十七日目。
大地は前日リオンのことを考えていてすぐには寝つかれず、寝不足だった。
シャマンはあれからしばらくリオンが去った方を見ていたが、やがて静かにその場を後にした。
それを見届けて大地はそぅっと立ち上がったが、あの勘のいいシャマンのことだ。自分に気づいていないことはないだろうなと感じていた。
だがそっとしておいてくれたようで、とがめられはしなかった。
午前の授業は初めてインターネットを使ってさまざまな勉強をした。
ネットからの情報収集や発信、またネットスラングや心得などを並木が教えてくれた。
大地はこういう分野が得意だったため楽しく過ごせた。
大地は知らなかったが、実技の教育係のひとりが大地のことを『実技に時間がかかっているんなら、午前にも実技の練習を行った方がいいのではないか』と
言い出し、他の教育係も賛同したため中村に嘆願しようという雰囲気になった。
しかしそれを止めたのは並木だった。
一日中、性的なことに晒されるのは大地の心身に良くないと思ってのことだったが、当然実技の教育係にはいい顔をされなかった。
(ふぅ…楽しいけど熱中するから目が疲れちゃったな)
寝不足のせいでパソコンの作業が堪えた大地は、授業が少し早めに終わった空き時間を利用してリラックスルームで一息つくことにした。
そこには当然誰もおらず、大地は最初漫画でも読もうかと思っていたのだが、眠気が強くなってきたのでソファにだらしなく横になった。
(…自分の部屋に帰って寝ても良かったな…)
そう思いながらうとうと、とした時。
「…大地…だな?」
そう訊ねてきたのは、いつの間にか大地の傍まで来ていた人物だった。
聞き慣れない少年の声。しかし初めて聞く声ではない、と大地はまだ意識が覚醒しきっていない状態で感じた。
「ぇ…?」
「よう、久しぶり」
「…拓海…!」
大地は飛び起きた。
そこには中村屋が誇るナンバーワン陰間の拓海がいるではないか。
「おいおい、先輩の僕を呼び捨てだなんて見習いのお前ごときがずいぶん偉くなったもんだね」
拓海を見るのは初日と二日目以来だったが、相変わらずの美貌だった。
ぱっちりとした目に、色白のきめ細かい肌、さらさらの栗色の髪。
近くで見ればますます際立って、堂々たるナンバーワンの風格があった。
しかし大地を見る彼の表情は尊大で、明らかに敵意を感じる。
何故ナンバーワンの拓海がわざわざ見習いのリラックスルームで仁王立ちになり、自分を睨んでいるのかまったくわからなかった。
「…拓海…さん、なんでここに…」
「あぁ、そんなアホ面晒してるところ見るとてんでわかんないんだろうね。僕がわざわざここに来た理由」
(この人、顔はこんなに綺麗なのになんて口が悪いんだ…)
大地は見下ろされていることに気分が悪くなって立てろうとした。
しかし、拓海がどっかと大地の横に腰掛けた。
「お前の噂は前から良く聞いてた。シャマンさんにべったべったに甘えてるガキだってね」
「……」
横柄に拓海が横に座ったおかげで大地の身体が小さく揺れる。
大地が黙って見つめているのに気づいて、拓海はフン、と鼻を鳴らした。
「デビューを迎えるガキがこっちに来るたび、僕は最近のシャマンさんの様子がどうなのかいつもそいつから聞き出すんだ」
中村屋の陰間になった少年は見習い寮に行くことを禁じられている。
それでも拓海はこっそりと仕事の合い間を縫ってシャマンに逢いに来るのだが、それも中村の目を盗んでのため頻繁には行えず、彼には日々ジレンマが
募っているようだ。
ゆえに最近までシャマンの身近で生活していた者が一番の情報源と言うことで、彼らから情報収集することにいつも躍起になっていた。
昨日デビュー寮へ行った者はリオン。
リオンから聞きつけた話によって、今日はいても立ってもいられずにこちらに来たようだ。
「お前、『名門』なんだって?」
拓海はソファに深く腰掛けていたのをやめて、姿勢を前のめりにして大地に迫った。
「だからなかなかペニスが入らなくて、挿入はシャマンさんが全面的に面倒見てるって?」
「……」
「そこでわざとヒンヒン泣いて、甘えてんだ。少しでもシャマンさんと一緒にいようと思ってんだろう」
「ち、違う…!」
「何が違うんだよ。名門を理由にお前は同情買ってシャマンさんに甘えてるんだ。シャマンさんが優しいのをいいことに、もっと優しくされようと甘えてる。
それ以外になんだってんだよ」
(く、くそ…!)
