大地は写真をそっと文机に置いて、口にできるものがないかともう一度バッグの中をゴソゴソと漁ったが何も見つからなかった。
そこに追い打ちをかけるように、ぐ~~きゅるるるる~~…ということさら大きな腹の虫の鳴き声が部屋に響く。
(…お腹…すいた…喉も渇いた…)
大地は座っているのも耐えられなくなって、情けなく布団に倒れ込んだ。
すると、襖の向こうでコトッという小さな音がしたような気がした。
「……?」
大地は半身を起き上がらせてそちらに注意を向けると、誰かが部屋の前から立ち去る気配がした。
(この部屋突き当たりだよな…こんな時間に誰だろ?)
少し気味は悪かったが自分に何か用がある者だったのかと思い、空腹で力の入らない身体を起こしてずりずりと四つん這いで進んで襖を開いた。
「!」
大地は驚いて目を開いた。
すぐ目の前の上がりかまちに、おにぎりふたつとお椀状のステンレス製ボトルがふたつ、そしてペットボトルの水とお茶が置かれたお膳があったのだ。
(誰…?もしかしてシャマンさん?)
大地はすぐさま廊下に出て、持ってきた人物を探した。
近くには誰もいない。
自分の部屋は廊下の突き当たりだから、その人物は一方向にしか行けないはずだ。
空腹を忘れて廊下を駆けた。
だが、その先の廊下にも人影はなかった。
しかも時間が時間のため非常口の緑のランプしか頼れる灯りがなく、ほぼ暗闇で視界が悪い。
「………」
多くの少年たちがまだ就寝中だろうこの時間、シャマンかどうか不確かな人物を大きな声で呼ぶわけにもいかず、大地はおとなしく部屋に戻った。
そのまま静かにお膳を部屋に運び入れた。
喉の渇きがひどかったため、まずペットボトルの水を一気に半分ほど飲む。
そしてステンレス製のボトルのひとつを開けてみると、湯気の立つ豆腐とわかめの味噌汁が入っていた。
なんとも言えぬふくいくたる香りが立ちのぼる。
唾液が口内ににじみ始めるのがわかった。
大地はたまらずそれを口にした。
(うわ、おいしい!!)
感激しながらもうひとつのステンレスボトルに目をやる。
そっちは味噌汁のボトルよりひと回り大きかった。
(何が入ってんだろ?唐揚げかな?ウィンナーかな?たまご焼きもいいなァ)
大地は期待満々でふたを開けた。
「……?」
そこには、折りたたまれた紙があった。
それを手に取るとその下からおかずではなく薄青の袋がふたつ現れた。
「なんだこれ?」
持ち上げると、どうも中に氷が入っているようでひんやりする。
「アイスバッグ…?」
期待していた分、おかずじゃなかったがっかり感は大きかった。
その次に、アイスバッグが入っていることの謎が芽生える。
手にしていた紙を開いてみた。
そこには走り書きで一言、『目 冷やしとけ』とだけ書かれていた。
「……!」
このアイスバッグは、長時間泣いたためきっと目が腫れているであろう大地を気遣った差し入れだった。
大地が泣いていること、ずっと食べ物を口にしていないことを知っているのは、シャマンと中村のふたりぐらいだ。
だがあの中村がこんなことをするはずはないと大地は直感した。
『思う存分泣け』。
シャマンの言葉が大地の頭に響く。
そして、メモに視線を移す。
『目 冷やしとけ』って、それだけ。
なんて無愛想でぶっきらぼうな文面。
(やっぱりシャマンさんだ…!)
