「中村様、こんなむさ苦しいところですみませんが、どうぞお掛けになって下さい」
院長室へ入ると、橋本は先ほどの男にそう声を掛けた。
中村と呼ばれたスーツの男は、示されたソファをチラ、と目にはしたが、そこへは座らずに窓辺へと近づく。
そこからはバスケをして遊ぶ施設の子どもたちが見える。
子ども特有のかん高いはしゃぎ声が聞こえてきた。
「あの一番大きな子…いいですね」
中村の視線の先には、ライタの執拗なマークをかわしながら攻撃の指揮を執る大地がいた。
「年はいくつですか?」
淹れた煎茶をテーブルに置いている橋本を振り返り、中村は問うた。
「十一になりました」
橋本は中村の反応を伺うように上目遣いで彼を見る。
中村はクッ…と口の端を上げて笑った。
「ふむ…年の頃もちょうどいいし、見た目も可愛らしくていい。あんなタイプの子が欲しかったところだ。是非うちで働いてもらいたい」
その言葉を受けて、ぐびり、と橋本の喉が鳴った。
「そ、それじゃあ…」
ソファの横で立ちつくしこちらを見つめてくる橋本を、中村は腰掛けるように手で促した。
自身も腰掛け、ジャケットからペンと紙を取り出す。
「ええ、彼の契約金は今、小切手でお支払いしましょう」
サラサラとペンを走らせて記入した小切手をちぎり、橋本の前に差し出した。
すかさずすごい勢いでそれを奪い取り、額面を確認する。橋本はガバ、と顔を上げ、愕然とした様子で叫んだ。
「な、中村さん…聞いてた話と違うじゃありませんか!最初はもっと大金を渡すとあなたはおっしゃって…!!」
「勘違いしないでもらいたい」
橋本の反応に対し、中村はソファの背もたれにどっかともたれて答えた。
「最初に提示した金額は、彼を引き取った後生じる稼ぎを含めたものだと説明しただろう。まだ勤めてもいないのに、あんな金額は
渡せるわけがない。少し考えればわかるはずだ」
橋本の物わかりの悪さに中村は呆れ、敬語で話すことを放棄している。
ソファにもたれる態度は横柄なものに変わっていた。
中村の説明を受けても、橋本は納得できないのか口唇を噛みしめていた。
少しの沈黙が流れた後、中村は静かに言った。
「橋本さん…ひとまずこの額面で、あなたがこしらえてる借金の全額…とまでは言わないまでも、大半が返せるはずだ」
橋本はそう言われて口ごもる。中村は続けた。
「ギャンブル狂で国や自治体から渡される支援金に手をつけ、その上それが足りなくなると複数の金融会社に借金をしている。
挙句、首が回らなくなってきたらこの施設の子どもを陰間茶屋に売ろうってんだから…あなたもひどい人だ」
テーブルを挟んだ向こうにいる橋本は、視線を落として黙っていた。今中村が言ったことはすべて事実ゆえ、何も言い返せない。
中村はそんな橋本に、腰をかがめて下から覗き込むようにして尋ねた。
「自治体の人間やこのあたりの住民がそれを知ったら、どんな顔をするだろうね?」
「そ、それは脅しか!話を持ち掛けてきたのはあんただろうが!!」
言われ通しで悔しかったのか、中村の物言いに苛立った橋本は毛深い手を握りしめて食ってかかった。
中村は余裕の表情で肩をすくめてみせた。
「脅しだなんてとんでもない。私は陰間茶屋の主人として、いい商品になりそうな子を日々探している。今回うちの者が私に
寄越した情報を元にここへ来て、私自身の目で見てこれはいいと思える子がいた。その子がたまたまみなしごで施設におり、
たまたまそこの院長がいろんなところで借金をつまんであっぷあっぷしている、周りからの評判がすこぶるいいあなただっただけのことだよ」
中村の言葉に、橋本の握りしめた拳が小さく震えている。
クッ、と笑って、中村は口元に弧を描いて囁いた。
「お互いに悪い話じゃないだろう?あなたも彼のおかげでまとまった金が入り、借金があらかた返せる。私は商売繁盛、さらに店を
大きくすることができる」
中村はソファからゆらりと立ち上がる。そのまま橋本の隣に、ゆっくりと近づいた。
「なァに、彼なら必ず売れっ子の陰間になる。お話した額の何倍もの金を稼ぐ可能性は非常に高い。ネオ芳町の王者と呼ばれるこの
中村の言葉を信じていただきたい」
ネオ芳町を一大陰間茶屋街に仕立て上げ、かつ中村屋という最大手の陰間茶屋オーナーである中村喜市。
ネオ芳町の創設者。
ネオ芳町の王者。
それは中村のひとりよがりではなく、まぎれもない彼の真の姿であった。
中村の物言いは気に食わないものの、やり手で権力を持つ彼の話が実現することを考えると、橋本は大いに魅了された。
そんな気持ちを汲むように、目線を合わすため腰を曲げ、中村は最後の一言を告げた。
「…そうなったら橋本さん、あなたは一生、大好きなギャンブルだけをして過ごせるんだよ?」
橋本を捉える細い目は、微笑んでいるため三日月形をしている。
それにつられるかのように、強張りながらも橋本は笑みを浮かべてうなずいた。
中村はそれを確認してスッと腰を伸ばした。その表情から笑みは一切消えていた。
「契約成立だな。彼をここへ連れて来てくれ」
