大地は自然と、見習いの中で一番気になる存在になった隣の新入りへと視線を送る。
昨日ちょっとした騒ぎを起こした当人は、そこで眠そうな顔をして立っていた。
リオンは、実技研修が終わった際は敵意の浮かんだ瞳で大地を睨んでいたのに今日は真正面を向いたまま首を動かそうとしなかった。
大地の視線は感じているのだろうが、不自然なくらいこちらに視線を寄越さない。
あえてそうしている風なのはシャマンに猛アタックして撃沈したことが大地に知られて決まりが悪いからだろう。
点呼が終わってみんなが好きに行動を始めると、リオンは急にソワソワと落ち着かない様子を見せ始めた。
その理由が大地はすぐにピンときた。
ずっとあたりをきょろきょろと見渡しながら、シャマンの気配がないとわかると那智を急かして食堂へと向かった。
入ったばかりのリオンは知らないだろうが、午前はシャマンが見習いたちの前に姿を現すことはほぼない。
二日目に拓海と中庭で話していたのは特別なことだったようで、大地でさえ普段どこで何をしているのか知らなかった。
大地も食堂へ行き、相変わらずひとりで朝食を食べた。
リオンのソワソワは食堂に行っても同じで、しきりに周りを見渡してはシャマンを探しているようだった。
昨日シャマンから告げられた『今後お前の挿入練習は、ずっとオレが担当することになった』という言葉のおかげだ。
大好きなシャマンが自分の挿入を一手に引き受けてくれる。
クロマサやアカベコにいたずらされるのを耐えながら辛い挿入練習を行わねばならないと覚悟していたゆえに、その嬉しさと誇らしさはひとしおだった。
しかし同時に九日目ともなるとさすがに切迫した焦りが生じてくる。
今まではまったく給料が出ていない。ということは、橋本に一銭も渡っていないということだ。
早く、早くデビューしないと、大事な弟たちが中村と橋本の毒牙にかかってしまう。
大地にとってはライタやカイトを人質にとられているようなものだった。
しかもさっきの点呼の時に気づいたことだが、見習いがふたりいなくなっていた。
今日そのふたりは中村屋で準備が済み次第さっそく客をとるのだろう。
その頃職員ルームでは毎日恒例の中村がしきる教育係のミーティングが始まっていた。
ここで初めて中村から、クロマサ・アカベコ以外の教育係にも今後大地の挿入練習はシャマンだけが行っていくという方針が告げられた。
知らなかった一同は前例のない試みにざわめくも、ここのオーナーというだけではなくネオ芳町の絶対王者・中村の意見には誰も逆らえず、皆すぐに静かになった。
後は淡々といつもの申し送りがあってお開きになった。
中村の姿が消えたことを確認すると、クロマサとアカベコが嫌味たらしい声で並木に声を掛けた。
「大地の挿入はシャマン様だけが行えるってお前どう思うよ」
「みんなでまんべんなく評価しないと、本当のところそのガキがどういった菊門か鑑定できねーじゃねーか、なァ?」
そう言われても、並木は実技の教育係ではないのでどうもピンと来なかった。
それにクロマサとアカベコたちのような粗野で下品な者とは馬が合わず、日頃から距離を置いている。
一方でシャマンは謎は多いが、彼らと違って厳しくも凛とした優しさで見習いに向き合う姿が好感を持てた。
シャマンはまだ席に残って少年たちのカルテを見ている。
きっとこの会話が聞こえているのだろうが、無視状態でタブレット画面に目を走らせていた。
「うぅ〜ん…しかし、こればっかりはご主人様が決めたことだから…」
曖昧に笑って誤魔化しながら授業のために部屋を出ていった。
クロマサたちはノってこない並木にしらけて、今度は実技の教育係数人に同様に呼び掛ける。
並木と違い、彼らは名門を試せない不平不満があったようでお互いに存分にぶちまけあった。
ちらちら、と嫌な視線とともに自分に対する恨み節が聞こえてくる。
しかしシャマンは彼らの反応などどうでも良かった。
それよりも中村のこの決定の裏にある企みがなんなのか、その正体が気がかりだった。
