百華煉獄14
 大地はそのまま中村に導かれて、中村屋の寮に連れていかれた。
 シャマンも少し離れてふたりの後についてきた。


 寮は茶屋の裏にある敷地に設けられていた。
 裏と言っても敷地は広大で、茶屋とはかなり離れており、その上階部分が少し覗き見える程度だった。
 寮はふた棟あって、ひとつは見習いの子たち用、もうひとつは茶屋で働き出している子たち用とのことだった。
 大地が案内された見習い用の寮は平屋建ての長屋で、外観は清潔でとても綺麗だった。
 中に入ると外観同様美しく、玄関や広間はゆったりとスペースが取られていて、すべてが広々としていた。

(従業員用にこんな寮を用意できるなんて、ここのお店は大繁盛してるんだろうなァ)
 大地は中村に引率されて長い廊下を歩く。
 見えるものすべてが高価そうで、ずっときょろきょろしっぱなしだった。


 中村の説明では、どうやらこの寮には今現在十人ほどの少年が住んでいるという話だった。
 彼らはまだまだ見習いで、ここで寝泊まりしながら店に出るための研修を日々受けているらしい。

 また、研修を行う教育係や、オーナーの中村自身もこちらに住んでいるようだ。
 茶屋で働いている者に用意された寮には、三十人ほどが生活しているとのことだった。
 見習いと合わせてみると、約五十人。
 そんな大人数の面倒を見るなんて、中村はすごくお金持ちでいい人なんだと大地は感服した。


 一行は等間隔にずらりと襖が並んでいる長い廊下に進んだ。
「ここは見習いたちの部屋エリアになっている。ほら、ここが君の部屋だよ」
 中村に示された襖の右上には、『大地』と墨で書かれた表札が掛けられていた。

 大地は感激の面持ちでそれを見上げた。
 表札からは、ここの従業員として大地を迎え入れたという中村の想いが伝わってくるようで、とても嬉しかった。 

 この時間、寮生たちは皆研修中ということで、あたりはシンとしていた。
「大地くん、入ってごらん」
 笑顔の中村にそう言われて、大地は襖を開けた。

「わぁ…!!」
 大地は思わず感嘆の声を上げた。
 青々とした畳に、新品であろうぴかぴかの文机やたんす。
 広さは六畳ほどのこぢんまりとした部屋ではあるが、窓は大きく開放的で、太陽の光がさんさんと差し込んでいる。
 窓際に近づくと、丁寧に手入れされている中庭の木々の葉がさらさらと涼やかな音を立てて風になびくのが見えた。


 瞳を輝かせて部屋を見渡す大地に、中村はにこにこしながら言った。
「この寮では、見習いと言えどもこうやって個別の部屋を用意している。誰にも遠慮せず、のびのび過ごせばいい」
 大地は施設で育ったため、自分の部屋など与えられたことがなかった。
 みんなでワイワイ過ごすことに慣れていたから寂しい気もしたが、自分だけの部屋があるということは、その分自由に羽を伸ばして
気ままに過ごせる。
 しかもこんなに綺麗な部屋なんて、と純粋に大喜びだった。


 シャマンは大地の部屋に入らず、すぐ手前の廊下にいた。
 ふたりの方を見ずに視線は廊下の窓から外の景色に向けられていた。
 表情ははっきりわからないが、先ほどと同じような浮かない様子だった。

 大地は思った。
(オレはシャマンさんと一緒にいられることが嬉しいけど、ひょっとしてシャマンさんは迷惑なのかな。さっき話が途中になっちゃったけど、
中村屋さんでオレが働くことを知った時から様子が変わったもんな…オレ、後つけてきた変なヤツって思われてるだろうし…)
 わかんないけどさ、と強がってはみるものの、もしそうだとしたらショックだった。
 頼りにしたいシャマンに疎ましがられているということが悲しかった。

 ちらりと視線を送ってみるが、シャマンは中の大地たちから完全に視線をそらしている。
 関心がないのか気に食わないのか、あえてそうしているという意思が伝わってくるようで、それがまたこちらを落ち込ませた。

 後で直接聞いてみようか。
 でももし『お前の言う通り、一緒に働くなんて迷惑だ』なんて言われたら…と大地が悶々としていると、中村が声を掛けてきた。
「じゃあ、持ってきた荷物はここに置いておいて、今から身体検査と実際の茶屋の仕事を見学に行こう」
「あ、はい」
 大地は誘われるままに廊下に出て、中村の後に続く。


 すれ違う際、シャマンと目が合った。
 先ほどよりもますます厳しい表情だった。
 と同時に、悲痛な面持ちをしている。

「……?」
 シャマンにどう思われているかという、今抱いている不安。
 だがこの様子を見ると、それだけにしては何か妙だと大地は思った。
 気になるものの先に行く中村の歩みが早く、大地は慌てて小走りにその後を追った。



 見習いたちの部屋から少し離れた一角を、一行は歩いていく。
 このあたりの廊下には窓がなく、灯りは灯されているもののやや薄暗い印象を抱いた。
 いくつかの部屋があるらしく、中村がある襖の前で立ち止まった。
「ここだよ」
 その中に入るよう笑顔で促すので、大地は小さく返事をして中に入った。

