百華煉獄30
 ふたりはその後、ワイワイとにぎやかにしゃべりながら朝食を食べた。
 大地は夜中に食事をしたためお腹がすいておらず、卵焼き以外に焼き魚を少しつつく程度で済ませた。
 残ったものは全部ミナトがたいらげてくれた。

 ミナトは筋肉のついた身体が自慢のようだった。
 『この童顔にひきしまった筋肉って組み合わせ、意外と客受けがいいんだぞ』と言っていた。
 そのためにはもりもり食べないと、食べ過ぎてデブになったらそんときゃデブ専客を開拓すんぜ、と愛嬌のある顔でニッカリ笑った。
 大地は客の嗜好など良くわからなかったから、少しでも多くの客を得るためにそういうことを見越して行動できるミナトはすごいなァ、と
心底感心した。



 大地とミナトは洗顔ルームで身支度を整えた。
 そうしているうちに、時刻はそろそろ研修が始まる九時を迎えようとしていた。

 ミナトには食事の時に寮の施設及び場所をあらかた教えてもらった。
 研修を受ける教室にもいろいろと種類があるようで、教養室、礼儀作法室、実技研修室があると言う。


 ミナトは礼儀作法室に行くと言った。
 大地が自分は誰からも指示を受けていないと言うと、最初はみんな教養室で授業を受けるんだと教えてくれた。
 数日前に入ったミナトと同じ研修を受けられるはずはないと思ったが、親切な彼が傍にいないと心細かった。
 だが甘えてばかりもいられないと、大地は陰間になる第一歩として教養室にひとり向かった。


 教養室は食堂から少し離れた場所にあるとのことだった。
 大地はミナトに勧められた通り、近道のため中庭を通ることにした。



 大地の部屋から覗いていた場所だ。
 中庭と言っても広く、美しく剪定された木々がセンス良く多数植えられている。
 ここは風通しがいいらしく、木がしなやかに枝を揺らし葉がさらさらとそよぐ姿は、そのさわやかな音も相まってとても清々しかった。


(あっ)
 大地はハッとして歩みを止めた。
 壁面に沿うように植えられた庭木のひとつに、シャマンがもたれているのが見えたからだ。
 木々の緑にまぎれてしまいそうな、あの少しくすんだ薄い黄緑の髪の色は間違いなくシャマンだ。


 大地は夜中にお膳を持ってきてくれた礼が言いたくて数歩進んだ。
 だがそこに別の人物の声が聞こえてきたため再び足を止めた。


「うふふっ…ねェシャマン、デートしてよ」
 その声の主は、昨日座敷を見学した際に小泉の相手をしていた陰間、拓海だった。
 彼の姿は最初シャマンや木の陰に隠れて見えていなかったが、どうやらふたりきりで話していたらしい。

「…なんでお前がこっちにいるんだ。陰間が見習いの寮に来ちゃダメだという決まりを何度破ったら気が済む」
「えー、大目に見てよ。僕は指名トップの陰間だよ。お仕事は真面目にやってんだからご主人様だって見逃してくれるさ。ま、僕はそんな堅物な
シャマンが好きなんだけどさ」
 拓海はシャマンの胸を人差し指でつつきながら、上目遣いで微笑んでいる。
 それは昨日の小泉に向けていたような、小悪魔的な魅力に溢れていた。


 大地はとっさに近くの木に身を隠した。
 なんでそんなことをしたのかはわからないが、反射的に行動していたらしく気づいた時にはそうなっていた。


 そっと首を伸ばしてふたりの様子を覗き見る。
「ね~え、僕とデートしてってば。ねっ」
 拓海は両手でシャマンの手を取って、だだっ子のように下の方でぶんぶんと振っている。
 シャマンは握られた手を軽く払って無表情で答えた。
「お前とそんなことをする理由がない」
「あ~ん、つれないなァ~」
 残念そうに眉を八の字にして肩をすくめる拓海だったが、シャマンにつれなくされてかえって喜んでいるように見える。

 どうやら拓海はシャマンに好意を抱いていて、必死に気を引こうとしているようだ。
 それは幼い大地が見ても明確だった。
 そして、少々拓海が気の毒に見えるぐらい、シャマンがまったく相手にする気がないことも。


 拓海はシャマンに袖にされても全然めげず、果敢に挑んだ。
「もう、理由ならあるよッ。僕はあなたに貸しがあるんだもんね。デートしたらそれをチャラにしてあげる」
「貸し?」
 シャマンは眉間に深いしわを作った。
 その厳しい表情にも拓海は胸がキュンとなったようで、目尻を赤くして見上げた。
「昨日、小泉様とあなたが険悪になった時…あの時僕が入らなかったら、ちょっとヤバかったでしょう?」


 大地は小泉の名が出てきてハッとした。
 シャマンと小泉が険悪になったというのは、シャマンが自分を守ろうとしてくれた時の話ではないか。
 そういえばあの時、小泉とシャマンが大地をどうするかで対峙し一触即発だったところを、拓海が小泉に甘えることでギスギスした空気が消え、
なんとか丸く収まった。

 偶然にしては絶妙のタイミングだと感じていた。
 あの拓海の言動は、小泉が大地になびいたことに対して嫉妬していたわけではなく、シャマンのためだったのか。


「…あれはさ、あなたの立ち場が悪くならないように、僕があなたを助けてあげたの。…気づいてた?」
 拓海はあごに人差し指を当てて、口唇を尖らせながら微笑んだ。
 大地から見てもその仕草は魅力的で指名トップというのもうなずけた。

 シャマンは小さくため息をついてうなずいた。
「ああ」
「うふふッ」
 拓海は嬉しそうにシャマンに寄り添った。


「っ!」
 大地はそれを見て、なんだかイヤな気分になった。
 理由はわからないが、拓海がシャマンに触れることがとにかく不快だった。
 拓海は頭をこつんとシャマンの胸に預けた。マッシュルーム型にカットしたさらさらの栗毛が、その動きに応じて揺れる。
「だったら…デートしてよ。シャマンと外出できるように、ご主人様にはなんとでも理由つけるからさ」
 鼻に掛かった声で拓海は甘えながら、人差し指でシャマンの胸の辺りをくりくりといたずらしている。

「…昨日のことは感謝しているが、それとこれとは別の話だ」
 シャマンは胸に触れる拓海の手を取り、肩を抱いてその身をどけようとした。
 だが拓海は引かなかった。
 身をひるがえして、正面からシャマンに抱きついた。


「!」
 大地は思わず息を飲んだ。
 不快感が一気に増大する。

「おい拓海、いい加減にしろ」
「…僕、何回も言ったよね、シャマンのことが好きだって…」
 拓海はシャマンの胸に顔を伏せて呟いた。
 その声は切なさを孕んでいて消え入りそうに小さく、大地には届かなかった。
「ここへ来てからずっと、あなたのことだけを想って生きてる。…どんな客に抱かれても、あなたに抱かれてると思って必死に耐えてる。
こんな場所で本当に優しくしてくれるのはあなただけ。あなたが今の僕の支え…僕のすべてなんだよ。だからお願い、冷たくしないで」

 シャマンの存在を確認するように拓海は両腕に力を込めた。
 涙でにじみ始めた声には、陰間として生きていかざるを得ない拓海の切なる想いが込められていた。