百華煉獄42
 次の日も点呼のために廊下で声を掛ける並木の声で目が覚めた大地は、慌てて部屋の外に並んだ。

 少年たちが端から順に名前を呼ばれている合い間、隣のミナトが大地の方を向いてニカッと笑い、軽く手を上げた。
 口パクで何やら言っている。どうやら朝の挨拶らしい。
 大地も笑って手を上げ、こっそり挨拶を返した。

 ミナトの後頭部に大きな寝グセがついている。その様子が滑稽で、大地は噴き出しそうになった。
 そしてふと自分の頭に手をやると、同じ場所に寝グセがついているではないか。
(お揃いだ!)
 そう思うとなんだか可笑しくて、笑いをこらえるのに必死だった。


 ミナトがくれた軟膏は効果絶大で、今では痛みも異物感もほぼないと言っていい。
 つい一日前まではミナトのことを何も知らなかったのに、今では大事な大事な友達になっていた。

 ここに来なければ小柄な身体で人一倍たくましいこの少年に会うことはなかったのだ。
 そう考えると、縁って不思議なものだなァと思えた。
 こんなところに来なければならなくなった運命を正直なところ呪いもしたが、ミナトと巡り会えたことには感謝していた。



 そのままミナトと朝食をとり、朝の支度を済ませた。お揃いの寝グセはお互いの指摘でちゃんと直した。
 今日の午前の授業は礼儀作法だ。ミナトと同じ授業を受けられることが嬉しい。
 ふたりは揃って、所作・たしなみを学ぶ礼儀作法室へと急いだ。


 廊下を歩いていると、きょろきょろとあたりを見渡している並木を見かけた。
 何気なく見ていると大地に視線を止めて呼び掛けてきた。
「ああ、いたいた」
 どうやら大地を探していたようで手を上げてこちらに向かってくる。

 どうしたんだろうと思っていると、並木は早口で伝えた。
「大地、今日のお前のスケジュールが一部変更になった。午前は礼儀作法の授業じゃなく、実技研修を行ってもらう」
「えっ」
 驚きの声を上げる大地に並木は続ける。
「カリキュラムの組み直しがあったんだ。大地の場合実技の時間をしっかり取ろうということになった。午前は尺八練習で、午後は最初の
予定通り、挿入の練習だな」
「……」
 並木は見習いのカリキュラムやプロフィールなどが記載され共有できるタブレット端末を見ながら告げた。
 大地は困惑のあまり、並木から視線を外した。


 嫌だけど、午後からだと思ってなんとか憂鬱な気持ちを誤魔化していたのに。
 ミナトと受けられる礼儀作法の授業で、少しは気持ちが晴れると思っていたのに。
 突然の話に、心の準備が整えられない。


「だから今から実技研修室に向かいなさい。ミナト、お前はそのまま礼儀作法室だぞ。早く陰間の基本所作や話し方を身につけるんだ。
今からオレがみっちり教えてやる」
 礼儀作法の先生でもある並木にそう言われて、ミナトは口を尖らせる。
「あーめんどくせー」
 うんざりした様子を素直に表すミナトに、そんなに礼儀作法の授業が嫌いなのかと並木は苦笑する。
「そんな姿勢じゃいつまで経ってもデビューできないぞ。ふたりともがんばりなさい。オレはトイレに行ってくるからな。ミナト、逃げるなよっ」
 並木はそう言い残して、急ぎ足で去っていった。


 急遽行われた授業変更に、大地は一気に気が重くなる。
 ミナトは大地の戸惑いが伝わるのか静かに黙っていた。
 しかしこうしていてもお互い遅刻するだけなので、大地は力なく笑って言った。
「…じゃあオレ、実技研修室行ってくるね」
「ああ。…気ィつけろよ」
「……?」
 ミナトの言葉が意味深で思わず見つめ返したが、彼はそれ以上何も言わず、軽く手を上げて踵を返した。
「…うん」
 大地は良くわからないなりにミナトに小さく返事をした。
 そしてその場でゆっくり振り返り、重い足を運んで実技研修室に向かった。



 どんなにイヤだイヤだと思っていたって、ここで研修課程を修了しなきゃ中村屋の陰間にはなれないんだから。
 ミナトだって、苦手な礼儀作法の授業を我慢して受けてるんだ。オレもがんばらなきゃ。
 そうやって萎える気持ちをどうにか奮い立たせ、大地は廊下を進む。
 やがて実技研修室に辿り着き、ドキドキしながら扉を開いた。


 部屋には誰もいなかった。
 昨日のように実習に励む姿はおろか、研修を受けるために集まっている少年も見当たらない。
 教育係だって誰ひとり現れる様子はない。クロマサも不在だった。


 大地はひとまず中に入った。そしてそのまま奥の窓際に近づく。
 外の景色は相変わらずのどかで、中庭に数羽の雀が飛んで来た。
 チュンチュン、と鳴きながら仲睦まじく跳ねている雀たちを良く見ようと身を乗り出したその時、背後から肩に手を置かれた。
「っ!」
 人の気配をまったく感じていなかったので、大地は飛び上がりそうなほど驚いた。

