座敷で見たあの光景。
拓海が小泉という初老の男にしていた行い。
あれを、今後自分自身がしなければならない。
決して大地が望みはしない、おぞましいあの行為を。
頬を幾筋もの涙で濡らして、大地は静かに言った。
「オレ…オレ、あの仕事以外ならどんなことでもします…一日中掃除しろって言われたらそうします、だから陰間の仕事だけは…」
「お前に仕事を選ぶ権限などあると思うのか。お前は陰間としてうちに来たんだ。陰間以外に仕事はない」
無駄だとは知りながら一縷の望みを掛けた願いを、中村は無情にも跳ねのける。
「忘れたか?陰間としてお前を引き取る代わりに私が橋本に大金を渡したことを。それにもう小泉様がお前のデビューを予約されている。
あの方は少年の尻の穴を舐めるのが大層お好きでね、なァに、満足いくまで舐めさせて差し上げさえすれば、別段無茶なことをする方ではない。
うちにとっても陰間にとってもいいお客さまだぞ、ウン?」
掴んでいた手をゆっくりと放し、中村はへたり込む大地と視線を合わせるように腰を下ろした。
そして泣いている顔を覗き込み、言った。
「それが嫌だったら、うちから出て行けばいい。その代わりに、お前のいた孤児院から別の子どもを寄越してもらう。それだけの話だよ」
「〜〜〜〜っ」
施設の中で最年長で子どもたちの面倒を良く見る、彼らのことが大好きな大地。
そんな大地にとって、その言葉は脅迫以外の何物でもなかった。
なかば誘拐まがいにでも売り物になりそうな子どもたちを連れてきて、売春させる。
陰間茶屋が乱立するネオ芳町随一のやり手オーナー、別名『ネオ芳町の王者』中村は、少年をがんじがらめにして意のままに操る術を
この上なく熟知していた。
抗いようのない現実。
フゥ、フゥ、と肩を上下させて泣いている大地の頬に手をやって、中村は言った。
「お前は…嗜虐心をそそる実にイイ顔をするな。しかもあの名門…十二分にお客様に可愛がってもらえる陰間になるぞ」
ニヤニヤと大地を値踏みする中村を見て、シャマンの視線が嫌悪を纏い、鋭くなった。
静かに自分を見るシャマンに気づいていたが中村は無視して続けた。
「あと、とても大事なことだ。私の許可なくこのネオ芳町から出ることはできないからな」
大地は少しだけ身体をぴく、と反応させた。
「入ってくる時に気づいただろう。高くて分厚い壁、出入り口の堅牢な警備。あれらはすべて、陰間茶屋に所属する少年たちが勝手に
外へ逃げ出さないためにあるものだ。我々陰間茶屋側と門の警備運営側とは、密接な連携体制が取られ、細かく連絡を取り合っている。
陰間には茶屋運営者の許可なしに、勝手な行動をとることは許されていないのだ」
そう言われてみればここで初めて中村に会った時、『門の方から連絡が入った』と言っていた。
たかだか街に入るだけなのに、このネオ芳町というところは度を超えた警備体制を敷いていると不思議だった。
また、入り口に入ってからそれがさらに厳重になることも大きな疑問だった。
その理由が『陰間』という、自分が関わってくる存在に関係していたなどと、あの時誰が想像できたであろうか。
逃げ出さないため。
その一言はこのネオ芳町の陰間たちの多くが、いかに過酷な、労働という名の性的虐待を受けているかを物語っている。
大地の頭にこの街の入り口を尋ねた中年女性の顔がよぎった。
尋ねた途端、彼女はずいぶんぎょっとした様子だった。そしてその後、寂し気な顔になった。
あの人は知っていたのだ。
このネオ芳町がどんなところなのか。
「一ヶ所しかないあのような出入り口の警備の目を盗んで突破など、まず無理な話だ。まァ今までの話を聞いてお前が逃げ出すとは考えにくいが…」
大地は目を見開いており、その頬を新たに涙が伝う。
その顔には表情がなかった。
それに反して、握りしめられた拳は力が込められて白くなっていた。
絶望に打ちひしがれる大地を見て、ずっと黙っていたシャマンが中村に対し口を開いた。
「もういいだろう。こいつはいろんなことがありすぎて頭が混乱している。それに、何度も吐いたから肉体的にも消耗しているんだ。
これ以上追いつめるな」
陰間見習いの身を案じて経営者を追い払うようなことを言い出すシャマンに、中村は気分を害した。
しかし今から来るVIP客の迎えもあり、何も言わずその場を去ろうと立ち上がった。
そこに、呆然としている様子の大地が声を掛けた。
「中村さん…陰間の人たちが外に出たいと願い出れば、許可してるんですか」
中村は失意の中で尋ねる大地を見下ろして、残酷な現実を述べた。
「…ないな。今まで許可したことは一度もないし、今後もそのつもりはない。…陰間には自由などないんだ」
「……!!」
もう二度と、ライタたちに会えない。
あの無邪気に自分を慕ってくれる可愛い弟たちに、もう二度と会うことができない。
中村の答えは予想できたことだった。
だがはっきりと告げられると、望むことや期待することすらできなくなり、大地は打ちひしがれた。
「ああ、大事なことと言えばもうひとつ」
中村は出ていこうと襖を少しだけ開いたが、何かに気づいたように振り返った。
「私のことは『中村さん』じゃない。『ご主人様』と呼べ」
細い目の隙間から冷酷な瞳が少しだけ覗いている。
今日何度も注がれた、『雇われる立場』をわきまえるように強いてくるあの目だった。
涙いっぱいの瞳で大地が黙り込むのを満足気に見届けて、中村は部屋を出ていった。