シャマンは心情を聞いて、拓海が十三歳でここに来てからの日々を思い出す。
その美しい容姿からほぼさらわれるような形でここに連れて来られた拓海は、毎日毎日、朝から晩まで一日中泣き通しだった。
そんな少年がここ中村屋で指名トップの座を得るには、本人が望んだものでないとは言え並大抵のことではなかっただろう。
シャマンは彼を哀れに思い、ここへ来た当初からいろいろとフォローしていたのだ。
多くの少年が望まない売春をさせられる陰間茶屋という特殊な空間。
計り知れない寂しさややりきれなさで日々辛い思いをしている少年たちの中には、世話を焼くシャマンに心の安らぎを感じるのか、
恋愛感情やそれに似た想いを抱く者が少なくなかった。
教育係と陰間及びその見習いの間で、恋愛関係やプライベートな肉体関係を築くことは厳禁とされている。
それ以前にそもそもシャマンが少年たちに優しく接するのは、厳しい陰間の世界でその身の上を少しでも楽にしてやりたい一心に他ならない。
誤解を与えないため極力ぶっきらぼうにやり取りするのだが、その態度にかえって恋心を刺激されてしまう者も多くいた。
拓海はその典型的な例だった。
どんなに断っても、三年間もの間こうやってあきらめずに何度もアタックしてくる。
しかしここまで熱心に想われてもシャマンはその気持ちに応えるつもりはなかった。
拓海はシャマンの胸に顔をうずめたまま呟いた。
「デートはシャマンがその気になるまで待つよ…。そのかわり、ぎゅってして。してくれないと、このままだから」
「……」
シャマンはそのわがままに呆れた。
拓海には朝一番に官僚の予約が入っていたはずだ。
言い出したら聞かない拓海のことだ。ぐずぐずしていたらその太客を待たせてしまい、無用なトラブルを招きかねない。
仕方ないと思いながら、シャマンはその細い身体に両腕を回して抱きしめた。
拓海の肩がピクリと動いた。
そして、シャマンの腕に抱かれていることを実感するように見上げる。
その顔はほんのりピンクに色づいていて瞳はうるんでいた。
拓海のファンならずとも、美少年好きの者なら皆一気に鼓動が跳ね上がるほどの可憐さと色香を振りまいていた。
しかしシャマンは心を動かされることはなく、静かに拓海を見下ろしていた。
拓海はくすっと笑った。
「シャマン、ありがとう…嬉しい」
恋しい男に抱かれて充足を覚えた拓海はため息交じりに口にする。
そしてシャマンをじっと見つめたまま、その胸に手を添え、ゆっくりとつま先で立った。
「…キスしよ…?」
「わがままが過ぎるぞ拓海」
シャマンは抱きしめる腕の力を緩めた。
しかし拓海はというと、もう一度シャマンの背に手を回してさらに力を込めて抱きついた。
「んもう、ほんっとシャマンは簡単には落ちないなァ。僕、今結構本気出したんだけど。でもそういうとこが好きなんだよね、ますます燃えちゃう」
「……おい」
「キスはあきらめたから、もうちょっとだけこうしてて。一分だけでいいから」
「……」
シャマンはため息をついて、拓海のやりたいようにさせてやることにした。
「………」
大地はその様子を見ながら、知らず知らず拳を強く握りしめていた。
拓海とシャマンが触れ合えば触れ合うほど、胸に何やらもやもやとしたものが広がってくる。
覗き見なんていけないことだとわかっているのに、ふたりがこの先どうなるのか気になってその場から動くことができなかった。
「ほら、もういいだろう。店に行け」
シャマンは胸にもたれかかる拓海の背中をポンと叩いて、離れるように促した。
拓海はしぶしぶといった様子だったが、シャマンに子ども扱いされたことが嬉しかったらしく、頬を緩ませて従った。
「ごちそうさま。シャマンのおかげで今日一日がんばれそう。あ、でも、毎日してくれなきゃ僕もう座敷に上がれなくなっちゃったかも」
「…調子に乗るんじゃない。早く行け」
「はーい」
拓海は頬を赤らめて、踊るような浮き浮きした足取りで茶屋へ駆けていった。時折振り返ってはシャマンに投げキッスをしてくる。
