百華煉獄49
「ま、あの人のことはさておき」
 シャマンの話題をくぎるようにしてミナトは味噌汁を仰ぎ飲み、箸を置いた。
「実技研修は基本的にふたりきりで行うのは禁止されてんだと。やっぱり、教育係の理性が利かなくなる可能性があるってことで。だから、特に
クロマサやアカベコみたいな下衆野郎とはふたりきりにならねェように気ィつけろな」
「…うん」
 大地はもう二度とあんな目に遭いたくなかったので、ミナトの助言に真剣な表情でうなずいた。


 レイプ未遂の被害に遭ってからその恐怖に苛まれている大地。
 なのに、このまま陰間になれるのだろうか。また、なれたとしても日々客を相手にできるのだろうか。
 すっかり自信をなくしてしまった大地は、陰間の先輩として頼りにしているミナトに悩みを相談してみることにした。

 性的に求めてくる男の人が怖いと打ち明けると、ミナトは苦い顔で小さくうなずき、答えた。
「…そうだな、お前みたいな目に遭うとそうなっちまうよな…でもオレは、身体売る時、何も感じないようにしてるんだ」
「何も…?」
「ああ。そんなもんだから、セックスの最中のことはあんまし覚えてねェんだ」


 昨日この部屋で魔羅を受け入れる際の痛みの回避に対するアドバイスを求めた時、『わっかんねェや』と笑っていたのにはこんな背景が
あったからなのか。
「それに、客はオレのことを性欲のはけ口…気持ちいいことできる都合のいいおもちゃぐらいにしか思ってねェ。だからオレも、客のことは
『金の出る機械』としか思わねェことにしてる。お互い様さ」
「そうか…」
 陰間として実際働いていたミナトはいろんな意味で達観していた。
 身体に生じる痛みのやり過ごし方も、心に生じる屈辱や恐怖のやり過ごし方も、経験からおのずと方法を編み出して客と日々接していたのだ。


 それに対してクロマサの狂気めいた性欲がいまだ生々しい大地は、そう簡単に割り切れるかどうかわからなかった。
 不安そうに瞳を揺らして黙り込む大地に、ミナトが重い空気を吹き飛ばすように豪気に宣言した。

「オレの流儀は『金もらわずに掘られてたまるか』だ。掘りたきゃ札束抱えて来いってんだ、タダじゃ絶対ヤラせねェ!!」
 ミナトはいつの間にか綺麗に昼食を平らげていて、食った食ったとばかりに腹をぽんぽん叩きながら笑っている。

 ふふっ、と大地も自然に笑顔になる。
 明るく元気なミナトのおかげでレイプ未遂の被害に遭った恐怖心から少し解き放たれ、徐々に落ち着きを取り戻していった。


 あと数十分で午後の授業が始まる。
 シャマンとの挿入練習。
 大地は、ミナトの心構えを聞いても自分がそのように思えるかどうかはわからなかった。
 昨日シャマンに抱いた安心感も、クロマサに身体をいたずらされた後となっては正直なところ少し揺らいでいた。
 それほどまでにクロマサは大地の心を恐怖で満たしてしまったのだ。

 勃起したペニスが自分に向けられることに、叫ばずに耐えられるだろうか。
 また肉体的にも精神的にも、受け入れることが可能だろうか。

 別の大きな不安もあった。
 シャマンも男だ。少年愛者ではないと思っているが、実際挿入するとなるとクロマサのように野蛮な性欲にとりつかれてしまうかもしれない。
 そんなシャマンの一面を知ってしまったら、オレはまともな気持ちでいられるのだろうか。
 ミナトと話しながら刻一刻と迫る午後の授業に向けて、大地は頭に浮かぶ憂いがどんどん大きくなるのを感じていた。



 シャマンはその頃廊下で中村と連れ立って歩くクロマサから軽く呼び止められ、告げられた。
「大地のカルテな、確認しといてくれ。午前にちょっくらオレが実技研修を緊急で組み込んで、研修内容の経緯と結果打ち込んであるから」

