実技研修室にひとり残された大地は、あまりのショックにしばらくその場所から動けないでいた。
しかしずっとここにいるわけもいかず、呆然としたまま部屋を後にした。
その際、頭がぼーっとしていて自分が今何をしているのかひどくあやふやだった。
クロマサが出してきた尺八グッズを片づけたのかどうかや、シャワーは浴びたもののその間何を考えていたのか、またその後に自分の部屋へ
戻ったことなど、ほとんどの記憶がおぼろ気だった。
ただ、脱がされてその上でさんざんいやらしいことをされたため畳の上でしわくちゃになっている着物を見た時、『あー、このままこれ着てったら
まずいなァ。着替えなきゃ』と思ったことだけはなんとなく覚えていた。
別の着物に着替え、自室を出た。そして食堂へ向かうため廊下を歩く。
道すがら頭の中で先ほどのできごとが蘇る。
(ご主人様が来ていなければ、オレはクロマサに犯されてた…)
クロマサは必死に言い訳していたが、あれはセックスそのものを行おうとしていた。
もし中村が来ずに想いを遂げられていたら、その後シャマンやミナトに隠し通せていたか自信がない。
『口裏合わせといてくれ』などと言われたが、手篭めにされて平然としていられるはずがなかった。
犯されるということは、ここにいられなくなるという大変なできごとなのだ。
偶然、本当に偶然、中村がクロマサを探していたから、どうにか回避できただけのことである。
改めてそう思うと怖かった。
それにそういうことを抜きにしても、クロマサから受けた恥辱はそれはそれは怖ろしいものだった。
自分という存在が他者から貪られる怖さ。
圧倒的な性的快感を無理矢理与えられる怖さ。
それは自我が失われてしまいそうな暴力的な強引さでもって、性的支配されてしまうことへの本能的な怖れであった。
力ずくで身体に触れられて、嫌で嫌でしかたがなかった。
それなのに、気持ちいいと感じてしまう、そういう自分すら嫌悪の対象になる。
快感が高まる中、猛烈な尿意に似たような感覚を抱いた気がしたが、それが爆ぜた後は着物や畳が別段濡れている形跡はなかった。
あれはなんだったのだろうか。
しかし、クロマサから直に感じた男の『性衝動』『性的欲求』があんなに凄まじいものだということが、何にも増して怖ろしかった。
初日に広場で会った中年男や小泉とは比べものにならない男の荒々しい本性に、初めてリアルに触れた気がした。
自分の身体を舐めまわし、有無を言わせず愉しんだ。
最後の手淫などはただ手で魔羅をこすっているだけなのに、ただならぬ屈辱を与えられ、大地の尊厳そのものを穢された気がした。
それほどクロマサは異様な迫力でもって、大地を性的に蹂躙した。
陰間という仕事。
クロマサは『こういうものだ』と言わんばかりに生々しく大地にそれを教えた。
陰間茶屋に来る客たちは陰間の性を執拗に追い求め、彼らの感情など一切ないに等しいただのもののように扱うという現実。
まだ年端もいかぬ少年たちを『性的玩具』と呼ぶに相応しい、自分たちの欲望のはけ口としか見ないのだ。
クロマサは教育係だったが、今のようなことを今後客相手に日々行わなければならない。
客に求められるまま自分の身体を自由にさせる。
大地にとってそれは身体だけではなく、心をも自由にさせることと等しかった。
大地は割り切ったミナトに触発されて、陰間として生きていく覚悟を決めたつもりでいた。
だがいくらそのつもりになっていたところで実際クロマサの性的欲求を目の当たりにすると、『陰間を生業に生きていく』という決意が
生半可だったことを思い知った。
少しばかり培えたと思っていた自信が、自信と呼べる代物なんかではなかったことも。
もうここで生きていくしか道はないのに。
ここにきても、まだ怖気づいている。
いつまでも肝を据えられない臆病な自分に嫌気が差す。
頭の片隅に『それも無理のない話だろう』という言い訳めいた気持ちはあった。
ほんの三日前まで、大地は普通の子どもだったのだ。
セックスも、陰間という存在も知らない、無邪気に孤児院の弟たちとバスケットボールを楽しむ、普通の子ども。
自分と同じ『少年』と呼ばれる世代の男子を性の欲求を満たしてくれる存在として見る男たちがいることも、それがビジネスとして成り立つほど
需要があることも何も知らなかった。
突然身売り同然に売られてきて、たった数日ですべてを受け入れろと言う方が無理な話だ。
だが、どんなに無理な話だろうがそれが大地にとって変えようのない現実なのだ。
ライタやカイトを守るためには陰間として生きていく以外の道はない。
なのに、クロマサに植えつけられた恐怖心が大地を重く包み込んでいた。
大地はクロマサから与えられた屈辱の恐怖と自分の甘さを呪いながら、とぼとぼと廊下を歩いていた。
急いでいるつもりなのに足は鉛になったかのようにずんやりと重く、なかなか前に進めなかった。
そんな大地に後ろから走り寄る人影があった。
その軽い足音は慌てた様子で大地に近づき、声を掛けてきた。
「大地、大丈夫だったか?」
突然鋭く尋ねられ、薄ぼんやりとしていた大地はハッとした。
振り向くとミナトが真剣な表情で顔を覗き込んでいる。
「ミナト…?」
なぜミナトが心配気な様子なのかがわからず、大地はぽかんとした顔で見返した。
ミナトは大地のそんな顔を見てヤバイと感じた。
ぱっと見はいつもの大地と変わりないように見えるのだが、ぼーっとしていると言っていいのかふわりとしていると言っていいのか、どこか
心ここにあらずといった感じだった。
感情が置いてきぼりになっているようなこの独特な感じ。
この感じは、陰間仲間、主に新人の多くが陥る現象に酷似していて、ミナトの嫌な予感はますます強くなった。
きょとんとした顔で大地は尋ねた。
「え、どうしたんだよミナ…」
「大地、クロマサのヤツに無茶されたんじゃねェのか!?」
「!!!」
ミナトの問いかけは、大地にとって思いもよらぬものだった。
だが今の大地に大きくのしかかる恐怖の核心を突いたものでもあり、何故そのことにミナトが勘づいているんだろうという疑問と驚きとで、
喉元がぎゅっと狭まる感覚を覚えた。
その反応を見てミナトはさらに大地に迫った。
「オレ、さっきご主人様とクロマサのふたりに廊下ですれ違ったんだ。クロマサがご主人様にひどく叱られてっからどうしたんだろって聞き耳
立ててたら…実技研修はあいつとお前のふたりきりだったんだって?しかも、そう仕向けたのはクロマサ自身だって言うじゃないか」
「…っ!」
最後の一言は、大地の知らない事実だった。
たまたまなどとクロマサは言っていたが、あれは偶然ではなく仕組まれたことだったのか。
それだとなおさら、すんでのところでレイプから逃れられたことがなんというタイミングだったのか、と改めて思った。
うまくかわせたことが奇跡ではないか。
また、クロマサという男の執念を感じ、ゾッとした。
大地はあまりの話に身がすくんで膝がガクガクと震えた。
目の前が白くかすみはじめ、立っていられなくなる。身を支えようと廊下の角の柱に寄りかかるもずるずると廊下に沈み込んでしまった。
「あ、大地!」
かすみゆく意識の中にミナトの心配する声が響く中、大地は静かに意識を手放した。