泣きじゃくるリオンとそれを静かに見下ろすシャマン。
見習いたちはこれから先の動向を固唾を飲んで見守っていた。
「っ、ご、ごめっ…ごめんなさいっ…」
ひくっ、ひく、としゃくり上げながら、リオンはシャマンに謝った。
「…あれってまたシャマンさん騙そうと思ってんじゃねェの?」
「かもな」
見習いたちはリオンをいまだに信用できず、彼の行動をいぶかしんだ。
しかし大地は彼の様子からそうではないと直感していた。
リオンとは数時間しか面識がないが、下心ある行動を起こす時の彼は決まってくねくねと身を揺らし、下から見上げて媚びるような視線を送る。
しかし今のリオンは体裁もへったくれもなく、鼻水まで垂らす勢いでただただあられもなく泣きじゃくっている。
演技などではない本物の涙だった。
意中の男から指摘され、自分が何も考えずにレイプされたなどと安易に口にしたことをリオンは素直に反省した。
メガネを外して袖で涙を拭くリオン。
目の前のそんなリオンを見て、シャマンも大地と同じ考えだった。
「ここは…生半可な気持ちでいられるほど楽しい場所じゃないぞ」
ここにいる少年たちはさまざまな抜き差しならない事情を抱えているのに対して、リオンはシャマンとお近づきになりたいという想いだけで中村屋の門を叩いた。
そんな真の目的に気づいているシャマンは、陰間の辛さ、また中村屋の実態を知らぬがゆえにこの世界に身を置こうとする目の前の少年にそう伝える。
「陰間などならずに済むのならそれに越したことはないんだ。まだお前は見習いだ。辞めることができるんだ」
突然シャマンにそう言われて、リオンはハッとしたように顔を上げた。
「えっ…」
「引き返すんなら今だぞ」
陰間としてデビューできる状態になったら、すぐに店に出なければならない。いつまでもこの見習い寮で自分が面倒を見るわけにはいかないのだ。
そんなデビューまでの束の間のためにリオンのこれからの人生を中村屋に費やしていいのか。
その覚悟を量るように、シャマンはじっとリオンの瞳を見つめた。
「……」
リオンは息をつめて彼の碧い瞳を見つめ返す。
陰間の友人・トロワから聞いた話だと、中村屋はネオ芳町の陰間茶屋の中でも独自の厳しい規律があると言っていた。
オーナーの中村って人は金の亡者だから、陰間たちは他の店に勤める以上の苦労をする。なので正直勧めない、と言われた。
シャマンはきっとそのことを言っているのだろう。
これには黙って見ている大地や那智、その他見習いの少年たちも、自身とリオンを重ねてしまい考えさせられた。
自分たちは諸事情でもう陰間になる以外の選択肢はない。
でもそれがどうにか回避できるのなら。
シャマンという素敵な人と出逢っても、辞めることができるなら自分はどうするだろうか。
リオンは俯いた。その瞬間、瞳から大きな涙の粒がこぼれて芝生に落ちた。
シャマンは彼がどう答えるのか無言で待つ。
少しの間自分のつま先を見ていたリオンは、バッと顔を上げて言った。
「それでも、いい。僕はここで陰間になる」
シャマンはそれを聞いて、一度視線を彼からそらした。少し呆れたような表情だった。
「もう少し考えろ。すぐに答えを出すことはないんだぞ」
「充分考えたよ。ここにいる」
「…後悔するかもしれないぞ」
「しないよ」
お目当ての人に本性がバレたリオンは、きっぱりと言い切った。
その頬にはもう涙はなく、むしろ清々しささえ感じる表情だった。
見習いたちは決心したリオンに対し、少し別の感情が芽生えていた。
あんな風にシャマンに気持ちを試されたら、その先がどんなに茨の道とわかっていても同じように答えてしまうだろう。
わかる、わかるよ…という共感の声が、大地にはおのおのの胸の内から聞こえてくるようだった。
