百華煉獄126
 清蔵を説得するのは困難だと判断した中村は、邪動組との共謀のもと強硬手段に出た。
 飲み物に薬物を混入して、清蔵の意識を混濁させた。
 その状態で、本来は陰間茶屋営業の申請書類なのに別の申請書類と偽って署名・押印させる。
 また、清蔵は自身が死んだ場合、紅屋の土地を含むすべての権利を中村に譲渡する書類にも判をつかされた。

 意識が激しく混濁する清蔵は、中村に誘導されるままだった。
 中村と邪動組の男たちは、この様子を隠しカメラで撮影していた。



「清蔵様、申請の許可が下りましたよ。良かったですねェ」
 中村がそんなことを言いながらとある紙を手渡すので、清蔵は訝しみながらそれを見た。

「…!!??」
 紅屋が陰間茶屋として営業できるという内容の許可証だった。
 中央には、でかでかとした国家機関の許可印が押されている。


 清蔵はあまりの衝撃に胸に痛みが走るのを感じながら、中村に猛抗議した。
「なんだこれは、私は申請した覚えなどないぞ!なのになんだこの書類は!!」
 紅屋を大きくするために、清蔵は今まで何百という申請書類を作成し、提出してきた。
 中村が来てからことに申請ごとが大幅に増えていたが、こんなに大事な書類に判を押したらちゃんと覚えているはずだろう。
 オーナーの自分が、この愛すべき神聖な紅屋を陰間茶屋になど絶対にしたくないのに、なぜ目の前にこんなものがあるのだ。

 なかばパニックになりながら、中村に詰め寄った。
「中村、あんたが勝手に申請書類に記入して、私の判を押したんだろう!!」
 憤慨する清蔵に中村は涼しい顔で答えた。
「おや、人聞きの悪い。この字は清蔵様ご自身の字ですよ」
 幾分震えているようではあるが、『古瀬清蔵』というサインは確かに清蔵の書き癖があった。


 しかし、何をどう言われても書いた覚えのない清蔵は頭を振った。
「とにかく私は書いていない!書いていないのだから、たとえ許可が下りても紅屋を陰間茶屋などにしない!!」
「書いていないことはないんです」
 興奮状態の続く清蔵に中村は呆れながら、黙ってもらおうとタブレットを出して撮影していた動画を見せた。
「ほォら、あなた自身がサインをして、押印している。これを見てもまだみっともなくわめき散らしますか?」
「……!!」

 絶句した清蔵は、口を開けてタブレットの画面を見つめている。
 カメラアングルは、清蔵が書斎のデスクについている姿を背後から映しているものと、その逆側の前面から映している二画面あった。
 デスク上の陰間茶屋申請用紙がはっきり映るほど背面側からはカメラをズームしているが、前面のカメラは遠巻きだった。
 画面の中の清蔵の隣には中村が立っており、何やら清蔵に話し掛けている。
 やがて筆を持ち、申請書類に記入を始めた。そのまま中村が差し出した判を手にして、押印した。
 その様子はしっかりと、前面背面両方のカメラが撮影しており、動きは逐一連動していた。


「清蔵様。あなた自身が書かれたものですよね?違いますか?」
 中村の問いかけに、清蔵は返事ができなかった。
 したくてもできないほど、呆然としていたのだ。


 まずこの撮影はなんだ。
 当主の私の書斎に、隠しカメラが置いてあるのは何故だ。
 しかもこの時の記憶が一切ない。
 しかし、画面の中にいるのはまぎれもなく自分だ。
 時折ふらふらとしているようだが、自分に間違いない。

 薬を盛られた。
 その直後の朦朧とした状態で、陰間茶屋申請書類をこの男に促されるまま書かされた。

 そんなこと、許されるはずがない。
 だが実際にこの男は、暴力組織と手を組んでどんどんと自身のやりたいようにしている。
 この先ずっと、この男にとりつかれ、紅屋を弄ばれるのか。
 ずっとずっと…秀人やナオコの代だけではなく、次の世代、またその次の世代など、未来永劫中村の思うまま、紅屋は陰間茶屋としてやっていかねばならないのか。


