百華煉獄32
 大地はそのまま教養室まで駆けていった。


 教養室の扉を開くやいなや、鋭い声が響いた。
「こら、遅いぞ!十分遅刻だ」
 そう言って壁面の大きな時計を指で示すのは、今朝方に寮で見習いの少年たちに点呼を行っていた男だった。

「す、すみません」
 大地は男に頭を下げて、慌てて教養室に入っていく。
 男は教卓の前にいて大きな黒板を背にしていた。部屋の造りは寺子屋の教室にそっくりだった。


「…あれ?」
 大地はきょろきょろと辺りを見渡す。
 陰間見習いのために用意されているであろう座席には、誰ひとり着いていなかったのだ。
 大地が不思議に感じていることを見抜いて男が説明する。
「今日の授業はお前ひとりで受けるんだよ。昨日見習いで入ってきた者はお前しかいないからな。とりあえずここに座りなさい」
 指差された場所は、男の目の前の席だった。

(オレひとりか…マンツーマンなんてなんかヤだなァ)
 こんな広い部屋に生徒は自分ひとりだけ。
 しかもどんな話をされるのかわかっていないため、心細さがなお募った。


 大地が席に着くのを見届けてから、男は自己紹介をした。
「私は並木と言う。陰間見習いの教育係のひとりだ」
 並木は黒目がちな瞳を細め、微笑みながら大地を見る。
 朝の点呼の時や今しがた遅刻をとがめられた時は怖そうな人だと思ったが、こうして見ると普通の青年だった。

「今日ここで私がお前に教えるのは、陰間という仕事がどんなものなのか、また中村屋で働くということがどういうことかというものだ。
入ってきたばかりの見習いの子どもたちが知っておかねばならない基本中の基本の話をする。いわば、陰間の授業だな」
 並木は教卓にあるいくつかのテキストらしきものに視線を移し、それらを縦にしてトントンと角を揃えながら説明した。


 教育係。
 シャマンもその立場にいるということだったが、彼も並木同様こんな風な授業を行っているのだろうか。
 だとすると、陰間見習いの少年たちはあの若く美しいシャマンに、話そっちのけで見惚れているのではないだろうか。
(シャマンさんとふたりきりで教えられる子とかいたのかな…ちょっとうらやましいかも)


 …とそこまで考えて、大地はハッとした。
(うわ、オレまたシャマンさんのこと考えてる…!!しかもうらやましいだなんて!)
 知らず知らず思考がシャマンに及んでいることにびっくりして、大地はそれを振り払うように首を振った。

「おい、どうした?」
 並木は大地が突然妙な行動をとったので、驚いて目を丸くしている。
「な、なんでもないですっ」
「しっかりしてくれよ」
 慌てて取り繕う大地を見て、並木は苦笑した。


「では、さっそく授業に入るよ」
 並木の授業が始まった。
 テキストを何冊か配られ、それを見ながら『陰間とは』から始まり、『陰間茶屋とは』を経てここ中村屋の話に及んだ。
「三大男色色街として名を馳せているのは、『ネオ芝神明社門前』『ネオ湯島天神境内』、そしてここ『ネオ芳町』だ。この三つの街は
他を圧倒する数の陰間茶屋を有して、男児を好む男性諸君に大人気の街だ」
 並木は大地の目を見て説明を続ける。
「その中でもネオ芳町は質の高いさまざまなタイプの少年が多くおり、客の満足度は他の追随を許さないと言われている。中村屋は
そのネオ芳町において、極めて上質な少年を多く所属させているのはもちろんのこと、最高級のおもてなしで人気・売上ともに
長年ナンバーワンの座に君臨し続けている店なんだ」

 並木は拳を握って続けた。
「陰間茶屋最高峰と謳われる中村屋で働くということがどういうことなのか、良く考えてくれ。そして、そんな中村屋の陰間になると
いう高い意識と心構えをしっかり持って、これからの授業を受けてほしい」


 大地は熱く語る並木に圧倒されていた。
 客にひとときの夢と快楽を与える陰間自身が、中村屋所属という高いプライドを持って客をもてなそうと思わないと、いい陰間に
なれないと熱弁された。


 そう言われても、希望してここへ来たわけではない大地は、並木の熱さに正直辟易していた。
 『いい陰間』というのもいまいちピンと来ない。
 拓海のように美しく魅力的な、指名トップを狙える人気陰間になれということなのか。


 並木は頭にクエスチョンマークの出ている大地に構わず、中村屋の細かい話に移った。
 客層は国家・政府関係者や市・街の有力者が多いとのことだった。
 そういう者らは金に糸目をつけず『お稚児遊び』と称して陰間茶屋で豪遊するので、中村屋にとって大変ありがたい客だった。
 彼らにはVIP客という位づけをして豪華な部屋や屋敷を用意していた。
 目的は、特別扱いすることで優越感を味わってもらいさらなる顧客化を図ることと、彼らの立場上、他の客と接触する機会をなくすためであった。

 昨日見学時に会った小泉も、並木の話では大きな建設会社の会長職に就いているとのことだった。
 並木は大地が小泉に『デビュー予約』されたことを知っていた。
「すごいじゃないか。見学で予約されるなんて前代未聞だぞ。よほど気に入られたんだな」
「はぁ…」
 笑顔で並木は褒めてくれるものの、大地はひとつも嬉しくなかった。