やれやれと思いつつ、ゲンキンでわかりやすい拓海にシャマンは苦笑した。
大地はシャマンが拓海を見送る姿を見て、正直おもしろくなかった。
最初は拓海がわがままを言って困らせていると思っていたのに、シャマンはなんだかんだで彼の言うことを聞いてやっていた。
今も拓海を優しい目で見守っている。
自分が来るずっと前から、さまざまな少年たちがここでシャマンと知り合い、それぞれの関係性を築いている。
それは当たり前のことだ。
シャマンが自分だけに優しくしてくれているなんてそんな風に思っていたわけではないけれど、それでもやっぱり他の少年と仲良さそうに
しているのを見るともやもやの上に胸がちりちりとざわめいて落ち着かない。
しかもあんなに魅力的な拓海がシャマンに好意を寄せているなんて。
あの様子では彼はますますシャマンのことが好きになったに違いない。
きっと他にも、拓海と同じようにシャマンへ淡い想いを抱いている少年たちがたくさんいるのだろう。
(シャマンさんはみんなに優しいんだな…)
街中で見知らぬ大地を助けてくれたぐらいだ。そうだ、シャマンは優しい。
でも、その優しさが自分以外の人にも向けられているのかと思うととてもイヤな気持ちになった。
うまく言えないがシャマンには自分以外の人に優しくしてほしくなかった。
(…オ、オレどうしちゃったんだ?こんな意地悪な気持ち…なんでシャマンさんにだけそう思っちゃうんだろ?)
特定の人に対してそんな風に思うなんて。
こんな気持ちを抱くなど初めての経験で、大地は大いに戸惑った。
大地がひとりわたわたと考えを巡らせていると、シャマンが大地に気づいて声を掛けてきた。
「昨日は良く眠れたか?」
「!!!」
大地は飛び上がるほど驚いた。
そんな反応をすると思っていなかったので、シャマンもつられて身をたじろがせた。
「…どうした?」
「…いや別に…」
シャマンは拓海とのやり取りを大地が覗いていたことに気づいていないようだ。
「良く眠れたみたいだな」
シャマンはきつい印象を与える切れ長の目元を少しだけ和らげて、大地を見た。
表情を大きく変えたわけではないが、どうやら微笑んでいるような気がする。
「……」
これだ。
一見怖そうな人が、自分を心配してこんな優しい目で見つめてくる。
しかも超のつく美形。
不安でいっぱいの陰間生活の中、こんな目で見つめられたら…多くの少年たちがたちどころに参ってしまうのも仕方ない。
(イヤだな…シャマンさんが他の子に優しくするの…って、ダメだダメだ、こんな風に思うなんて良くない!…でもさっき拓海って子を
あんな風に抱きしめてるとこ見ると、自然にイヤーな気持ちになっちゃう…自分が良くわかんないよ、なんでこんな風に思うんだよっ。
ああもう、シャマンさんが思わせぶりだから!)
大地は落ち込みが激しくなるのと同時に思考が混乱して『優しくするシャマンが悪い』という考えが芽生え、少しばかり苛立ちの
ようなものを感じ始めてしまった。
(そうだよ、変に優しくされるからつい、こんなおかしな考えが浮かぶんだよ。シャマンさんが優しすぎるからいけないんだ)
急に表情がムスッとし始めた大地を見て、シャマンは少し意外な様子で尋ねてきた。
「どうしたんだ大地。機嫌悪そうだな」
シャマンはスッと大地の目の前に近づいてきて、首を傾げて顔を良く見ようとする。
大地はこれ以上シャマンに気持ちをかき乱されたくないと、その行為を制止するように大きな目で睨んだ。
「よ、夜中に運んでくれたお膳、おいしかった!ありがとう!!」
「…あ、ああ…どういたしまして」
シャマンは大地の剣幕に驚いたようで、きょとんとした目で大地を見下ろした。
大地はそのまま、シャマンの前から走り去った。
「なんだあれは…」
シャマンは呆気に取られてひとり呟いた。
「怒りながら礼言われたの、生まれて初めてだよ」
大地が何故あんな態度を取るのかわからないシャマンは、ぽかんとした表情で小さくなる後ろ姿を見つめていた。