「実技…?」
 シャマンは驚いた。
 大地の午前の授業は礼儀作法だったはずだ。何を言っているのだろうと思いながら、袂にしまっている自身のタブレットをタッチした。


 そこには記載者がクロマサだという新規記録があった。
 『セックスの流れを簡単に教える。キス、乳首やペニス・菊門に舌で愛撫を受ける練習を中心に行った。嫌がりながらも感度は大変良好。
射精はまだだが、ペニス・菊門への愛撫でそれぞれ絶頂に達した。ペニスは包皮を軽く下げると痛みが強いようである。しかしそこを刺激すると
反応が良い。舌で感じる菊門の感触は、内部の柔らかい肉が押し返し、ふわふわと心地良く纏わりつく。どの少年にもなかった好感触であり、
ご主人様の言う通り名門の評価に値する。どこに触れても泣きながら嫌がるが、感度は大変良好で嗜虐心と征服欲を大いにくすぐられる。最後に手淫実技。
三分少々で担当者を射精に導く』。


 同時間帯に実技研修室を使用する者は誰もいなかったはず。
 ここに羅列されていることをすべて、大地はクロマサとふたりきりの部屋で行われたというのか。

 規則で禁止されているふたりきりでの実技研修、勝手なスケジュール変更が行われた。研修内容だって当初の予定と大幅にずれている。
 シャマンは一瞬にして、クロマサが大地の身体をじっくり堪能したいがために体のいい理由をつけてこのようなことを企て実行したのだと察知した。


「…お前…何を勝手に…!」
 こそこそとこういうことを行ったクロマサの心理には、あわよくば大地を手篭めにしたいという企みがなかったとは考えられなかった。
 この男の普段の言動を見ていると怖ろしい疑惑が脳裏に浮かび、シャマンは正面からスキンヘッドの男に掴みかかった。
「クロマサ、まさか大地をレイプしてやしないだろうな!」
「あっ、当たり前だろう!ヤッちまったらオレァここを辞めさせられちまうんだ。めっちゃくちゃたまんなかったけど、めっちゃくちゃ我慢したさ」
 クロマサは辟易しながら答える。それはシャマンの剣幕に対してというよりも、中村の手前これだけはきちんと弁明しておかねばという保身の意図を
色濃く漂わせていた。


 シャマンはそんなクロマサの歪んだ性根が許せなかった。
 少年の気持ちなどひとつも考えず、欲望のままに幼い心と身体を踏みにじる。

 こいつらはいつもそうだ。
 こいつらはいつも、少年など『性欲を満たしてくれる道具』としてしか見ていない。
 シャマンはわなわなと震えながら、頭の芯が熱を帯びていくのを自覚した。


 いきり立つシャマンに対し、ずっと隣で黙って話を聞いていた中村が口を開いた。
「勝手なスケジュール変更や規則違反があったことは、私が厳重注意をした。クロマサが出過ぎた行為を働いたのは否めないが、何も知らない大地に
欲情した男がどんなものか知ってもらえる機会にはなっただろう。これから先、陰間として生きていく大地にとって悪いことではない」
「っ……!!」
 中村の言葉はシャマンを強張らせた。

 シャマンの脳裏に、過去に中村から言われたある言葉がオーバーラップする。
 その声は大きくなったり小さくなったり、くぐもったり明確になったり、あらゆる方向から不快感を伴い何度も繰り返される。めまいにも似た感覚で
シャマンを覆いつくした。
 怒りでますますヒートアップする頭に過去の中村の声がリフレインする。
 頭に血が昇り熱くなる反面、胸の深いところがつきん、と痛いほど冷え切っていく。
 シャマンは何も言えずにその場に立ちつくしていた。


 そこへ、寮の下働きをしている者がパタパタと小走りに駆けて来て中村に声を掛けた。
「ご主人様、面接予定の子ども二名、応接室に連れてまいりました」
「ああ、今行く」
 中村はそう返事をして固まっているシャマンを一瞥し、応接室へと歩を進めた。
 クロマサは様子が変わったシャマンをいぶかしげに見ながら、掴まれて乱れた衿を腹立たしげに直して、中村について行った。


 ふたりが消えても、シャマンはしばらくそこに佇んでいた。