次の日、いつも通り朝食を食べるために子どもたちが食堂に集まっていた。
その機会に合わせ、橋本の口からみんなに、大地が今日ここを去ることが告げられた。
「えっ…」
「大地ニイが…?」
テーブルについていた子どもたちは一瞬ざわめき、橋本の隣に立つ大地を驚きの表情で見つめていた。
「ああ、大地はこのまま支度を整えて、勤め先になるところへ行かなくてはならないんだ。お前たちと過ごせるのも、今が最後になる」
「……!!!」
子どもたちは突然の話にショックを隠しきれず、言葉が出てこないようだった。
呆然と自分を見つめるいくつもの瞳。大地の胸がズキンと痛んだ。
「昨日急に決まった話だから、大地本人も驚いててな。慌ただしくてお別れ会もできず申し訳ない。さァ大地、最後にみんなに
挨拶しなさい」
事務的に告げる橋本に促されて大地が口を開こうとした瞬間、誰かが叫んだ。
「嘘だろ、大地ニイ!」
声の主は、ライタだった。
ライタは一番離れたところに座っていたが、立ち上がってその場で大地を責めるように続けた。
「嘘だよな!?」
大地はそう言われて、ライタと目を合わせたまま、真剣な表情で静かに答えた。
「…嘘じゃないよ。本当だ」
その一言で、他の子どもたちが息を飲むのがわかった。
ショックのため、ひく、という呼吸が乱れる音もいくつか聞こえた。
「ふぇ…」
大地の近くに座るカイトが泣き声を上げそうになった時、再びライタが口を開いた。
「今日スリー・オン・スリーするって約束したじゃないか!まだ勝負はついてないぞ、逃げんのかよ!」
ライタの頭には、昨日ゲームの約束をした時に、大地の様子が少しおかしかったことが思い出されていた。
院長室から出てきて、自分と話している時の顔がいつもと違って見えた。
あそこには昨日初めてここを訪ねてきた男がいたはずだ。
そいつが大地が働く場所の主人なのだろうか。
細かいことはわからないが、勝負の約束をした時にはもう、大地はここを出ていくことを決意していたのだろう。
大地はライタに詫びた。
「…ごめんな、ライタ…あの勝負はまたいつか…」
「いつかっていつだよ!約束破ろうってのか!?」
ライタは拳を握って歯を食いしばった。
「ごめん、ライタ…ごめん。ごめんな」
大地は果たせないであろう約束をしてしまったことを詫び続けた。
ライタに限らず、他の子どもたちにも同じ気持ちだった。
もしかして彼らが、親に捨てられた上一緒に育った大地にも捨てられたような、そんな気持ちになっているのだとしたら。
こんなにもむごく悲しいことはないではないか。
突然出ていくことで大きなショックを与え、申し訳ない気持ちが募り、詫びることしかできなかった。
「ごめん、みんなごめん…」
「ぅ…うぅわああああん!!」
それまで泣くのをこらえていたカイトが、ついに我慢できなくなって大地に駆け寄った。
そして、なりふりかまわずすがりついて泣きわめいた。
「行かないでぇ、行かないで大地ニイ!僕いい子にするよ、もう泣かないから、いい子にするから行かないでよぉ!!」
大地の着物に顔を伏せ、逃すまいと渾身の力で大地に抱きつく。
「カイト…」
大地がなだめるようにその背中を撫でていると、ルイもなつきもクルミも真一も、同じように泣きながら飛びついてきた。
「いやだよォ、大地ニイ行くな!大地ニイの絵、もっといっぱい描きたいんだから、行くな!!」
「オレ今日から誰とお風呂入ったらいいんだよ…!」
「…本のお話聞いてくれる人がいなくなっちゃうよ」
「オレ、今度新しいギャグ作ったらちょうど百個目になるから、大地ニイに一番に見せようと思ってたのに!」
それぞれが大地を引き止めたくて、涙ながらに訴えてくる。
「ごめんな、ホントにごめんな…」
子どもたちの頭や背中を惜しむように撫でる。
何か気の利いたことを言おうと思うのに、大地はもうその言葉しか言えなかった。
ひとりテーブル席にぽつんと残っているライタは、大地がここを去ることは自分たちがどれだけ抗っても仕方のないことだと察していた。
大地の性格上、生半可な気持ちで決めたことではないと、長年のつきあいで気づいていた。
別れるのはイヤだ。
大地がこの施設からいなくなってしまうのはイヤだ。
なのに、その想いをうまく言葉にすることができず、悪態をつくことしかできない自分が情けなかった。
大地と過ごせる時間は、もうわずかしか残っていない。
ライタは心を決めて大地に言った。
「…大地ニイ、たまにはここに帰ってこいよ。勝負はそん時まで預けといてやらァ」
「ライタ…」
ハッとして大地はライタを見つめる。
「大地ニイ、きっとオレたちのこと考えて、一日でも早く働きたいって行くの決めたんだろ?…いつもそうだもんな、自分のことより
オレたち優先で動いてさ。そんなお人好しだったら、よそでも貧乏くじばっか引かされんぞ」
そう笑うライタの頬には、涙の筋ができていた。
「大地ニイらしいっつーかなんつーか、優しいのもほどほどにしとけよ…」
ライタは消え入りそうな声でそう言って、顔をくしゃくしゃにして駆け寄ってきた。
「…大地ニイ…!どこにも行ってほしくねェよ!ずっとずっと、オレたちと一緒にいてくれよ…!!」
わかったようなことは口にできても、これがライタの隠しようのない本音であった。
無理なことを言って大好きな大地を困らせたくなかったのに、溢れ出る想いには嘘がつけなかった。
「絶対会いに来いよな!オレたちのこと忘れなんかしたら、承知しねェんだから…!!」
いつも斜に構えて生意気なライタが、感情を剥き出しにして大地に抱きつく。
もう大地はこらえきれずに、声を上げて泣いた。
「大好きなお前たちのこと、忘れるわけないだろ…!絶対会いに来るから、お前らこそオレのこと忘れんなよ…!!」
『太陽』の七人兄弟は、しばらくひとつになって泣き続けた。
その様子を、多少なりとも胸を痛めながら見つめていた橋本だったが、大地が中村屋に引き取られることで生じる金のことを思うと、
自然と顔がニヤつくのが抑えられなかった。
借金は小切手の額で早々に片づいて、心配はなくなった。
これからは大好きな賭けごとを今まで以上に愉しめる。
橋本の良心は、ギャンブルがからむと簡単に吹き飛ぶくらい、ちっぽけなものだった。
