その日の午後十時。
中村は書斎のソファでタブレットを眺めていた。
疲労した身体をソファに沈め、画面の中の大地のカルテを見ている。
もともとこの時間は日課である見習いの研修内容をチェックすることに充てられていた。
中村屋で初めて名門認定された大地のカルテは、いつも一番に開いてチェックする。
しかし今日はここへ来る間に廊下でクロマサに伝えられた話もあり、別の思惑でそれに目を通していた。
『今日の実技研修中、シャマンと大地について気になることがありましてね』と興奮気味に彼は語り出した。
中村は疲れもあって呼び止められた当初は面倒だと感じたものの、シャマンと大地の名前を聞いて聞き捨てられず、耳を傾けることにした。
興味を示した中村を見てクロマサは鼻息を荒げてまくしたてた。
『ヤツら、挿入練習中に妙〜な雰囲気なんですよ。というのもですね、大地が痛い痛いって泣いたら最初はシャマンのヤツが強く叱ってたんですが…
その後、何が可笑しいのかクスクス笑い合ったりしてんでさ。見習いと教育係がまるで恋人同士みたいに笑って挿入練習するなんて、今までなかったことですよ?』
どうやらクロマサは、大地がシャマンに心を開いていることが妬ましいらしい。
しかし大地からすると、身体検査時から強引にからまれ、あげくレイプに及ぼうとしたクロマサを警戒するのは当然だろう。
そんなクロマサと、右も左もわからない時に助けてくれたシャマンとでは、大地が同じように接するはずはない。
しかもシャマンはその後も大地の心理状態を察して、こと細かくサポートしている存在なのだ。
普段の自分の言動を棚に上げて、美形でクールなシャマンを日頃からやっかんでいるクロマサ。
シャマンが大地をはじめ見習いたちみんなから慕われていることがいよいよ癪に障るようだった。
クロマサの言葉を反芻しながら、中村は今日の研修内容の記録を読む。
午前の礼儀作法を行った並木と、午後の実技研修からはクロマサとシャマンが記した内容が記載されていた。
午前の授業は問題なく終了したと記す並木の報告の後、クロマサがつけた尺八実技の報告が続く。
『尺八練習二日目。初めての即尺。本日一回目の尺八では前日の復習という形で自由にさせてみるが、無洗の魔羅にはやはり生理的抵抗感が強いらしく
嘔気を隠せない。しかしそれがこちらの征服心を高揚させることにひと役買っている。まだたどたどしいながらも懸命に咥え、しゃぶっている。射精後の
精液は一度目は嘔吐してしまう。二回目は69の体勢で指で菊門を弄られながらの尺八。泣きながらも一生懸命行う。二回目はコツを覚えたのか、
すべて飲み干せた。必死で飲んだことは評価に値するが、すべての行為を嫌々行っていることがわかり、その都度デビューできないぞと脅さないと
達成できない様子。泣いている子どもを無理矢理従わせることに快感を得る客には大変おすすめであるが、その反面、陰間の心構えに関しては先を案ずる』。
そしてシャマンの挿入練習の記述に視線を走らせる。
『挿入練習三日目。準備のため菊門に触れると身を強張らせ、緊張している。性的行為を強要された恐怖心が強く残っている様子。しかし本人は意欲あり。
挿入は亀頭の半分。特に入り口が狭いためゆっくりと慣らしていくべきである。痛がって泣くのでたちまちの課題は泣かないようにすることだと本人に言い聞かす』。
「……」
冗長なクロマサと淡白なシャマンの記録。
少年に対するそれぞれの熱の入れようを物語っていて、極端に対照的だった。
大地はクロマサの書いている内容では強く嫌がるそぶりを見せているのに対し、シャマンの記録では積極的に行っていることが窺い知れる。
期待の大きな新入りまで虜にするなどさすがシャマンだなどと嫌味ったらしく思って、中村は鼻で笑った。
先ほど廊下でクロマサはこうつけ加えた。
『シャマンは挿入練習の時に“泣くな!”なんて叱ってやしたが、あの大地が他の陰間とおんなじように男に媚び売り出すのなんてもったいないですぜ。
