その日の夜、大地は布団の中でぐるぐるといろんなことを考えていた。
シャマンへの強い恋情を抱いたまま、さまざまな男に身を投げ出す日々を送る拓海。
欲望のままに少年の肉体を漁る小泉。
今日デビューを迎えたリオン。
彼らの現状は、いずれ大地と必ず深く関わるものばかりだ。
そして自分の現状はと言うと、シャマンには今日、また練習で『泣くな』と叱られた。
十七日が経っても、魔羅はまだ半分と少ししか入らない。他の少年たちと大きく差がついてしまった。
ライタとカイトに害が及ぶのは絶対に嫌なのに、一向に進歩のない自分に嫌気が差す。
「あー…」
シャマンに対する想いが高じて拓海は多くの時間をともに過ごしている大地に嫉妬し、わざわざ逢いにやって来た。
三年という長い年月、彼を想い続けている自分をアピールしていたが、その自信の裏には大きな不安と日々の葛藤が垣間見えた。
たくさんの人が、それぞれの環境の中でそれぞれの想いを抱えて生きている。
拓海と小泉とリオン。
そしてシャマン。
それぞれどんな一日を過ごしたのだろう。
布団に寝転がったまま障子越しに月の灯りが明るく透けて見える。
大地は少し考えて、障子を開けてみた。
「わぁ…」
今日は満月だ。
雲は少しあるがそれが気にならないほど輝く光を放っている。
その圧倒的な存在感に見惚れながら、大地は再び布団に横たわった。
『太陽』にいた頃はひとつの部屋にみんなで一斉に寝ていた。
電気を消すと暗くて怖いと言う子どもが多かったから、こんな風に月が眩しい夜はみんな安心して寝ていたっけ。
「あいつら、どうしてるかな…」
カイトが怖い怖いと騒ぐ代表格だったが、大地にひっついているうちに一番先に眠って、良くみんなを呆れさせていた。
「ふふっ…」
翻弄されてすっかり目が覚めてしまったライタの、カイトが眠ったと知った時の唖然とした顔を思い出して大地は笑った。
今日もそんな風に月灯りに照らされてぐっすり眠れているだろうか。
そうだといいな。そうであってほしいな。
他の街から遮断するために、高い高い壁に囲まれているネオ芳町。
でも、ここから覗く空は何にも阻まれない。
この空は『太陽』の子どもたちに続いていて、同じ月灯りに照らされている。
中村屋の敷地に少年愛者が忍び込む怖れがあるという話をミナトから聞いて、大地はその後一度も障子を開けて眠ったことがなかった。
しかし今日はこの月の光をもっと浴びていたくて、そのまま寝ることにした。
愛する家族を想うと、少し落ち込み気味だった気分が回復するような気がした。
大地は弟たちの寝息や体温をあの頃のように感じながら、ゆっくりと目を閉じた。
十八日目。
「大地、大地!開けなさい!」
大地は襖の外から声を掛けてくる並木の声で目を覚ました。
あまりの剣幕に大地は寝坊したのかと思って飛び起きたが、窓の外はまだ薄暗い。
時計を見れば五時だった。
「…???」
眠い目をこすってゆっくりと襖に近づく。
襖は外から並木が叩いているようで、どん、どんと衝撃で揺れていた。
「開ける、今開けるってば」
大地は正直眠りを妨げられて気分が悪く、いさめるように言いながら鍵を開けた。
「どうし…」
「大地、無事か!」
並木は襖を乱暴に開いて、そのまま大地に迫ってきた。
「ぇ…」
「大丈夫か?何もされてないか!?」
肩を掴んできて大地に肉薄する並木の形相は、いつもの温厚な雰囲気とはかけ離れていた。
「…?…何も、されてないって?…オレはずっと寝てただけだけど…」
意味がわからずに大地がぽかんとしていると、並木はホッとしたように胸を撫で下ろした。
「良かった…~~~…」
「え?何?何かあったの?」
並木が安心してへたり込んだ時、その背後に中村とシャマンの姿があることに気づいた。
こんな時間にこの三人が揃って見習いたちの部屋に来るなんて。
前代未聞の顔ぶれに大地は驚きを隠せなかった。
三人とも大地が無事と知って安堵している様子だったが、それでも誰ひとり緊迫感を緩める者はいなかった。
何が起こったというのだろう。
異様な事態に大地も緊張した面持ちになり、一番頼りにしているシャマンを見た。
すると、上がり框の向こうに立ってシャマンより一歩前にいる中村が口を開いた。
「不審者が見習い寮の敷地に忍び込んだらしい。今その被害状況を聞き込みに回っている。お前自身に被害はないな」
「えっ…!?」
不審者と聞いて身を強張らせる大地に、中村は再度尋ねた。
「寝ていただけで、何もされていないし、怪しい者も目撃していないんだな」
「は、はい…」
ミナトが警告してくれたことが実際に起こってしまった。
