絶句する秀人らに、紅屋を今後どうするか中村が構想を告げた。
まず、紅屋の廃業。
「先ほど紅屋の本店と二号店が無関係と言ったのはコレだ。二号店ができたところで、もう本店が存在しなくなるのだからな」
紅屋がなくなるなど考えたことのない秀人らは、それが現実になることを想像して息を詰まらせた。
そして中村は、新たに陰間茶屋街を展開することにも言及した。
「紅屋の顧客でお稚児趣味のある大物を抱え込んだ高級陰間茶屋を作る。そしてネオ芳町はその店を中心とした、陰間茶屋ばかりの一大歓楽街へと変貌するのだ。
国への申請書は清蔵の手で作られ、もうすでに認可されている。紅屋は今の宿泊客がチェックアウトしたら即取り壊す」
それらを叶えるすべての条件を手にしている中村は、自信たっぷりに微笑んでいる。
「それからすぐに陰間茶屋として新装開店させるための準備に取り掛かる」
話を聞いていた全員がハッとして顔色を変えたのを見て、さらなる笑顔を浮かべて中村は続けた。
「今いる従業員はそのままその店にシフトしてもらおうと考えている。屋号は『中村屋』だ」
紅屋を廃業することだけでも理解しがたいのに、紅屋の顧客を元手とした陰間茶屋を作る?
その店の名は『中村屋』だと?
秀人は黙っていられなくなった。
「いい加減にしてくれ!!あんたの口車と脅しに親父は従わざるを得なかったんだろうが、オレたちは何も知らなかった!そんなことに誰が納得するんだ、
従わないぞ!!」
「従わないと言われてもね、書類はどこも不備がなく完璧だ。なァ、顧問弁護士さん、そうだろう?」
弁護士は額に大汗をかいたまま穴が開くほど書類を見ていたが、中村の問いに無言でうなずいた。
紅屋の幹部らに、もうだめだというあきらめの空気が満ちる。
それを感じた秀人は叫ぶように訊ねた。
「彼らは…オレたちに譲渡できないというのはどうにか撤回できないか!?家族のように長年紅屋でやってきてくれた仲間なんだ!!!」
「ダメだよ、書類にはそう書いてあるだろう」
「っ、書類、書類…くそっ、またそれか!だからそれには…」
「秀人さん!」
頭に血が昇って中村に食ってかかる秀人を止めるナオコ。
それを見ながら、幹部のひとりが呟いた。
「私は…辞めさせてもらうよ」
「っ!!!」
ハッとして秀人がそちらを向くと、その者に続いて次々と皆が同調した。
「不備のない完璧な書類なんだろう?…だったらもう、どんなにあがいても無駄じゃないか」
「旅館ならまだしも、陰間茶屋なんて…それにこの男の下で働くなどとてもじゃないが無理だ」
「堅気じゃない人が関係しているところでなど、働けないよ」
「ああ、昔馴染みの業者たちと縁を切って、大勢の人間に恨まれてるんだ。そんなとこでやっていける気がしない」
この先、紅屋を潰した中村についていったところで、気持ちの整理がつかず納得できぬまま働くのは目に見えている。
それにマフィアとこれ以上関わりたくないという彼らは本音を吐き出した。
「だから、そういうことで…秀人様、ナオコ様…申し訳ないが、私たちは今ここで紅屋を辞めます。今までどうもありがとうございました」
「お前ら…」
苦渋の表情を浮かべて深々と頭を下げた幹部たちは、重々しい空気を纏ったまま大広間を出て行った。
そこには顧問弁護士も含まれていた。
「嘘だろ、おい…」
「……」
あまりのショックに秀人がひとり、小さく呟く。
夫の喪心を間近で感じて、ナオコは言葉を掛けられなかった。
そして、大広間には秀人とナオコ、そして中村の三人だけになった。
秀人は震える声で中村に問い掛ける。
「あ…あんた、最初っからこのつもりで…紅屋をのっとって、陰間茶屋にするつもりで親父に近づいたんだな…?」
中村は冷たい表情で秀人を見返すが、何も答えなかった。
「この…じいさんと親父が苦労して大きくした紅屋を…陰間茶屋だと?ふざけるな!!」
秀人は清蔵と同じように、紅屋を風俗店にすることに大きな嫌悪感を示した。
ナオコも、シャマンと同じ年頃の男児を性的な目で見る連中がいることすら虫唾が走るのに、ここの跡地に陰間茶屋ができるなどと激しく気分を害した。
ことはそれだけにあらず、この男に大借金を背負ってしまった秀人たち。
「四十億だなんて…そんな気の遠くなるような金…どうやって返せるってんだよ。何もかも取り上げられて、どう考えても返せる当てがないよ…」
中村は笑って、容赦なく言い放った。
「当てはあるぞ。死んで払うという当てがな」
「!!!!!」
ぎょっとする秀人とナオコ。
「清蔵は息子のお前が幼いころから生命保険をかけていた。それは知っていただろうが、その受け取り人は借金をしている私に変更された。額は到底足りないが」
また秀人にぎゃあぎゃあとわめき立てられても煩わしいので、その契約書を見せた。
「……!!!」
ショックで何も言えない秀人を、中村は小首をかしげてぞんざいに眺めている。
「『中村屋』だけではなくひとつの歓楽街を造ろうと言うのだから、金はいくらあっても足りないのだ。早めに返してくれ、頼んだぞ」
そう言って、『これ以上はもうお前と話すことはない』と立ち去ろうとした中村だったが、くるりと踵を返して追い打ちをかけた。
「自己破産という手続きをすることは不可能だからな。申請箇所はすべて邪動組の息がかかっている。お前の申請はことごとく許可が下りないと思っておいてくれ」
「っ……」
奥の手まで封じられた秀人のショックを見届けた中村は、満足そうにフッと笑って大広間を後にした。
