百華煉獄73
 シャマンはそのままシャワー室へ向かっていった。
 大地はなんとなく視線を感じて、そちらの方を向いた。


 少し離れた場所で那智を従えたリオンがこちらを見ていた。
 今まで意中のシャマンと挿入練習していた大地に対し、敵対心を持っているような厳しい視線を向けている。

 挿入練習でへとへとになっている様子の隣の那智に比べ、リオンはぴんぴんしていた。
 そりゃそうだろう、男に貫かれたのは初めてではないのだ。
 おまけに挿入したのは憧れの存在、シャマンだ。
 へとへとになるどころか嬉々としてこの時間を愉しんだに違いない。


 事情を知る大地はもともと心証の悪いリオンに対し、彼と同じように厳しい目を向ける。
 ふたりは何も言葉を交わさず静かに対峙した。

 しかしリオンを気に食わないのは大地だけではなく、他の見習い仲間も同じだったようだ。
 実技研修が始まる前、シャマンに守ってもらいたいがためにクロマサから被害を受けたかのような素振りを見せた新入りにはお灸をすえておかねば
ならないと、七人全員がリオンにズカズカと近寄ってきた。


 そうしていると、リオンの視界の隅に授業後の身支度を整えたシャマンが研修室に入ってくるのが見えた。
 彼はすぐさま表情を変えて、今まで睨み合っていた大地を無視してシャマンに駆け寄った。
 リオンに文句を言うつもりで近づいていた少年らはさらに不満が募る。

「シャマンさーん!!」
 呼び掛けられて立ち止まるシャマンの目の前まで来たリオンは、身をくねらせながら上目遣いで言った。
「シャマンさん…今日はどうもありがとう」
 憧れのシャマンの名をこんなに間近で本人に呼び掛ける。リオンは夢がひとつ叶ったことが嬉しかったが、ここで満足するような少年ではない。
「すごくすごく怖くて痛くて不安だったけど、シャマンさんが優しくしてくれたから…がんばれたよ」
 リオンは伏し目がちになって、そっとシャマンの胸元に寄り添う。

「……!!!」
 それを見ていた大地たち見習いは、那智以外の全員がワナワナと震えた。
「あンのクソガキ!!!」
「シャマンさんに気安く触るんじゃねーよ!」
 おのおの嫉妬のあまりつい口汚くリオンを罵ってしまう。


 大地はリオンの姿を見て、二日目に見た拓海の猛アプローチを思い出していた。
 あの時は胸のもやもやの正体がわからなかったが、今ではこれがはっきりとシャマンに恋しているがゆえの嫉妬心だと認識できる。
 新入りのくせに、という今まで大地が他の陰間から何度も言われた言葉を、リオンに対して同じように抱いた。
(シャマンさんもシャマンさんだよ、こんな子の嘘を見破れないなんて…!)
 またしても嫉妬の対象とは別に、シャマン自身にもその優しさゆえに腹立たしさを感じてしまう。

「でもさ、新入りとはいえああいうあからさまな下心見え見えのヤツにはシャマンさんも手厳しいんじゃね?」
「そうだな。今に冷たく振りほどかれて終わりよ」
「お前みたいなカマトト、シャマンさんは一番嫌いなんだよ!早く散れ!」
 見習いたちは『自分たちのシャマン』がリオンの演技などに騙される人ではないと信じており、希望的観測もあって口々にそう言った。


 そんな風にみんなが見ているのを知ってか知らずか、シャマンは胸元に寄り添うメガネを掛けた小さな少年に呼び掛ける。
「リオン」
 リオンは自身の名を呼ぶ凛とした声に恍惚となりながら、うっとりと顔を上げた。

 シャマンのスッとしたあごのラインを間近で見て、その造形の美しさに改めて見惚れた。
 あごのラインだけじゃない。少し薄い口唇も高い鼻筋も、自分を見下ろす涼しげな瞳も、形のいいまゆ毛から髪の生え際へと伸びる聡明そうな額も、
どれもこれも絶妙なバランスで同居している。
 こんなに美しい人をリオンは見たことがない。
 人間ではないのではないかと思うほど、完璧に整っている。


 それほど素敵な人に自分の名前をこんな近くで呼んでもらえるなんてと、リオンは夢心地で返事を返した。
「なァにィ?」
 鼻にかかった甘えた声で語尾を上げるリオンに、大地はムカつき、那智はやり過ぎだろうとひやひやした。

 シャマンはリオンの態度をどう思ったかわからないが、いつものポーカーフェイスで続けた。
「…お前とふたりで話がしたい。今いいか」

「!?!?」
 その場にいた見習いたちは全員動揺した。
 みんなが憧れてやまないシャマンとふたりだけで話すチャンスを、あのリオンは楽々得られたのだ。
 それもシャマンからの誘いで。


「は、はいィっ!」
 当のリオン自身も予想していなかったラッキーな展開になり、声を裏返して返事をしている。
 シャマンはそのまま中庭を望む大きな窓の方へ歩いていき、外履きを履いている。どうやら中庭にリオンを連れていきたいらしい。
 リオンはシャマンの後へ続く。彼はウキウキとした喜びのオーラを全身から発しながら駆け出した。

 周りに音符マークが見えそうなほど嬉しそうなリオンの後ろ姿を見ながら、大地は歯噛みした。
 シャマンが嘘つきのリオンを喜ばせるような態度をとること自体が癪に障った。
 当然そう思っているのは大地だけではない。見習いたちも同じ気持ちだった。
「…くそォ…」
「あんなこざかしいガキになんの話があるってんのさ、シャマンさんってば!」
「あ、見えなくなった」

 シャマンとリオンが中庭の木陰に消えたので、彼らから死角になってしまった。
「おい、バレないように行こうぜ」
 シャマンたちが気になって仕方のない彼らは、こっそりと中庭の近くへ移動する。
 盗み聞ぎしていたなんてバレたらシャマンに怒られてしまう。
 冷たい瞳で叱られるのはなんとも嬉しいものがあるが、絶対に嫌われたくない彼らは全員でコソコソと窓際で聞き耳を立てた。