シャマンは新入りの答えを聞いて、鼻からフゥンと困ったような息を噴いた。
「もの好きめ…好きなようにしろ」
それを聞いてもえへへ、と笑っているリオンにまた呆れて、シャマンはもう話は終わったと一歩踏み出した。
リオンもメガネをかけてから続いて研修室の方へ向かってくる。覗き見ていた大地たちは、慌てて窓際から散り散りになった。
後ろからついてくるリオンに、何かに気づいたような顔をしてシャマンは振り返った。
「これからここにいるつもりなら…クロマサとアカベコを無駄に刺激するような真似はやめておけ」
研修室に来た時から、リオンとクロマサたちを中心に室内が妙な空気になっていたことに気づいていたシャマン。
あからさまな態度を奔放にとるリオンが、余計なセクハラに遭わぬよう気遣った言葉だった。
そのままシャマンは向き直って歩を進める。
「…うん」
リオンは小さく返事をして、続いてシャマンの背中に語り掛けた。
「ありがと、シャマンさん」
「……」
シャマンは何も返さなかった。ただしその背中の様子から自分の言葉を受け止めていることが伝わってきて、リオンはくすぐったいほどの心地良さに包まれた。
研修室へと戻ったシャマンはいつもなら自由時間に入っている見習いたちが部屋に残っているのを見て、うすうすわかってはいたが盗み聞きしていたことを確信した。
大地たちは白々しく掃除や身支度を整えるなどしてみせたりして誤魔化してはいるが、どう見ても不自然だ。
しかしそれをとがめることもなく、シャマンは黙って研修室を後にした。
ともに帰ってきたリオンの元には那智が一番に近づいた。
那智は困ったところのあるリオンでもすでに同期ゆえの親しみがわいているのか、心配そうに声を掛ける。
すると、リオンは顔を真っ赤にして呟いた。
「シャ、シャマンさん…もうカッコ良すぎてオレ…!!!」
口元に手を当て、たまらないと言った様子でぷるぷると震えている。
「ダメだ、本当にダメだ、死ぬヤバイもうダメほんっと素敵過ぎて昇天しそう!!!」
シャマンが消えたことで見習いたちはリオンにつめ寄ろうと思っていたのだが、涙目でそう繰り返す彼には近寄るだけで何も言えなかった。
あざとい本性をお見通しで、それを戒め、ここで生きていくことの覚悟を問い、おまけに下衆な少年愛者を刺激するなと警告までしてくれる。
厳しいクールな表情で行うから一風怖いのかと思いきや、それはすべて優しさの裏返し。
リオンはシャマンの魅力の総攻撃をその身に一気にくらわされたようなものだ。そりゃあこうなってしまうだろう。
なんてことを、大地はうらやましく思いながらリオンに同感だった。
「すごいエクスタシーだったよォ、このまま死んでもいいけどやっぱ嫌だ死にたくないっっ」
ぎゅうう、と自分を抱きすくめるようにして快感に耐えているリオンを見て那智は苦笑している。
「おいぃ、シャマンさんにいらんちょっかいかけんじゃねーぜ」
見習いの先輩たちは、そんなリオンに共感しながらも一応釘を刺しておかねばと声を掛ける。
ここでこの先やっていかねばならないリオンは、そう言われてもにっこりと笑って返した。
「わかってるよ」
…大地にはなんとな〜く、リオンの笑顔には裏があるような気がするのだが。
大好きなシャマンに懲らしめられても、ここでやっていくことの覚悟を決めた理由が『恋した男と一緒にいたいから』。
酔狂に見えるがそんなリオンには見習いたちも少し尊敬の念がわいたようで、当初のボコボコにするなんて話はいつの間にか消えていた。
しかし同じ人に懸想するからには要注意人物に変わりない。
那智も含めて自分以降初の新入りを大地は呆れつつも見守ることにした。