大地は悔しかった。
しかし拓海の言葉はきついが、それは大地がずっと自分でも気にしていた部分だった。
魔羅の受け入れが容易な身体でないとは言え、これだけの期間、しかもシャマンだけを挿入相手として実技研修を行っている。
レイプ未遂の被害に遭ったことも大きく、シャマンが何かと細かい気遣いを見せてくれていた。
それらはすべてシャマンの優しさにつけ込んいるだけではないのか?
その疑問と向き合うことを避けていたのに、それを拓海によって真正面から突きつけられて大地はうまく反論できなかった。
表情を強張らせて黙り込む大地に、拓海は今度口調を変えてひとりごちた。
「名門、ねェ」
拓海は大地に上から下まで不躾な視線を寄越してひとり小さくうなずいている。
彼の口調から自分を小馬鹿にしていると大地は感じた。
それと同時に嫉妬めいたものも含まれている気がした。
「ここ中村屋はじまって以来の逸材だってご主人様は喜んでいらっしゃるみたいだけど、名門がなんだってんだ。お前がデビューしてもナンバーワンの座は
譲らないからな」
こんな大地でも座敷に上がることができたら、その日から同じ中村屋の陰間として人気と売り上げを競うライバルになる。
しかも大地は拓海の目の前で彼の顧客である小泉にデビューの予約をされているのだ。
まだまだ見習いではあるが名門の誉れ高い大地にさっそく宣戦布告する拓海からは、現在ナンバーワンである誇りと意地と、そこに昇りつめた苦労が
にじみ出ていた。
「ああそうだ。小泉様の情報を教えといてやろう」
少し笑顔になって大地に語り出した。
「小泉様はさ、聞いてるかもしれないけど男の子のお尻の穴が大好きな人さ。初めて床入りする陰間には、肛門拓…ってわかるかな。魚拓の菊門版、
菊門に墨塗って紙押しつけて…ってことをするんだ。それをコレクションしてんだぜ」
「……」
クロマサが、陰間が小泉の座敷に初めて上がる時は一時間ほど菊門をたっぷり見つめられると言っていた。
それに加えてこんなことをされるのか。大地は胸が悪くなった。
拓海は下から覗き込むように大地の反応を窺う。
その表情から手応えありと、ニヤリと笑ってさらに続けた。
「それだけじゃないぜ。小泉様は男の子の菊門の皺の数を大事に記録してんだってさ。 僕なんか午前に客とった日に小泉様にお尻をまじまじ見られてさ、
『今日は二回ヤっただろう、そのうちの一回は中出しされたな?』って言われたんだぜ。お尻が腫れて皺の数が違うって。それだけでも気持ち悪いのに、
それがまた当たってんの!鳥肌立つどころの騒ぎじゃないだろう? 」
そう言う割りにはキャッキャッ、と楽しそうだ。
「小泉様のことを僕は陰で『人間ウォシュレット』って呼んでる。男の子専門の、菊門を綺麗にぺろぺろお掃除するウォシュレット!いいセンスしてるだろう僕」
大地が初めて提供される客について、この流れで拓海が親切に教えを説くわけがない。
最初からわかっていたがこの底意地の悪さに大地はうんざりした。
「どう?陰間って大変だろ?」
甘ちゃんのお前には耐えられそうにない世界だろう。
拓海の表情はそう物語っていた。
大地が何も返事をせずにいると、拓海は意地悪な微笑みを顔から退かせて冷たい顔で言い放った。
「…シャマンさんと僕は出逢ってもう三年になる。その三年間、ずっとずっとシャマンさんのことしか考えてない。知り合って三週間にもならないお前とは
比べ物にならないんだよ」
想いの深さは誰にも負けない。それを思い知らせる言葉だった。
それからちらりと壁の時計に視線をやって、すっと立ち上がる。
大地を睨んだまま美しい口元に似つかわしくない言葉を吐く。
「僕とお前とじゃ年季が違う。そういうことだからあんま調子に乗るんじゃねーぞ、名門クン
」
そして優雅な脚運びで部屋を出て行った。
「なんだよ、あいつ…」
大地は拓海がつけていた香水の甘い残り香がする部屋で小さくぼやいた。
一方的に言いたいこと言いやがって。
オレだってシャマンさんのことが誰よりも大好きなんだから、時間の長さがなんだってんだ。
拓海の宣戦布告ぐらいでは大地のシャマンへの恋情が消えることなどない。
むしろああ言われると余計気持ちが燃え立つ結果になった。
しかし拓海によって陰間のリアルな実態に触れることになり、大地は憂鬱になった。
それでも大地は陰間にならなければいけない。
どんな酷い世界でも、そこで生きなければならない。
大地にはもう逃げ場などないのだ。
(ライタ、カイト…)
守るべき存在の名を呟いて、大地は口唇を噛みしめた。