 すると、中にはふたりの男がいた。
 ひとりはあごひげを生やした角刈りの男で、もうひとりはスキンヘッドだった。いずれも三十歳前後に見えた。
 ふたりとも非常に体格が良く、筋肉が目立つ肌に入れ墨を施している。
 角刈りの方は海流を表した波の柄をピチピチのタンクトップから伸びる両腕に入れ、スキンヘッドの方はというと着物の襟を合わせて
いないため、厚い胸一面に阿修羅の柄を入れているのがよく見えた。


 大地は入った途端、チンピラのような男たちの姿を見て尻込みしてしまった。
 彼らは今まで触れた美しい中村屋のイメージとは程遠い人間たちに感じたのだ。

「遅かったですね」
 角刈りの男が中村に言う。
「ああ、ここへ来るまでにちょっとしたトラブルに巻き込まれたらしい。シャマンが対応したようでことなきを得たとのことだ」
「そうですか」
 男たちが話をしている時、大地の背後の襖がシャマンによって閉じられた。
 シャマンは部屋に入ってきたものの、少し俯いてそのまま襖の傍に立っている。


「大地くん、ここではこれから中村屋で働く子の身体検査をしているんだ」
 新たに登場したいかつい男たちに対し緊張気味の大地に向かって、中村は笑い掛けた。
「ほら、ここでちゃんと働ける子かどうか、こちらが前もって確認しておかないといけないからね」
 中村に対してうなずくものの、この男たちは何者なのかという疑問が大地に大きく生じている。
 寺子屋にいる保健室の先生みたいな存在かなと思ったが、それにしては言っちゃ悪いがガラが悪そうだ。

「じゃあ大地くん、さっそく検査するから。まず身長と体重を計測するよ。着物は脱いで」
「…はい」
 みんなに見られながらの身体検査は恥ずかしいと思ったが、それを口にすることがはばかられる空気だった。
 そのため大地は黙ってふんどし姿になり、男たちに誘導されて計測を終えた。

 用紙に書きとめた大地のデータをスキンヘッドの男が読み上げる。
「身長百三十三.五センチ。体重三十.二キロ」
「それぞれ平均より数値がやや下ですね。まァ見た感じ明らかに小柄ですけど」
 データを元に、角刈りの男は大地を見て中村に話し掛けた。
 中村も大地を見ながらふんふんとうなずいて答える。
「そうだな。小柄な子どもが好きなお客様が大多数だから、いきなり背が伸びない限りはオールマイティにこなしてもらえる」

(お客様…?ということは、オレの仕事はやっぱりウェイターさんみたいなものなのかな)
いまだに自分の仕事内容がわからない大地は、中村たちの会話を聞いて探る他なかった。


 スキンヘッドの男はあごに手をやりながら、大地を上から下から眺めて言った。
「見た目はちょっとやんちゃな普通のガキって感じ…元気で健康的な少年の王道ってタイプっスね。こういう子が今一番好まれてますもんね〜」
「そうだろう、うちが今から新規開拓していきたいタイプなんだ。お客様からのご要望が増えてきたこともあるし、第一線で頑張って
もらおうと思っている」
 ニヤニヤと笑い掛けるスキンヘッドの男に答えながら、中村は目を細めた。

 ウェイターというつもりでその話を聞いていたが、それにしては何かがおかしい気がした。
 しかし何がどうおかしいのか、子どもの大地はうまく言葉にできない。
「さすが、ご主人様が直々にスカウトに行った子だけのことはありますね〜」
「よその店に取られた後じゃどうしようもないからな。その分、銭は使ったが」
「この子だったらすぐに超売れっ子になって、出した銭をすぐ回収してくれますよ!」
 男たちはなぜか異様に盛り上がっている。


 大地は自分のことなのに放ったらかしにされている気がして、自身を持て余していた。
 ふんどし一丁のままだったので肌寒く、着物を手に取ってシャマンの方を振り返った。
 中村たちの話がにぎやかになればなるほどなんとなく言いようのない不安感が募ってきて、思わずシャマンにすがってしまったのだ。

 シャマンは突然大地と目が合って一瞬ドキリとしたようだったが、暗い色を瞳に浮かべているのは先ほどと変わらない。
 浮かない様子は気になるものの、自分を避けているようだったシャマンがこちらを見ていたことが嬉しくて、中村たちの話が
盛り上がるのを背に大地は尋ねた。
「これ、もう着ていいのかな?」
 持っていた着物を掲げたら、シャマンはこちらに手を伸ばしかけて何かを言おうとした。
 だがそのすぐ後に、話をやめた中村が後ろから着物を取り上げた。

「まだだよ大地くん。検査はまだ終わってないんだから」
 間近に迫る中村は、糸のように細い目を三日月形に美しく歪ませて微笑んでいる。
 着物は『奪い去る』と表現するのが一番適切だと思えるほど強引で、大地はその迫力に少し圧倒されてしまった。