「あらら、びっくりさせちゃったかな?すまんすまん」
 それはクロマサだった。
 謝ってはいるが悪びれる様子はなく、むしろ大地がびっくりしていることに満足気だった。
「お前の実技の教育に力を入れようってんで、予定が早まったんだ。初尺八の相手がオレだってことにゃァ変わりはないがな」
 ふふん、と鼻を鳴らしながら笑って、クロマサは大地の肩に手を掛けたまま、強引に部屋の中央へと連れていく。
「ぁっ」
「そんな隅っこなんかじゃなくて、気持ち良くど真ん中でいたしましょうや」
 肩に置かれた手は分厚く、有無を言わせぬ迫力があった。
 そんな風にされると、クロマサがいかに大男かを思い知る。


 大地は部屋の中央に来るのは嫌だった。
 他の少年や教育係に、尺八の練習を見られたくなかったのだ。
 昨日はどちらかというと人目につきにくい端で練習したこともあって、できることなら片隅にいたかった。


「さてさて」
 クロマサは大地の前側へ回り込んだ。そしてふところから並木も持っていたタブレット端末を取り出して、それを眺めた。
「十一歳。性的経験ゼロ。セックス・尺八の知識なし。精通なし。発毛なし。座敷見学時にデビュー予約あり。顧客ランクAクラスの
小泉源太郎様」
 どうやらタブレットには大地のプロフィールがすべて記載されているようだ。

 クロマサは続いて読み上げた。
「身体検査の評価、菊門は狭小。大人の中指一本、それも半分がやっとで、それ以上の侵入が困難なほど。ただし、具合はSランクの名門。
恐怖、苦痛に耐える表情は官能的。将来性高し。顧客ランクはAより上で、サディストな方にお勧めしていきたい」
 このプロフィールは、少年たちの身体的特徴や研修内容、またその結果を記入していくカルテのような役割も担っていた。
 大地は最後の方はほとんど意味がわからなかったが、聞いていて胸が悪くなった。

「実技研修一日目の挿入練習は薬指一本の挿入で少し拡張を行った、か」
 昨日の結果はシャマンが報告したものであろう。
 クロマサはタブレットをふところに戻して、大地をじっと見つめた。


 品定めするようなじっとりとした視線。
 タブレットから伝えられる大地の現状を、本人の顔を見ながら頭の中で反芻しているのか、ニタニタと笑うものの瞳は怪しく光っていた。

(……)
 体格のかなりいい大男に至近距離で見下ろされて、大地は視線をそらした。
 えも言われぬ威圧感。クロマサの顔をまともに見返すなど耐えがたかった。


 そんな大地の心を読み取ったのかクロマサは大きくごつごつとした手で大地のあごをとり、上向かせた。
「入って三日目でまだこのレベルか…シャマンも厳しいようで甘いな」
 目をそらしていたものの、シャマンのやり方を非難するようなクロマサの口ぶりに思わず大男の目を見返した。


 シャマンさんはオレのことを思いやってくれているのに。
 何も知らない下衆な男に、そんな風に言われるのは腹が立った。
 怒りの火が灯った瞳で自分を見る大地を無視して、クロマサはにっこり笑った。

「午前はオレたち以外だーれもここに来ねェから、ふたりっきりの時間を愉しめるなァ」
「えっ」
 クロマサの言葉に、大地は目を丸めた。
 目の前のスキンヘッドの男は大地のあごに掛けていた手を放した。
 そして片側の口の端をぐいっと上げて微笑んだ。
「たまたまお前以外に実技研修するヤツがいないのよ」
 困ったように眉根を寄せて首を傾げるクロマサを見て、大地は呆然とした。


 実のところ大地の実技研修が午前中に組み込まれたのは、クロマサが言い出したことだった。
 朝イチにクロマサが自身の今日の実技スケジュールを確認している際に、大地のプロフィールを眺めていて『これは挿入練習に時間がかかる
見習いだから、少しでも早く尺八をマスターしてもらった方がいい。こういう見習いには実技研修の時間を多く割く必要がある』と並木に熱弁したのだ。
 午前と午後に実技を行うのは入って間もない子にとって心身ともに負担になると並木は反対したが、そこは任せておけ、とクロマサは
自信たっぷりに豪語した。
 なので並木は『お手柔らかにな』という言葉とともに、承諾したということだった。

 今日の午前は、実技以外の授業や研修を受けている見習いばかりのはずだ。
 クロマサは全体の教育スケジュールを見て、大地とふたりきりになって思う存分その身体をいたずらできると目論んでいたのだ。
 その下心をありありと浮かべてクロマサは大地に微笑みかける。
「お前もその方が気が散らなくていいだろ?心置きなくオレのちんぽこ舐めたりしゃぶったりしてくれて構わないからな」
「………」


 大地は閉口した。
 こんなに下品で気味の悪い男とふたりきりで性的な行為に及ぶなど、考えただけでゾッとする。
 そんなことならまだ周りに人がいてくれた方が何倍もマシだった。