百華煉獄127
 当主の急逝に秀人たちは大きなショックを受けた。
 清蔵をひそかに父のように慕っていたシャマンも同様だった。
 近頃は怪しい連中とずっと書斎にこもっていた清蔵だったから、亡くなる前にあまり触れ合えていないことも悲しさを誘った。

 そして、清蔵の死の発見者が中村だったことにシャマンは不信感を抱いていた。
 清蔵に何かしたのではないか。
 堅気の世界の者ではないあいつなら何かをやりそうだ。

 紅屋の廊下で会った時のあの目。
 狡猾で人を貶めだますことに長けているあの目。
 子どもでも本能的に察知していたシャマンは、中村を警戒していた。



 二代目当主が亡くなったショックは、紅屋で働く全員を暗く覆っていたが、悲しみに浸ってばかりもいられなかった。
 三代目の秀人の引き継ぎがまったくできておらず、今後の経営について考えなければならない。

 
 秀人が喪主を務める社葬が済んだ三日後、秀人とナオコの三代目夫妻と幹部たち、また顧問弁護士が紅屋の大広間に集まった。
 財産相続や分与、これからの店のことを話し合うための集まりだ。
 シャマンは小学校へ行っており不在だった。


 現在、清蔵名義のものを確認のため彼らがひとつひとつ挙げているその時だった。
 中村がひとりで現れた。

 呼んでもいないのに当たり前のように近づいてくる彼に、秀人たちは不審な顔をした。
 しかし中村の次の発言に、その場にいた誰しもが驚愕した。
「先代清蔵は生前、紅屋のすべての権利を私に譲渡するという書類に判をついている。ゆえに、お前たちが今後の展望を考えている紅屋はすでに私が相続している」


 どういうことかと皆が眉をひそめる中、幹部のひとりがそれに返した。
「そんなバカな話があるか。清蔵様は自分の跡目は血を分けた秀人様が継ぐのだと、私たちは秀人様がお生まれになった頃からずっとそう聞かされてきたのだ!」
 ここ数ヶ月で接近してきた謎の多い男に、長年紅屋に心血を注いできた幹部たちは後に続く。
「そうだそうだ!一介のファイナンシャルプランナーごときに、清蔵様が今後の紅屋を託すわけがなかろうが」
「生前だと?あんたは前から怪しいと思ってたんだ!嘘っぱちをついてここをのっとろうだなんて、なんてヤツだ!」
 清蔵が紅屋を中村に相続しようなど顧問弁護士もまったく知らぬ話で、中村を訝しげに睨んでいた。

 清蔵の死の動揺がいまだ根強く残る中で、その悲しみも手伝って従業員たちはいきり立つ。
 しかし、罵倒されても中村は余裕の笑みを浮かべていた。
「これを見てもそう言えるのか」
 そう言って胸元から取り出したのは一枚の紙。
 紅屋の権利すべてを中村に譲渡するという相続書だった。


 悠々とした様子の中村は秀人にそれを差し出す。
「……?」
 秀人を中心に、皆がこぞってその紙を覗き込んだ。
 ここまでは誰も信じてはいなかった。
 しかしよく見れば『相続書』と大きく書かれた清蔵の文字の続きに、確かに『自身が死亡した際、紅屋のすべての経営権を中村喜市に譲渡する』という
これまた同じ清蔵の文字が続き、中村、清蔵ふたりの拇印が押されている。

「!!!???」
 あまりのことに、秀人らは声が出なかった。
 ただしこれは偽物かもしれない。
 怪しげな連中とつるんでいた中村のことだ。偽造などいくらでもできそうではないか。
「おい、この正確性を確認してくれ!」
 幹部らが顧問弁護士に確認を急ぐ。
 だが清蔵直筆だというこれは非の打ちどころのない、絶対的効力を持つ有効書類だった。


「お前も丸め込まれているんじゃないのか!」
 幹部らにあらぬ疑いをかけられて顧問弁護士は憤慨した。
「冗談じゃない、清蔵様にお世話になって三十年の私が、何故こんなパッと出の怪しいヤツとつるまなくてはならん!心外だ!!」
 『パッと出の怪しいヤツ』と指差された中村は、涼しい顔で言い返す。
「心外はこっちだよ。三十年も顧問弁護士をしていて、譲渡の話を一切知らぬ無能な男に罵られるとは」
「何ィ!!」

 幹部たちに続いて顧問弁護士も激昂した時、ずっと黙っていた秀人が仲裁に入った。
「やめろ!」
 紅屋側の男たちは皆一様にハッとして静かになった。
 秀人の隣にいるナオコは、この事態がどうなるのか固唾を飲んでいた。
「中村…これ…こんな書類を見せられても、まだ信じることはできない…父の字に良く似てはいるが、本物かどうかは父が書いているところを見ない限りは
信用できない。だから筆跡鑑定に回す」
 秀人が冷静に判断して出した提案に、頭に血が昇っていた幹部たちは一様に同意した。
「そうだ、こんな紙切れ一枚見せられても納得できない」
「出るとこに出ればすぐに悪事は暴かれるぞ」
「清蔵様が書いたという証拠を見せろ!」
 うさんくさく気味の悪いこんな男に清蔵様がすべてを託すわけがない。
 秀人をはじめ、ナオコも幹部たちも顧問弁護士も、みんな同じ気持ちだった。

「清蔵が書いたという証拠ねェ…そうですか、では見てもらいましょう」
 怒号が飛び交う混乱の中、中村は小さなデジカメを取り出し、大広間の宴会用のステージ背面の壁にそれを向けた。
 デジカメから大きく映し出された映像には、相続書を一から自分の手で作成し、拇印を押す清蔵の姿があった。


「と、父さん…!」
「お義父様…!!!」
 死の間際、清蔵にも見せた背面と前面の二方向から写しているあの映像と同じものだった。
 秀人とナオコはまぎれもなく清蔵自身が記入しているところを見て絶句した。


 中村はさらに追い打ちをかけた。
 紅屋を大きくするため清蔵に手を貸していたらこうなったと、数種類の書類を見せた。

 そこには、清蔵がファイナンシャルプランナーの中村に多額の借金がある旨が書かれていた。
 その額は想像の範疇を超えた四十億という大金だった。

 新しく始めようという紅屋二号店のために購入した土地は、死亡した清蔵のものであった。
 書類には『土地購入のため古瀬清蔵が借り入れた十五億の返済義務は息子の秀人に帰属する』とある。
 同様に、清蔵が作ったその他の借金の相続も息子の秀人で、土地代と合わせると書類に記された四十億になる。
 企画中の二号店と紅屋本店は一切関係しない。
 よって、紅屋の財産や客、また従業員など二号店には譲渡できない。


「……」
 秀人たちからすると、すべて寝耳に水のとんでもない話ばかりだった。
 そこにいる紅屋に携わる中村以外の全員が、現実と捉えられないほど唐突な話だったのだ。

 先ほど見せられた清蔵が相続書を書く様子は、こうなることを想定して故意に撮られたものではないのか。
 あの時の父の顔は、目が虚ろで焦点が定まっていない感じがした。
 心臓の病気のせいじゃない。あれは一服盛られたとしか思えなかった。

 なんて卑怯なんだ。
 タチの悪い男たちと手を組んで、息子のオレに多額の借金を背負わせ、見動きをとれなくさせて紅屋をのっとろうとしている。
 しかし、正当な書類を次から次に中村から見せられて、ぐうの音も出なかった。

 あの男がすべて仕組んだことだ。
 秀人はこの時初めて、中村という男の怖ろしさを知った。