さっそく中村は、昔から取引のあった業者たちとの契約をすべて、コスト面の改革という理由で打ち切った。
秀人たち家族や幹部はもちろん大反対したが、紅屋に利益を生まない取引は今後一切不要だと、清蔵は譲らなかった。
一方、打ち切られた多くの取引先は、創業当初から懇意にしていた紅屋に突然解約されたため、その不満は相当なものであった。
しかし紅屋の新規契約業者の面々を見て、邪動組が介入していることを知った業者らは黙らざるを得なかった。
ヘタに抗議や抵抗などしてマフィアに目をつけられたのでは、こちらの商売を妨害されてしまう。
そのため取引先は泣き寝入りするしかなかった。
だが噂は噂を呼び、縁故を容赦なく切り捨てる紅屋のやり方を問題視する声は、ひそやかではあるが業界内で多く挙がり始めていた。
ネオ芳町で長年根づいている仲間意識。
それを裏切ったことで、紅屋は商売仲間の多くから恨まれることになった。
もちろん、清蔵は手荒で非情な中村のやり方に動揺と狼狽を隠せなかった。
しかしもう後戻りできないところまで来てしまっていた。
邪動組と手を組んでしまったことが、運の尽きであった。
取引先の件があらかた片づくと、中村は堂々と邪動組の幹部らと一緒に紅屋に来ることが多くなった。
従業員たちはガラの悪い男たちが紅屋に出入りするので心穏やかではなかった。
「ファイナンシャルプランナーって聞いてたけど、あの人たちどう見ても筋モンだろう…?」
「紅屋に輩が出入りするなんて、お客様のご迷惑になるのに」
「仕方ないよ、清蔵様が許可してるから来てるんだ」
「しかし…清蔵様はなんでまたあんな連中とつるんでいるんだか」
従業員たちはみんなびくびくしながら中村と邪動組の者を遠巻きに見ていた。
中にはマフィアなんぞと関わった紅屋に愛想をつかして辞めていく者が、徐々にではあるが増えていた。
事業拡大、資産運用のために中村たちがやって来ることは知っている秀人だったが、清蔵は邪動組と手を結んだことを彼らに正式には伝えていなかった。
それゆえナオコも詳細を知ることができずにいた。
「ねぇ秀人さん、お義父様は妙なことに関わってしまっているのでは…」
ある日ナオコが心配そうに秀人に相談しているところに、その部屋の前を偶然通りかかったシャマンは見たことがあった。
秀人は少し考えた様子を見せ、返答した。
「…馴染みの業者を切ったり、妙な連中の出入りを許して従業員のみんなが不安がってるのは知ってる。オレだって彼らと同じだよ。けど…」
真剣な顔で何度かひとりうなずいて、ナオコの目を見て続けた。
「紅屋のことを…オレたちのことを考えて父さんが決断したことだ。父さんがやってきたことに今まで間違いはない。大丈夫だよ」
「…そう、ね…」
そう答えたものの、シャマンの目には秀人の言葉にナオコが安心しているように映らなかった。
うさんくさい男たちと手を組んで、当主が何をしているのかは誰も知らなかった。
中村は、清蔵の不安や秀人たち次世代の紅屋を担う者たちの力になるということを振りかざして、そこへつけ込みどんどんと増長していった。
そこでそろそろ頃合いかと思い、あることを提案した。
「清蔵様。次は、紅屋をただの高級旅館から、官僚や有力者を顧客に持つ一大高級陰間茶屋にシフトチェンジしましょう」
のっとった後よりも、実績のある紅屋当主の申請の方が何かと早く通りやすいと踏んだ上での行動だった。
ただし、これは清蔵自身が記入した申請書類が必要だ。
周りをほぼ固めていった今、このタイミングがベストということで持ちかけた。
『邪動組』の名前に縛られ、中村の言うことをすべて聞き入れざるを得なくなった清蔵。
そんな彼だが、昔気質の性格ゆえに紅屋を陰間茶屋にするつもりはないと断固反対した。
「陰間茶屋など…そんなもの、風俗店ではないか!名旅館と名高い紅屋をそんな下世話なものにする気はない!!」
先代が興した大切な紅屋を、そのような俗なものには絶対にしたくなかった。
紅屋のことを中村が『ただの高級旅館』と表現したのも腹立たしかった。
