感のある中村がそう言うと、すっかり気を許した仲居は『内緒ですがね』と断ってから、実は二号店出店の計画があり、それを現オーナーが
修行と称して息子に託そうとしていることを教えてくれた。
「そうなのですか。それはとても嬉しいニュースですね。早く実現する日を楽しみにしています」
にっこり微笑む中村に、仲居は赤くなりながら再度『内緒ですからね』と念を押したものの、彼女はこの話を伝えられてウキウキとした様子を見せていた。
二号店出店計画。
息子へ任せるのは、代替わりを意識しているため。
来た。
絶好のチャンスが来た。
中村は仲居に気づかれないよう、爽やかな笑顔を浮かべたままこの紅屋にどう切り込んでいこうか頭を巡らせていた。
一週間の宿泊を終えて五日後。
中村は清蔵と直接会う約束をとりつけていた。
先日泊まったファイナンシャルプランナーだと言うと、思ったよりあっさりとアポイントがとれた。
清蔵がいかに事業拡大や世代交代で相談役を欲しているかが見てとれて、中村は静かにほくそ笑んだ。
応接室に通された中村は、待っていた清蔵と挨拶を交わした。
「はじめまして。わたくし、ファイナンシャルプランナーの中村喜市と申します」
「はじめまして、紅屋のオーナー、古瀬清蔵です」
互いに名刺を交換して、頭を下げる。
中村は清蔵に気づかれないよう、まじまじと相手を観察した。
清蔵の印象は、これだけの旅館の経営者らしい悠然とした迫力のある男というものだった。
だが大らかな優しさをたたえてもいた。
歳は六十を超えたばかりとのことだが、心臓の持病があるせいか顔色が少し悪かった。
代替わりを考えているのは、自身の健康不安も一因しているのだろうと中村は推測する。
先日ここを利用した際に、いかに素晴らしい旅館であるかを実感したと中村は語った。
そのまま清蔵をいい気にさせて、本題に切り出す。
「清蔵様、この紅屋の事業拡大に関心はございますでしょうか」
二号店出店を考えていた清蔵にとって、中村のこの提案は絶好のタイミングだった。
さまざまな不安要素を抱える中、専門知識を持たずに先へ進むことへためらいがあっただけに、中村の登場は清蔵にとってありがたかった。
だがふたつ返事で乗り出せない悩みを抱えている清蔵は、渋い顔をして答える。
「…二号店を出す計画は以前から進めているところですが…」
「『ですが』…なんでしょう、何か気がかりなことでも?」
「…私の跡目の息子がいまいち頼りなくてね。思いきった決断ができないんですよ」
「そうなのですね。紅屋二号店となると世間の方々は大いに期待なさるでしょうし、さぞご不安でしょう」
身内の恥を晒すような発言をしたことに自身で胸を痛めている様子の清蔵に、さも中村はお気の毒にと同情してみせる。
「ええ、結婚して一生懸命やってくれているのですが、息子は勘が悪いのか空回りしています。それに、私は二年前に心臓発作を起こしておりまして、
体調が優れない日が増えたこともあり、焦りはあるのにいろんなことに踏み切れないでいるのですよ」
胸の内を吐露する清蔵からは、先ほど感じた経営者の余裕と迫力が消え去っていた。
そのかわりに時間がないという焦燥感と、これから何をどうすればいいかわからないという困惑が感じとれた。
中村はまじまじと考え込みながら言った。
「…清蔵様には、身近に事業拡大の専門的な知識を持ったプロを傍に置いて、相談をされた方が良いようですね」
その途端、清蔵はすがるように中村を見つめた。
「中村さん、どうかここ紅屋専属のファイナンシャルプランナーになってくださいませんか。私に力を貸してください」
中村が待っていた言葉。これで紅屋に潜り込める。
切なる想いで願い出る清蔵に、中村は寄り添うような口調で言った。
「…ええ、こちらこそお願いします。今日参ったのは、微力ながらお力添えができればとの想いからです。清蔵様から直々にそのようにお申し出いただいた
この中村喜市、紅屋のますますの発展のため、誠心誠意尽力致します」
「頼みます…よろしくお願いします…!!」
理知的な瞳で微笑みを浮かべて自分を見つめる中村に、清蔵は心底頼もしさを感じて礼を言った。
清蔵から聞いた今後の紅屋の展望として、チェーン化を図ろうというものが最大であった。
まずは二号店を二町隣に作り、そこでまず息子の秀人に旅館経営のノウハウを学んでもらい、三号店、四号店と増やしていきたいという夢があった。
幹部陣は、古瀬家が中心になって構成することに今までと変わりなくやりたい。
なので二号店には新婚の秀人の嫁ナオコにも積極的に参加してほしい。
ナオコの弟はまだ小学生と幼いが、利発な子なので三号店や四号店を展開することになれば是非協力してもらいたい。
中村は清蔵の話を真剣な眼差しで聞いていた。
その姿は紅屋をもっと素晴らしい大店にしようと希望が膨らむ清蔵にとって、真摯で頼もしく映った。
だが中村の心中では、自身の企む陰間茶屋街構想のベースとして最適すぎる紅屋に感心しきりで、すでにこれをどう料理しようかと考えを巡らせていた。
清蔵の大きな希望と不安につけ込む形で、中村はまんまと紅屋と清蔵のふところに潜り込むことができた。
翌日からさっそく、中村は紅屋お抱えのファイナンシャルプランナーとして、清蔵のいる旅館の書斎へ通うようになった。
めったなことではそこに他人を入れない清蔵だったのに、突然現れた中村を連日そこへ通して長い時間ふたりで話し合っているものだから、秀人や幹部たちは
驚いていた。
今後の紅屋にとってこの人はなくてはならない存在だと紹介はしてもらったが、秀人たちが席をともにすることは許されなかった。
それが何故かはわからないが、秀人たちはここまで店を大きくした清蔵の見込んだ男なのだったら、と特段問題視はせずにそのまま見守っていた。