 額から脂汗が幾筋も垂れてきて、呼吸が浅くなる。
 同時に動悸が激しくなり、清蔵は前を見据えたまま肩で息をしていた。
 中村は威圧感のある声で言った。
「紅屋が今の姿になるには、私をはじめ邪動組がずいぶんと力を貸してきた。それはそれは並々ならぬほど尽力してきたのだ。もう後戻りはできぬところまで
来てしまっている」

 清蔵は言葉がなかった。そこに追い打ちをかけるように中村が続ける。
「心配することはない。必ず陰間茶屋を大店にしてみせよう。なにせ、栄えある陰間第一号はナオコの弟シャマン。あいつに決めている。美形の彼なら
たちまち看板陰間になってくれるはずだ」
「な……!」
 ククク、とほくそ笑みながら話す中村の言葉は、清蔵の胸をさらにえぐった。


 シャマン。
 不器用で大人に甘えるのが下手な少年だが、遅くできた息子のようでとても可愛かった。
 頭も勘もいい子だから、将来は少々頼りないところのある秀人のいい相棒になってくれると思ったのに。
 そんな聡明で家族想いのシャマンを、息子の右腕にと考えていたシャマンを、こいつは自身の成功のために男どもの性欲の餌食にさせると言うのか。


 中村はとうにファイナンシャルプランナーの範疇から逸脱した行動をとっている。
 いや、もうこれでは彼が紅屋のオーナーではないか。
「中村…お前…」
 顔面蒼白の清蔵は、やっとの思いで言葉を口にした。
「この紅屋をどうしたいんだ…!」
 中村は大きく口の端を上げてにんまり笑った。
「もうわかっているだろう。認めたくはないのだろうが、紅屋を間抜けな二代目で終わらせたいのだよ」
「…!!!!!」


 気づいていた。
 自分が中村という男を見誤ったことを。
 紅屋を大店にした自尊心を持つそんな自分が、この男に対し大きな見込み違いをしたことを。

 言われるがまま、今まで交流のあった業者や仲間とことごとく縁を切ってきた。
 そのかわり、マフィアと手を結んでしまった。
 挙句に格式高い高級旅館だった紅屋を、陰間茶屋にするよう進めてしまった。

 認めたくなかったが、紅屋をこんな風にしたのは私自身だ。
 紅屋をもっともっと大きくしたい、その焦りと欲を中村につけ込まれてしまった。
 息子にもナオコにも、幹部の誰にも相談せずに独断でこんな大変な事態を招いてしまった。
 これから紅屋はどうなるんだ。こいつらの言う通りの道を歩まなければならないのか。
 秀人たちにどう詫びればいい?
 シャマンはどうなる、あの子の人生は私のせいでめちゃくちゃになってしまう。
 どうすればいい?どうすれば…。


 そう考えていると、清蔵の胸に今まで感じたことのないすさまじい痛みが走った。
「ぐぅ…!!」
 姿勢を保っていられなくなり、眼前のテーブルに突っ伏す。
 中村は清蔵が心臓発作を起こしても、慌てることなく冷たい視線でそれを見つめていた。

「っ…うぅ、〜〜〜〜!」
 苦しむ清蔵をそのまま見据えながら、中村は表情を変えずに口を開いた。
「紅屋のこれからのことで、まだあなたに伝えていないこともあるが…死にゆくあなたには関係のないことだから黙っておいてやる」
「…っ…?」
 まだ何かあるのかと言いたかったが、心疾患の発作が激しくてなんの反応もできない。
「…あなたに行ったことが序の口と思うぐらい、紅屋には厳しい試練が待ち受けているとだけ、お伝えしておこうか」
「……」

 意識が途切れる寸前の清蔵の耳に入ってきた言葉。
 清蔵は秀人やナオコ、シャマンを救えなかった無念の中、意識不明になって死亡した。