泣きながら従わされてるのがたまんなく魅力的なんですから。ああ、オレも早く大地の挿入練習のお相手を務めたいですよ。そろそろ…ね、ご主人様。
お願いします』
どうやら中村に訴えたかった一番の内容は最後の一言らしい。
男の性的な要求に泣いて耐える姿が悩ましく可愛い大地。
その名門に少しでも早く自分の魔羅を納めたいようだ。
羨ましい挿入の係を何度も仰せつかっているシャマンがまた余計憎らしいのだろう。
クロマサの望みはさておいて。
他人の目につくほど、シャマンは大地と仲良さそうな雰囲気を醸し出しているのだろうか。
確かに今までシャマンが実技練習中に笑顔を見せているなど想像したこともないし、誰からも聞いたことがなかった。
ということは、シャマンが他の見習いには見せなかった態度を大地には見せていることになる。
中村が知るシャマンの過去。
彼と初めて出逢ったのは十年近く前になる。
あの頃はまだまだ小さな、ただの子どもだった。
さまざまなことを経た後、教育係に従事していたシャマンにとって大地の存在はいったいどんな意味を持つのだろうか。
大地の挿入練習を担当したいばっかりにこうして訴えてくるクロマサの言葉をすべて鵜呑みにするわけではないが、中村も大地とシャマンの関係性には
注意を向けたいところだった。
是非この目でそれらを確認して、今後に反映させねばならない。
大地のカルテを見つめるその表情は、タブレットから発する光で怪しく照らされていた。
七日目。
大地は教養室で文字書きの授業を受けている。
中村屋の陰間となると、美麗な文字を書けることも必須条件になっていた。
その文字で客に恋文をしたためて、身も心も掴んで離さないようにするのだ。
(そんな風な陰間になれるのかなァ…手紙書くんなら、『太陽』の子たちに書きたいな)
大地はそう思いながら、少し苦手な文字の練習に励んだ。
午後は昨日と同様に、前半は尺八練習、後半は挿入練習の予定だった。
尺八担当はアカベコで、挿入練習はシャマンが行うとのことだった。
昼食を終えてリラックスルームへ向かう。
何人かの見習いがおり、それぞれが雑誌を読んだりゲームで遊んだりしていた。
テレビは誰かが点けてそのままにしていたようで、見ている者はいない。
大地はテレビ前のソファに腰掛けた。
チャンネルも変えず流れている情報番組をなんとなく見ながら、昨日の実技練習を思い出す。
大地は赤面した。
昨日、練習を終えてから思い出すたびそうなってしまう。
『泣かない』と豪語した割りには、シャマンの魔羅が入って来るなり泣きべそをかいてしまったからだ。
その後どうにもこうにも泣くのをやめられず、結局魔羅も頭の半分までしか入らなかったようだ。
シャマンが呆れるのも無理はない。
大地は恥ずかしくて、また情けなかった。
でも半面、嬉しい気持ちが湧き上がるのは止められなかった。
あのシャマンがクスクスと笑ってくれるのだ。
挿入練習の最中は痛すぎて嬉しいとかそんな風に思える余裕はないのだが、思い返すとあんな風に笑っているシャマンを間近で見られるなどなんと贅沢なことか。
痛がる大地が滑稽なためであろうが、理由はどうあれシャマンが笑っていることに幸せを感じる自分を否めない。
昨日の練習時、クロマサのセクハラが激しければ激しいほどシャマンにすがる気持ちが強くなった。
頼りきってしまうとダメだと思うのに、そこは恋慕う相手だ。
傍に来てくれると胸が高鳴るし、触れられるともうそれこそ心臓が爆発しそうになる。
初めて恋をした相手に、大地はどうにも気持ちを止められなかった。
しかし、陰間になるために自分はここにいるんだから。
今日のテーマはシャマンの言いつけ通りとにかく泣かないこと。
大地はそう決意して、実技研修室に向かった。
…が。
思ってはみたものの、見事に挿入練習で大泣きに泣いてしまった。
ひく、ぐすっ…と胸をひくつかせて泣く大地から、シャマンはどうにか三分の二まで挿入していた亀頭をそっと抜いてため息をついた。
「泣くんじゃない」
「…うぅ、う…」
泣いているせいでうまく言葉が出ず、頭を上下に振ってどうにか答える。
