百華煉獄29
 食堂は大地たちの部屋からそんなに離れていない場所にあった。
 寮にいる子どもたちがひとりだったりグループになったりして、おのおの自由に朝食を摂っている。


 食べ終わった食器を戻す専用の返却口があったため、先に大地は夜中に差し入れてもらったお膳を返した。
 そして隣室の少年に教えられるまま配膳の列に並んで食事を受け取った。
 メニューはあらかじめ決まっているようで、この日はごはんに焼き魚、油揚げと大根の味噌汁、卵焼きだった。


 隣室の少年が空いている席を見つけて大地に合図する。
 ふたりは他の少年たちが食事している間を縫って腰掛けた。

「オレ、ミナトってんだ。お前は、だい…大地、だったっけ?」
 点呼の際に聞いた名前をミナトは思い出しながら尋ねる。
 大地は自分の名を覚えていてくれたことが嬉しくて、微笑みながら答えた。
「うん、大地だよ」
「大地は、昨日入ってきたばっかだろ?」
「うん」
 ミナトは元気に卵焼きをぱくつきながら、簡単に自己紹介した。
「オレは三日前にここに来たんだ。大地が来たからこの寮で一番の新入りじゃなくなったぜ」
 ニカッ、とミナトは真っ白な歯を見せて笑った。


 大地は少し驚いた。
 ミナトの雰囲気から、彼はここへ来て最低でも一週間は経っているように見えたからだ。
 親切に教えてくれるのも新人らしからぬ手慣れた様子だし、何よりミナトからは『陰間茶屋で働くこと』の悲壮感がほとんど感じられなかった。


「大地、お前歳いくつよ?」
 ズルズルと味噌汁をすすってミナトは再び大地に尋ねる。
 大地は答えつつ、ミナトにも同じ質問を返した。
「十一だよ。ミナトは?同じぐらいだろ?」
「違ェよ、十六!」
「ええっ」
 てっきり同い年ぐらいだと思っていたため、大地は驚きを隠せなかった。

 ミナトは鼻息をフンッと荒げて言った。
「おい、オレはお前より五つも兄貴なんだぜっ」
「ご、ごめん…」
 大地は身を小さく縮めて詫びた。ミナトはフッと呆れ気味に苦笑した。
「別にいいさ。オレはチビだし童顔だから歳より若く見えるみてェだ。この仕事は歳取って見られるより若く見られた方が得な世界だしな。
若さも立派な商売道具ってことさ」


「……」
 元気なミナトを見ていると、ここが陰間茶屋だということを忘れてしまいそうだった。
 それに彼が陰間見習いの仲間で、それらしいことを彼の口から聞くとひどく違和感を覚えた。
 それぐらい大地には普通の少年に見えた。


「大地は陰間茶屋に勤めるの、ここが初めて?」
「う…うん」
「そうか、まだ十一だし、そうだよな」
 ミナトの言葉が気になったので、大地も聞き返した。
「…ミナトはここが初めてじゃないの?」
「ああ。前はネオ湯島天神境内って街の陰間茶屋にいたんだ」
「!」


 ミナトは陰間として働いた経験のある少年だった。

 聞けば十二歳の頃に両親が事故で死に、それを機にネオ湯島天神境内で陰間として働いていたが、そこの茶屋が廃業してしまい中村屋に
自ら志願して入ったと言う。
 『何故陰間として働くことを選んだの?』と問うと、妹が重病を患っていて莫大な治療費がかかるため、十二歳の子どもがその費用を
捻出するためには陰間が一番だったんだ、とミナトは答えた。

 妹は治療をやめればたちまち命の危険に晒される深刻な病状らしい。
 それに、医者からもっと高度な治療を勧められているから、是非それを受けられるようにしてやりたいと言った。
「妹の病気のことがあるから、オレは自分で決めて、納得して陰間になった。そりゃ本音を言えば身体売るなんてことしたくねェよ。
でもオレは兄貴として、できる限りのことをしてやりたい。金がないからって充分な治療が受けられなくて、あいつが死ぬなんてこと…
オレは絶対あいつをそんな目に遭わせたくない…!」
 明るく快活だったミナトに、暗く深刻な影が浮かぶ。