きっと大地の部屋の灯りがついたのを知って、腹をすかせていると思いこれだけのものを調達してくれたのだろう。
(オレの部屋、奥なのに…起きたのがわかったってことは、もしかして何回も見に来てくれてたのかな)
そう思うと大地の胸にキュン…と何か切ない痛みが走った。
(ん?なんだこの感じ…)
シャマンのことを想うと、どうにもドキドキするというか、恥ずかしいというか、ソワソワしてしまうのにそれでもついつい考えてしまうと
いうか、とにかく形容し難い気分になってしまう。
経験したことのない妙な感覚に大地は戸惑った。
優しいシャマンに改めて感謝しつつ、おにぎりを口にした。
白米は艶々しく光っていて、ひと口かじるとうまみが広がった。味噌汁同様とてもおいしかった。
(…この状況は最悪だけど、今まで食べたどんなごはんよりおいしいや…)
今から始まる地獄の日々に戦々恐々とする中で、差し込んでくる一筋のあたたかい光。
ぱく、ぱく、とおにぎりをほおばる頬に、涙が伝う。
我ながらよく泣くなァと思ったが、さっきまで流していたものとは違う種類の涙だった。
泣いちゃうとまた目が腫れるなと思って、大地は思わずくすりと笑った。
「起床時間だー!各自部屋から出ろー!」
廊下で叫ぶ男の声で大地はハッと目を覚ました。
空腹感から解放された大地は、今度はお腹が満たされたことで再び眠気に誘われて知らぬ間に寝ていたらしい。
シャマンから差し入れられたアイスバッグはずっと目に当てていたため、どうにか腫れはましになったようで、顔の重たさも軽減されていた。
「ほら、全員さっさと部屋から出ろ!一番奥の新入り、早く出ろ!」
どうやら自分のことを言っているらしい。大地は慌てて部屋から飛び出した。
廊下には陰間見習いの少年たちが各自部屋の前に出て、一列にずらりと並んでいた。
部屋数に合わせて十人ほどいるように見えた。
中村の話では今現在十人ほど住んでいるということだったので、ここにいる彼らが見習いの全員と考えていいのだろう。
隣の部屋の少年は、子どものわりには筋肉がバランスよくついていて、ややがっしりとした身体つきをしていた。
背は大地より高かったが三センチ程度で、顔立ちはあどけなくて歳は自分とそう変わらないように見えた。
「シュウ!」
「はい」
「康平!」
「はい」
先ほどから叫んでいたと思える二十代半ばほどの男が、向こう側から順に少年たちの名前を呼んでいき、それにひとりひとり答えている。
どうやら毎日行われている点呼らしい。
男は手元に用紙を挟んだバインダーを持っており、顔と名前を一回一回チェックしながら何やら記入していた。
最後に呼ばれた大地も、他の少年に倣い同じように返事をした。
「では、朝食と身支度の時間に入れ。その後九時から各自の研修に移りなさい」
男の合図で少年たちはそれぞれ部屋に入ったり廊下の先に向かったりと、バラバラの行動を始め出した。
大地は自分がどうすればいいのかわからず、隣の部屋の少年に尋ねた。
「あ、あの、みんな今からどうすんの?」
「あぁ、それぞれ食堂で飯食ったり、歯ァ磨いたりすんだけど…」
「食堂…」
大地はこの寮の設備のことをほぼ聞いていなかった。
食堂と言われてもその場所がわからない。
大地が困っていることに気づいた隣室の少年は、少し呆れながら言った。
「お前なんも聞いてねーっぽいな。仕方ねェ、オレと一緒に来いよ」
「え…ありがとう!」
大地は少年の厚意に礼を言った。
ついさっき食べたばかりでお腹は正直すいていないが、右も左もわからないため、この少年にいろいろ教えてもらえるととてもありがたい。
少年は素直に礼を言われて恥ずかしかったのか、顔を赤らめた。
その照れを振り払うように、少年は大地の部屋を指差して教えた。
「洗顔セットとか歯ブラシとかあったら持って行けよ。なかったら売店で売ってるけど」
「うん、持ってるから取ってくる!あ、あとお膳…」
「?お膳?」
「夜中に持ってきてくれた人がいて…それ返すのって食堂でいいのかな?」
「ああ、一緒に持って行けばいいよ」
「うん!」
大地は親切な隣の少年に連れられて、食堂へ向かった。