「シャマンさん、ありがとう」
大地は俯いたまま、シャマンにスマートフォンを返した。
シャマンは無言でそれを受け取った。
孤児院の院長と大地のやり取り。
シャマンには向こうの声は聞こえないが、大地の反応からすべて悟っていた。
大地が『聞きたくない言葉を聞くはめ』になったことも気づいていた。
「っ…、」
うなだれた大地の肩が小さく動いた。
「うっ…く、うええ…うああああん」
大地は声を上げて泣いた。
父親だと信頼していた橋本の正体が、中村の話の通りであった。
借金の尻拭いをさせるために自分を騙して陰間茶屋へ売り飛ばした。
子どもの性を食いものにするこんなひどいところへやっても、まだ父親だと言い張り、その言葉で縛りつけようとしている。
働くことの支えにしようとしていたものにこんなひどい形で裏切られてしまった。
電話を掛ける前に覚悟はしていたつもりだったのに、いざ橋本の口からそれを告げられると胸が張り裂けそうだった。
十一歳の大地にとって、すべてを受け止めるにはあまりにも辛い、過酷過ぎる現実だった。
橋本の裏切りを橋本自身の口から聞いて、ここへ来てからずっと張りつめていた心の糸が切れたのだろう。
なりふり構わずに大地は泣いた。
「ぐひ、ひっく…うあああああん、うああああああん」
両手で涙を拭いながら目の前で泣きじゃくる大地を、シャマンは静かに見守っていた。
まだ幼いのに、大きなものを背負ってしまった大地。
決して望みはしない世界で生きていかねばならなくなった大地。
手で拭うことが間に合わなくて、濡れたまつげの間からぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちていく。
「……」
そんな大地の肩にシャマンはそっと手を伸ばして、ポンポン、と優しく数回叩いた。
「っ…?」
大地は泣きわめいていたのに、びっくりして瞬時に静かになった。
「けじめをつけるために、良くがんばったな」
「……!」
疎ましがられていると思っていたシャマンが褒めてくれた。
涙と鼻水まみれできょとんと見上げる大地の顔を見ず、シャマンはゆっくりと立ち上がった。
「オレはもう行くから、今日だけはここで思う存分泣け」
「……」
背を向けて襖に向かうシャマンの後ろ姿を見つめながら、大地は思った。
ゴミ集積場で中村屋に来たと言った途端険しい表情に変わったのは、自分を疎ましいと思っていたからなんかじゃない。
シャマンは大地が陰間になるとも知らず中村屋に来たことを知って、哀れに思っていたのだ。
孤児院から来たという大地が、どういう取り決めでここへ来ることになったのか。
今からどんな風に説得されて陰間になることを受け入れさせられるのか。
中村の手口をよく知るシャマンなら、きっと予測していたに違いない。
そして、大地が陰間になることは、もう避けられないということも。
検査の時は、なんだかいやらしく盛り上がる中村たちの輪からひとり外れていた。
客座敷では小泉から自分を守ってくれた。
ぶっきらぼうだが、このネオ芳町に来てから優しくしてくれた唯一の人物だった。
シャマンが傍を離れることがとても不安だったが、いつまでも迷惑はかけられないと思い、大地は去りゆく背中に礼を言った。
「シャマンさん、いろいろとありがとう…」
シャマンは一瞬立ち止まって、背中越しに少しだけ振り向く。
「…ゆっくり休め」
一言だけ残して静かに襖を開き、部屋を出て行った。
しんと静まり返る部屋にひとり残されて、大地は急激な孤独感に襲われた。
叶うならば、『太陽』の子どもたちみんなに会いたかった。
だがこうなった今、それは無理な話だ。
自然に涙が溢れてくる。
「…っ…」
子どもたちへの恋しさ。
自分の境遇の哀れさ。
これからの日々への不安。
小泉への嫌悪。
中村への不信感と恐怖。
そして、橋本に対する絶望。
いろんな感情がないまぜになってわけがわからなかった。
ただ、シャマンが言うように思う存分泣いてみようと思った。
そうしたところでこの状況の何が変わるというわけではない。そんなのは子どもの大地でもわかっている。
だが、何もしないでいるよりはましだと思ったのだ。
大地はただただ、思うさま泣いて泣いて、泣き明かした。