 有力者が多いとは言っても、もちろん一般客も大歓迎な姿勢を中村屋はとっていた。
 何せ陰間遊びをこれからたしなみたいという初心者はまず中村屋へ行けと言われているほどだ。
 高級陰間茶屋として敷居が高いかと思いきや、案外親しみやすく入りやすいというのも人気の理由だった。


 手渡された中村屋のパンフレットには、所属する少年たちが掲載されていた。
 全身と顔写真、その横には名前や年齢、身長、体重、そして一言自己アピールという、簡単なプロフィールが記載されている。
 それはいわば少年たちの商品カタログだった。 
 客にそれを見せて『今日はどの子にしようかな』と選ぶ形式をとっていた。

 少年の紹介ページの一番目にあの拓海が載っていた。
 整った顔立ちで上品に微笑んでいる。多分に色気があり、拓海の溢れんばかりの魅力を存分に伝える写真だった。
 指名トップの貫録を見せつけるその姿はとても綺麗で蠱惑的だったが、シャマンと話している彼の方が生き生きしていて大地には
魅力的に映った。
 その後には人気ナンバーツー、スリーと続いて二十名ほど載っていて、最後にはデビューしたばかりの陰間が
『フレッシュ・ニューカマー』として特集されている。
 このパンフレットは、人気順が変わったり新人陰間がデビューするたびに新しく刷りなおしているとのことだった。


 その後は男の身体の仕組みを教えられた。
 射精の経験の有無を聞かれ、初めて聞く言葉に大地が戸惑いながら『ありません』と答えるとテキストを使っての説明が始まった。
「ペニスとか魔羅とか…まァ呼び名はさまざまあるが、ちんちんを触ると気持ちいいだろう?」
 さも当然のように問うてくる並木に、大地は恥ずかしくて何も答えられなかった。
「触るだけじゃなくて、強くこすってみるとその『気持ちいい』って感覚が最高になって、ペニスの先から白い液が出る。それが射精だ」
 保健の授業さながら、男性器の各部位の名前、また勃起や射精のメカニズムについて並木は黒板やテキストの図解を使って大地に教えた。
 昨日の小泉や、今思うと身体検査時の角刈りの男の股間は硬くなり、大きく膨らんで反り返っていた。あの状態を勃起と言うのか。
 大地の知らないことばかりで目を白黒させながら話を聞いた。


 並木の話は男同士のセックスの方法にも及んだ。
 そもそもセックス自体を理解していない大地にとっては、未知の世界でさらに驚きの連続だった。

「陰間との性行為を行うにあたり、ほとんどの客が陰間の菊門にペニスを挿入することを好む。そして菊門内でピストン運動を行い、
その摩擦の刺激によって射精するんだ」
(昨日の小泉って客がしてたあれか…)
 あの時は目の前で繰り広げられていることがあまりにも理解不能過ぎてただただ圧倒されてしまった。
 だが、今並木からの説明を受けてやっとわかった。


 男同士のセックス。
 客は陰間のお尻の穴にペニスを挿入し、そこで摩擦して快感が最高潮に達したら射精する。

 小泉は興奮のあまり、無理矢理大地とその行為を行おうとした。
 中村屋に来る前に広場で大地の腕を掴んで旅館に連れ込もうとした中年男だってそうだ。
 性的な知識を持って昨日のことを考えれば、ヤツらの目的はいずれもそれで、回避できたもののそのままなし崩しに…と思うと、
生々しい恐怖が芽生えてなおさら怖ろしかった。
 大地は身震いがした。

 改めてシャマンが助けてくれたことがありがたかった。
 先ほど思わず怒ったような態度で接してしまったことを大地は恥じた。


 並木は大地の気も知らず、淡々と説明を続ける。
「客もさまざまだ。射精する際、そのまま陰間の菊門内で行う客もいれば、射精直前にペニスを菊門から出して外に射精する客もいる。
中にはペニスを挿入せずに他の部位でこすらせて射精する客や、陰間の裸体を見るだけで興奮して、自身でペニスをこすって満足する客もいる」

 最後の方の説明を聞いて、角刈りの男を思い出す。
 挿入はしていないものの、彼は勃起した魔羅を大地の菊門にこすりつけて快感を得ていた。


 大地は容赦なく話される陰間茶屋の実態に、本当は耳をふさいでしまいたかった。
 しかし無知のままでは陰間になれない。
 そのためいやいやながらも聞かざるを得なかった。


「客の嗜好はそれぞれだが、基本的には菊門にペニスを挿入されることと、手でこすること、あと尺八…口で客のペニスに奉仕して射精に導く、
この三つは陰間として生きる上で最低限、身につけておかねばならないことだ」
 目を見て説く並木に、大地は眉をひそめて尋ねた。
「口で…?」
 大地は嫌な予感がした。
 口でペニスに奉仕というのは、もしや…。

 大地がわかっていない様子に気づいた並木は、教壇を降りて大地の机に置かれたテキストのひとつを手に取り、あるページを開いて見せた。
「こういうことだよ」
「!!!!!」
 大地は顔を真っ赤にさせて絶句した。
 並木が見せたページには、少年が男のペニスを口に咥えているカラー写真がでかでかと掲載されていたのだ。


 勃起した男性器を口いっぱいに頬張っている少年は、ずいぶん苦しそうに見えた。
 その目は涙ぐんでおり、口元には涎が一筋太い跡を描いて垂れている。

「……!」
 嫌な予感が的中し、大地は言葉を失った。
「一応次のページには、細かいやり方が図解つきで示されている。また時間がある時に目を通しておいてくれ」
 大地がショックを受けていることに気づいて、並木は教壇に戻った。