「……」
シャマンが自分を見下ろしていることに気づいている大地は、情けなくてそちらを見ることができない。
手で顔を隠すようにして泣きじゃくるそんな大地の心境も、シャマンはしっかり見抜いているのだろう。
「…さっきまでは、尺八練習で泣かなかったお前に感心してたんだぞ」
シャマンの言う通り、大地はアカベコの卑怯なセクハラ攻撃を受けても今日は泣かなかった。
しかし挿入練習では比べ物にならない痛みと苦しさに襲われる。
泣くのはどうしてもこらえ切れなかったのだ。
「だ、だって、お尻痛いんだもん、うぅっ」
ついつい言い訳してしまった大地をシャマンは静かに見下ろしながら言った。
「おい、お前はここを追い出されたいのか」
「…!!」
「帰るのか、『太陽』に。そうしたいのならそのままでもいい」
「そ、それだけは嫌だっ…!!!」
大地は身を起こしてシャマンにすがりついた。
ライタやカイトたちには絶対にネオ芳町の門をくぐらせたくない。必死の眼差しでシャマンを見つめた。
シャマンはそんな大地を冷えた瞳で見つめ返し、言い放った。
「だったら泣くな。泣くのをやめるだけだ、簡単なことだ」
「……!!!」
大地はシャマンの厳しさにガーンと打ちのめされた。
(それができたらこんな苦労してないよ!)
昨日は笑ってくれたのに今日はずっと呆れた冷たい表情のままで、それにも傷ついてしまう。
大地は絶望的な気持ちになりながら、眉を八の字にしてシャマンを見た。
「今は…三時半か。終了までまだあと一時間半ある。さァどうする」
「……」
「荷物まとめて帰る準備するか。それなら手伝ってやるぞ」
「ちょっ…!」
スッと立ち上がろうとするシャマンの袖を大地は慌てて掴んで頼んだ。
「つっ、続けてください!挿入練習してください!!」
「……」
シャマンは大地の覚悟の度合いを量るようにじっと見つめる。
しばらくそうしていたが、大きな手でシャマンは大地の頭をくしゃっと撫でた。
そしてフッ…と優しい笑顔を見せた。
「……!!!」
今までの厳しさとその笑顔のギャップに大地がポーッと頬を赤らめていると、シャマンはまた無表情に戻って言った。
「よし、寝ろ」
「は、はい」
(ず、ずるいよシャマンさん!突き放しといてあんな優しい顔…あーもう、オレ…!!!)
ぐるぐるとシャマンの行動に思考を混乱させていると、菊門にまたしても激痛が走った。
「あぁっ、痛ッ…!!」
「泣くなよ、魔羅の頭が全部入るまでは」
「そ、そんなぁ…ああん、痛い、痛い!!ううぅー…」
「……」
またしても大粒の涙で瞳をいっぱいにする大地を見て、シャマンはめまいがしそうだった。
この様子を、中村は誰にも気づかれずにそっと陰から見ていた。
クロマサからの報告を受け、普段のシャマンと大地が挿入練習でどのような様子なのか自身で確認しておかねばならなかったのだ。
一見すると冷酷なシャマンだったが、あれは大地を想ってのことだ。
それに厳しくした後のあの笑顔。
あれは慕われていることを利用した行動ではない。鞭の後のアメとしてシャマンが笑顔を見せるのであれば、今までにも他の陰間に対して幾度も行っているはずだ。
ならば、大地に対して自然に出た笑顔なのだろう。
シャマンが大地にそんな態度を見せるのはあのレイプ未遂事件があったからであろうか。
その上で、それでもここで身体を売って生きなければならない宿命の大地に同情してのことなのか。
しかし、それだけだろうか。
出逢った頃のシャマンを再び思い出す。
普通の子どもだったシャマンが中村と出逢って数日後、すべてを奪われ、そのかわりに背負った宿命。
あの頃の自分と今の大地が重なるのではないか。
すべては憶測にすぎないが、レイプ未遂の被害に遭い、それでも過剰なセクハラに耐えてがんばる大地に対してシャマンが一目置いていることは間違いない。
シャマンは大地を特別視している。
大地。
シャマンが苦しむ材料を見つけられた。
おもしろい。
中村は目を細めて笑った。
今後の実技研修のメニューを考えながら、中村はそっとその場を離れた。