「……」
 状況は違えど、大地はミナトの気持ちが良くわかった。
 ミナトの妹がライタやカイトといった『太陽』の子どもたちの姿と重なる。
 大地は陰間という道を自分で選んだわけではない。
 だがここで働くことによって、彼らが大地と同じ道を辿る危険から守ることができるのだ。


「中村屋は陰間茶屋界のナンバーワンだろ?ここの売れっ子になりゃひと財産作れるって言われてんだぜ。だから、オレはここに入れて
すげェ嬉しいんだ」
 ミナトはどうだと言わんばかりに誇らしげに笑った。
 その笑顔に誘われて大地も微笑むが、それが寂し気なことに気づいたミナトは落ち着いた声で言った。
「みんなそれぞれいろんな事情で陰間になる。オレみたいに望んで来るヤツもいれば、そうじゃないヤツもいる。肉体的にも精神的にも
厳しい世界だけど、支えになるもんがあれば…ひとつでもあれば、やっていけるさ」


 大地はミナトの瞳をじっと見た。
 ミナトは見つめられてまた照れたようで、肩をすくめてはにかむ。

 ミナトから悲壮感を感じなかったのは、『身体を売って金を得ること』の覚悟ができているからだ。
 病気の妹のために陰間として生きる。
 その心構えが、揺るぎないものとして彼の中心にしっかりと据えられているのだ。

 ミナトは妹を想う一心で陰間になった。
 本当は身体の弱い妹の傍にいてやりたいだろう。妹だって、それが嬉しいに違いない。
 だが、会えなくてもいいから、彼女の命のために陰間になった。
 自由がないネオ芳町とわかっていて、中村屋の陰間になる道を選んだのだ。


「………」
 大地はミナトの話を聞いて、前向きな気持ちが自身に宿るのを感じた。
 決して喜べない状況に追いやられたが、実際陰間として生きている少年の言葉は、何よりも説得力を持って大地の気持ちを明るい方向へ
導いてくれた。
「支え…うん、そうだね」
 そう穏やかに笑う大地の顔から寂し気な影が消えたと気づいた途端、ミナトがすごい勢いで大地の皿から卵焼きを奪った。

「あっ!!!」
「へへ、もーらいっ!」
「何すんだよ!!」
「だってさっきからお前全然食わねェから、いらねーんだと思ったんだよ」
「卵焼きだけは食べたかったんだよ!!返せよっ」
 ミナトの箸の先につままれている卵焼きを奪還するべく、大地は直接かぶりつきに行った。
「うひゃっ」
 その剣幕にビビったミナトが油断した隙に大地はパクッとひと口で食らいつくことに成功。
 もぐもぐと卵焼きを咀嚼した。

「お…お前…意外と食い意地張ってんのな」
 感心しているのか呆れているのかぽかーんとした表情でその様子を見るミナトに対して、大地は卵焼き誘拐犯をじっとりとした目で見つつ、
勝者の証とピースサインを出してみせた。
「…ぷっ…」
「…ふっ」
 ミナトと大地は同時に噴き出した。
 そして笑っているうちに可笑しさが増してきて、ふたりは大笑いした。


 馬鹿馬鹿しいけど、こうやって笑えることが嬉しかった。
 大笑いすることを思い出させてくれたミナトが愛しかった。

 そんなふたりを食堂にいた他の陰間見習いたちが呆れたように見ている。
 それがまたなんだか無性に可笑しくて、ふたりの笑いに拍車を掛ける。げらげらと腹を抱えて笑った。
 まるで寺子屋の給食の時間に友達と遊んでるみたいだ、と大地は思った。

 もちろん、ここは陰間茶屋に他ならないのだけれど。
 笑っている自分たちを俯瞰で見る冷静な自分がいた。


 暗いフィルターが掛かっている向こう側で、楽しげに笑うミナトと自分。
 陰間茶屋だということを意識し出すとそのフィルターの色がどんどん濃くなり、ふたりの姿が見えなくなりそうだった。

 ここがどこだかはほんの束の間忘れることにして、ミナトと笑える幸せを大地は貪欲に味わった。