大地の午前は、並木が担当になって今までの総まとめの授業を受けた。
そしてひと通り終わったところで並木が笑顔を向けて告げた。
「大地。所作、礼儀作法、文字書き…午前の部門に受けた授業内容すべてにおいて合格点が出た。座学は合格したぞ、おめでとう!!」
「ええ、本当!?」
びっくりする大地に、ぷっと噴きだした並木は笑顔をはじけさせた。
「…!ありがとうございます…!!」
感激した面持ちで顔を紅潮させる大地に、並木も同じように嬉しさをたたえた表情でうなずいた。
実技がまだまだなのはわかっているが、今朝感じた焦りもこれで少しは軽くなった気がした。
「今後は実技中心の授業になるな。挿入はシャマンがずっと担当することになると、今朝の職員ミーティングでご主人様が教育係全員に伝えていた」
「…はい」
「昨日デビュー寮に行く機会があって、ミナトと会ってきたんだ」
「ミナトと!?」
「ああ、相変わらず元気だったよ。お前がいないと退屈だってさ」
思いがけずミナトの様子が聞けて大地の喜びに拍車がかかる。
「ミナトがあっちで待ってる。実技、がんばれそうか」
大地の元気な意気込みを聞いて、並木は合格を伝えた後からずっと浮かべていた笑顔をよりほころばせた。
その表情は、彼が大地とミナトの友情をあたたかく見守っていてくれることが良く伝わるものだった。
午前の部を合格した喜びに浸りながら、大地は並木のことを考えていた。
並木は陰間茶屋の教育係という身ではあるが、実技には一切関わらずに座学の授業しか行わない。
自分に接する様子からこんなところにいてもクロマサやアカベコとは違って生粋の少年好きには見えなかった。
それにどことなくあのシャマンが唯一並木にだけは警戒心を抱いていないというか、自然体で接しているような気がした。
(わざわざミナトのこと教えてくれるって、並木さんはいい人だなァ)
並木にミナトがどんな風に話したのか想像して、大地はクスッと笑った。
(並木さんは見習いの先生だけど、デビュー寮に行くことあるんだな。ミナトがデビューしてちょっとさみしそうだったから…気にして会いに行ったのかな)
そして自然にシャマンのことに考えを及ばせる。
(もしオレがデビューしたら…シャマンさんも様子を見に来てくれるだろうか)
しかしあのクールなシャマンのことだ。それは想像しにくかった。
(拓海さんもシャマンさんと会えないことにたまりかねてこっちに忍び込んできてたみたいだし…あんまり期待できないな)
シャマンは優しいが、彼を見ていると『見習いだから』『デビューしたから』という線引きはちゃんとしている気がして、大地は合格の喜びも忘れて少ししょんぼりした。
昼食を食べようと食堂へ行くと、開いた障子の向こうに数人の見習いがおのおの皿をつついているのが見えた。
別段いつもと変わらない光景なので、大地は何気なく敷居をまたいで中に入る。
すると瞬時に強い視線を感じたのでそちらを見ると、リオンだった。
今朝は避けられていたような気がしたリオンとバチッと視線が合ってしまったので、大地は少し面食らってしまった。
それは彼も同じだったようで、慌てて顔を背けるようにして視線を外された。
そして正面に座る那智に不満を訴えるようにふてくされたようなおもしろくない表情を浮かべてみせる。
どうやら彼は朝からの続きでシャマンを探しているらしい。
あの様子ではこの時間になってもまだ会えていないのだろう。
『シャマンさんかと思って見たらお前かよ』というあからさまな苛立ちを見せられても、大地こそそんなこと知るか、だった。
(まだだよ、シャマンさんが見習いたちの前に現れるのは午後の授業が始まる時、実技研修室じゃないと。残念でしたー)
大地は心の中でそう悪態をついて、しれっとした表情で配膳を受け取った。
リオンは誰かが食堂に入ってくるたび、那智との話を中断しては首を伸ばしてシャマンかどうか確認する。
気もそぞろでソワソワが激しい。あんなのが前にいちゃ那智も落ち着いて食べられないだろうな、と大地はもうひとりの新入りを少し気の毒に思った。