「老舗旅館が生き延びるには、今までと同じことをしていてはダメなのです。今まで何度も説いてきたことでしょう。私が調べたところ、幸いにも
紅屋の顧客に少年趣味の大物政治家や著名人が多数います。滑り出しとしては最高ですよ」
そこで培ったコネと権力を、古瀬家と私とで掌握しましょう。
そうすれば秀人もその後の代もその後もずっと、未来永劫、安泰であると。
しかしそれまでは中村の言いなりだった清蔵が、この件にだけは珍しく反抗を続けた。
「あなたの言うことにはすべて従ってきた。しかしこの話だけは…これだけは、首を縦に振れん」
ネオ芳町に陰間茶屋などなくていい。そういった場所を提供するつもりもない。
と、中村が持ってきた国へ提出する陰間茶屋の申請書にも判を押すことを頑なに拒んでいた。
中村は歯がゆかった。
のっとりに関してこれ以上ない好条件の紅屋をなんとしてでも手に入れたいのに、この局面で清蔵が意固地になるとは。
話が進まなくなることもそうだが、従順だった清蔵の思わぬ抵抗に苛立ちを募らせていた。
シャマンは、ナオコと秀人の会話を聞いてから、ほぼ毎日小学校帰りに紅屋に立ち寄るようにしていた。
従業員が辞めていき、取引先の業者がほとんど入れ変わった。
そこに清蔵の書斎を変なヤツらが出入りしているという噂もある。
何かが、紅屋に起こっている。
それも良くないことが。
シャマンは初めて会った時の清蔵を思い出す。
気に掛けてくれるのが恥ずかしいけど嬉しかった。父親の面影をそこに重ねたものだ。
近頃は忙しいようでめっきり顔を合わせていないけど、紅屋改革に尽力している清蔵が心配だった。
自分は何もできないかもしれないが、できるだけ紅屋の様子を知っておきたかった。
その日の放課後も、紅屋に立ち寄って従業員と何気ない会話をした。
その後、庭園に面した廊下をひとり歩いていると、遠い先に五人ほどの集団がズカズカと下品な足音を立てて歩いてくるのが見えた。
シャマンは見慣れない男たちの姿を見て、本能的に近くの曲がり角に身を潜めてそこから彼らを覗き見た。
五人の男たちはその近辺にいる従業員らを威圧しながら我が物顔でこちらに向かってくる。
彼らを見て、皆が噂している『妙な輩』がそいつらのことだとすぐに気づいた。
そいつらの行く先には、清蔵の書斎がある。
あそこへはよほどの人物でないと通さない決まりがあったはずだ。
当たり前のようにそちらへ向かう男たち。
彼らの正体がわらかず、シャマンはその場で食い入るように見つめていた。
すると、先頭を歩いていたその中のひとりが突然、シャマンの方を見た。
その男は三日月のような細い目で、しっかりとシャマンの視線を捕らえた。
そのままじっと見つめてくる。
シャマンはハッとして、柱の陰に隠れた。
一瞬だったものの、男の視線はシャマンに纏わりつくような嫌なものだった。もう見えてはいないだろうが、それでもまだ見られているような息苦しさを覚える。
噂じゃない。
ろくでもないヤツらだというのは、噂ではなく本当だ。
今の男の視線だけでシャマンはそう察することができた。
理屈ではなく、本能でそれを感じた。この男は紅屋に脅威をもたらす人物だと。
とっさに隠れたものの、あの男はまだここに自分がいることに気づいている。このままでは因縁をつけられて捕らえられるかもしれない。
そう思ったシャマンは、慌てて逆方向に駆けていった。
タタタタ、と軽い足音が遠ざかるのを聞いても、中村はシャマンを追いはしなかった。
その方向を向いたまま、小さく呟く。
「子どもがいたな…」
「ガキですか?たぶんあの…三代目の嫁の弟ってところですかね」
「ああ、十歳ぐらいだったからその弟…シャマンだろうな。驚いた、彼は相当な美少年だぞ」
「美少年…そりゃあいいですね」
「…ああ、好都合だ」
邪動組の男たちはそれを聞いてニヤリと微笑む。
中村の目も弧を描いて、邪悪な笑みをたたえていた。
今は行き詰まっているが、中村は陰間茶屋街構想を必ず実現してやると、改めて固く決意した。
