百華煉獄23
「なに、すぐに客座敷へ上がれとは言わん。デビューするまでにいろいろと勉強してもらうため研修期間を設けている」
 そう言いながらも、さっきは入って間もない大地を小泉の希望があるやいなや簡単に提供しようとしたくせに。
 大地を支えながら、『権力の亡者』と店の内外で陰口を叩かれている中村をシャマンは睨んだ。

「身体検査で判明したが、お前の菊門はいまだかつてないほどの逸物だ。ここ中村屋にとってなくてはならない存在になる。
拓海を超えるトップ陰間に君臨することができるんだぞ?」
 中村は興奮気味に、大地の身体が陰間としていかに武器になるかを説く。
 が、そんなことを言われても大地が今の状況をすんなり受け入れられるはずはない。


「ぃ…いやです、そんな仕事…」
 大地は視線を落とし、小さく言った。
 少し前かがみになり、布団に手をついている。どこに向けられたかわからない見開かれた瞳からは涙が溢れていた。
「オレは…ウェイターみたいな仕事だって思ってたから…」
「それはお前の勝手な思い込みじゃないか。勘違いしといて今さら嫌だと言われても困る」
 はっ、と鼻で笑って大地の意見を跳ねのける。


 説明を求めても、ろくにしようとしなかったのは中村ではないか。
 そう思ったところで大地はハッとした。

 父さん。
 父さんは知っているのだろうか。大地が陰間茶屋で働くということを。
 それをわかっていて、中村に預けたのだろうか。


 昨日院長室で初めて中村に会い、茶屋の従業員とはどういうものか聞いた時、説明の途中で橋本が割り込んできた。
 違和感を抱いたもののあの時はそれがなんだかよくわからなかったが、今思えば話をうやむやにされたような気がする。

「……!!」
 まさか、父さんが。
 自分を今まで育ててくれた、孤児院の子どもたちみんなの父親が。
 すべて知っていて大地に黙っていたと言うのか。
 急激に浮かび上がる怖ろしい考えに、大地の身体が大きく震え出した。


 そう思った矢先、中村の口からむごい真実が告げられた。
「とにかくお前はここ中村屋で働くんだ。それはもう私と橋本の間で取り決めたことだ」
「……!!!」
 大地は衝撃を受けて中村を見上げた。
「橋本は大金と引き替えに、お前を私に売ったんだよ」
「嘘だ!!!」
 頭に浮かんだ考えよりも、もっと非道で残酷な話だった。
 大地は嘘であってほしいという強い想いからそう叫んだ。

 中村は無慈悲にも、大地にすべてを教えた。
「あの院長さん、みなしごの面倒を見るすこぶる子ども好きな優しい男だと評判らしいが、実際のところ博打が…あ、博打ってわかるか?
金を使ってさらに金を得る賭けごと…ギャンブルって言った方がわかりやすいか。それがやめられないらしくてな」
 腕を組み、細い目で窓の外に視線を向ける中村を、大地は口唇を噛みしめながら見上げている。
「自分の持ち金の範囲で遊ぶならまァいいんだが、国や自治体から孤児院に渡される支援金に手をつけて、それを使いきってしまうと
さらには借金までして博打を打つほどヤツは溺れている。一言で言えば、立派なギャンブル依存症ってやつだ。そんな橋本が、作ってしまった
借金の尻拭いと、今後博打で遊ぶ金欲しさにお前をうちに売った。どうだ、納得したか?」


 大地は中村の説明を聞きながら、知らず知らずゆっくりとかぶりを振っていた。
 父さんが賭けごとをしているなど見たことも聞いたこともない。
 『太陽』では、父さんはただただ優しい、子どもたちみんなの良き父親だった。


「ぅ…うそ…嘘だ…」
 大地は中村から聞いた話と、自分が知る橋本とがあまりに違いすぎて混乱した。
 あの人は何も知らないんだ。
 中村に騙されているだけだ。
 そう思いたくても、院長室で橋本に仕事内容をはぐらかされた時の違和感が、今になってやたらと大地の胸の中で膨らみ始める。
 そしてそれは、今中村が言ったことと結びつけて考えると一番しっくりくるような気がした。


 呆然と見上げる大地に、中村は冷酷に告げる。
「嘘じゃない。なんなら後で電話でも掛けて直接確かめてみろ。確かめたところで同じ答えが返ってくるだけだろうが」
「…っ…」
 大地の呼吸はあまりにひどいショックで絶え絶えになっていた。
 薄い胸が動揺で激しく動いている。
 シャマンは大地を支えながらそれを感じとり、心を痛めていた。


「あぁそうだ、院長さんが言っていたぞ。お前がもしここを逃げ出すようなことがあれば、別の子どもを寄越してくれると」
「!!!!!」
 中村の言葉に、大地はぐっと身を強張らせた。

「ライタ…と言ってたかな、今九歳らしいんでその子と…あとまだ六歳と幼すぎるが、カイトという子の名前も出していた」
 この男は何を言っているのだろうか。
 ライタとカイトの名前を、なぜこの男の口から聞かなければならないんだ。
「陰間として実際魔羅の受け入れが可能になるというのを考えると、デビューするのはお前の歳以降が一番望ましいんだが…もう少し幼い者を
置いてほしいというお客様が先日いらっしゃったところだ。そういう方相手のお勤めを、彼らにお願いすることになるかもしれん」


 大地はそれを聞いて我慢ならなかった。
 すごい勢いで立ち上がって、中村の着物の胸元を両手で掴んだ。
「…!!そんなこと…!!あいつらをここで働かせるなんて、そんなこと絶対にさせるもんか!!」
 可愛い弟たちが、まだ幼い弟たちが、こんなところで男の性欲の餌食になるかもしれない。
 そんな話し合いを中村と橋本が行ったというだけで、大地は虫唾が走るほどの激しい嫌悪感に包まれた。

「絶対にあいつらをここへ連れてくるな!あいつらに手を出すな!!」
 興奮する大地の両手首を掴んで、中村は自分の着物からその手を引き剥がした。
 そしてぬっと首を突き出し、大地の顔を覗き込んだ。
「だったらおとなしく、お前が陰間として働くんだな」
「っ!」

 糸のように細い目が、自分を捕らえて怪しく光る。
 獲物を見据える蛇のような中村の迫力に、大地はひゅっと息を飲み込んだ。
「ここでお前が働いて、稼いだ金を橋本が受け取る。もし逃げ出すようなことがあれば、その代わり施設から別の子どもをあてがう。いずれも
橋本と私の間でできた取り決めだ」
「………」


 なんて怖ろしい話だろう。
 大地の身体から力が抜けていく。
「スカウトに行ったのは私だが、橋本が交渉に応じて望んだからこそお前はここにいるんだ。お前が陰間としておとなしく働けば、大好きな
『弟たち』を守れるぞ。何より世話になった『父さん』へこれ以上ない恩返しができるんだ。すべて丸く収まるじゃ
ないか」


 大地は頭の中に白いもやが広がり始めるのを感じた。
 視界も狭くなっていく。
 立っていられなくなって、膝から崩れ落ちた。
 中村に掴まれた両手を含め、大地の全身は虚脱していた。