少年を性的にこよなく愛する変質者が、少年が寝起きする見習い寮に入り込んだ。
そいつは何をどのようにして、どんな犯行に及んだというのだろうか。
大地の返事を聞いて何度か小さくうなずいた中村は、不安が高じて青ざめている大地に説明を始めた。
「守衛の見回りで発覚したことだが、お前の部屋の窓側の壁に何者かの精液が付着していた」
「!!!」
「お前だけではなく、中庭に面する部屋に住む見習いたち五名にも同様の被害が見受けられる。精液の状況を見るに、少年目当てに忍び込んだ犯人は複数。
興奮の果てにその場で自慰を行い射精したのだろう」
「……!!!」
大地は言葉がなかった。
不審者は自分や他の少年らの部屋を覗いていたのだろうか。
窓にはもちろん鍵をかけていたが、部屋の障子は月灯りが恋しくて開けていた。
中に侵入されることはなかったにしても、寝ている自分を見てそのような行為に及んだと思うと心底ゾッとした。
自然にクロマサに犯されそうになった恐怖が蘇って身体が震える。
大地は無意識にシャマンに視線を送った。
シャマンも大地を見ており、深刻な事態にその顔はいつもより険しさを増していた。
中村は、ひとまず秘蔵っ子の大地が無事と知って安心して言った。
「今後、鍵はしっかりとかけて障子は閉めておけ。何か思い出したことや異変があればすぐに言うように」
そうして並木とシャマンを引き連れて隣の誉の部屋へと移動する。
誉にも直接的な被害が出ていないかどうか聞き込みを行うのだろう。
「……」
大地は静かに襖を閉じて、部屋の中へ戻った。
そしてすぐに窓の鍵を確認して障子を閉めた。
この窓の下に変質者の精液がついていると思うと近寄りたくもなかった。
そいつが窓ガラスを割って部屋の中まで入って来なくて本当に良かったとは思うものの、大きな疑問が残る。
強固なセキュリティの中、どうやって中村屋の敷地に侵入してきたというのだろうか。
それに警備や監視カメラをかいくぐって見習いたちを覗くだけでなく、そこで自慰を行えるなどずいぶん余裕があるように思える。
陰間茶屋の客かとも思ったが、見習い寮にまでは容易に入って来られないようになっている。
夜中でも守衛が巡回しているから見知らぬ者がいると目につく。中村の言う通り複数の犯行ならばなおさらだ。
(だとすると内部の者…クロマサとか、アカベコか?)
大地はさんざん性的にいたぶられた男たちの顔を思い浮かべたが、毎日少年たちの身体を貪っている彼らが今さらこんな風なことをするのもどうだろう、と
疑問に感じた。
早くこんな気持ちの悪い不安感から解消されたくていろいろと推理していた大地だったが、ふと自分の恰好が気になった。
寝相が悪いせいでいつも襦袢が着崩れてしまうのだ。
その犯人が部屋を覗いていたのなら、布団をはねのけて肩やら脚やらが飛び出た大地の姿を見ていたはずだ。
大地は姿見で自分の恰好を確認したが、並木に叩き起こされた時に無意識に直したらしく思ったほどは乱れていなかった。
今日からはまた、どんなに月が綺麗でも障子を閉めて寝なければならなくなった。
(…せっかく月が見られて嬉しかったのに)
不自由な生活の中で唯一見つけられた楽しみを奪われて、大地は気持ちが沈んだ。
その後、窓に射精された見習いたちへの聞き込みが終わり、直接的な性的被害を受けた少年はひとりもいなかったため、管理者も見習いたちも一同安心した。
どうやらセキュリティに問題があったらしく、いくつかの監視カメラや警報装置に不具合が生じていた。
今回はその隙を突かれた形の犯行であったため、中村は早急に問題個所を修理し、各メンテナンスを日々行うことにした。
もちろん、さらにセキュリティを強化して同じことのないように努めた。
そうは言っても見習いたちは被害に遭った者はおろか、そうでない者も気味の悪いできごとに不安感でいっぱいになった。
「犯人はどうせブッサイクな卑劣変態でしょ」
「オナニーしかしたことない哀れな童貞野郎ばっかが同盟組んで、ここに来たんじゃね?」
「どんなヤツであれ覗きでオナニーなんてキモすぎるわ」
正体不明の男に知らぬ間に性的ターゲットにされた不快感は、犯人をこんな風にでも貶めていないとなかなか拭えなかった。
そんな中、この事件を自身のために利用する強者も現れた。
「ああ、シャマンさん、僕怖いよ~覗きのおじさんに犯されちゃう~」
誉はシャマンを見かけると甘えた声でこう言いながら擦り寄っていく。
もちろん下心が見え見えで特別にシャマンがかまうはずもなく、他の見習いたちはそんな誉に苛立つ者、呆れる者、良くやるよと苦笑する者とさまざまだった。
