百華煉獄87
 二十二日目。
 大地は点呼の時にひやひやしながら部屋を出た。

 昨日は張り形の自主練習で思わず大きな声を上げてしまい、それが隣の誉に聞かれていないか気になっていたのである。
 しかし大地の心配をよそに、誉は特別からかってくることもからんでくることもなかった。
 いつもと同じで大地はホッとした。


 それにしても昨日のことを思うと大地は顔から火が出そうだった。
 自主練として張り形を渡された時は気持ちが沈んでいたのに、張り形をシャマンになぞらえた途端、大乗り気で行ってしまった。
 初めての自慰、おまけに精通まで。

 いつもは対面できることを心待ちにしているシャマンの存在なのに、こうなるとそれだけでは済まなくなってしまった。
(どんな顔してシャマンさんに会えばいいんだよ…しかも自主練のこと聞かれた日には、どう答えたらいいんだよ…!)
 大地はひとり頭を抱え、悶絶した。



 そうは言っても、いつもと同じように時が過ぎてお昼が来る。
 早めに昼食が済んで手持ち無沙汰だ。
 そわそわするから気を落ち着かそうと、誰もいないリラックスルームに行ってテレビをつけた。

 ちょうど昼のニュースが終わって情報番組が始まったところだ。
 この番組の冒頭はいつも、名物グルメリポーターがロケに出て話題の飲食店を紹介するコーナーから始まる。
 リポーターのやたらと高いテンションに大地はついていけないなァと思いつつ、ボーっと眺めていると。

「あっ」
 そのコーナーで取り上げられていた街がネオ芳町だったので、大地は驚いて声を上げた。
 リポーターはマイクを持ってネオ芳町の一角を明るく紹介しながら歩いている。


(男色のメッカのこんな場所でも、テレビに映ることがあるんだ)
 テレビで紹介されるということは、それだけ大衆的な街ということになる。
 ネオ芳町の王者・中村が強い『色街』のイメージを変えようとでもしているのだろうか。
 厳重な警備態勢が敷かれている門をこのリポーター含むテレビクルーの一団が入って来たことがなんとも想像しにくく、大地は首をひねった。


『おっ、ここです、ここです!すごい行列ですね〜!』
 グルメリポーターはとある一角へたどり着いて、確かに二百名以上の大行列ができている店にスポットを当てたようだ。

 オフホワイトの壁に、窓枠や外壁のところどころにアクセントで淡い水色が入っているデザインの店だった。
 大きなソフトクリームの立体的なオブジェが印象的なように、そこはソフトクリーム専門店ということだった。
 海外が発祥の有名店がついに日本へ初出店したらしい。
 それがネオ芳町というのだから、大地はまた驚いた。


 行列に並んでいるのは、ネオ芳町だからもちろん男だらけだがソフトクリームということで少年たち中心だった。
 中には年長者がパラパラと混じるが、皆少年と連れ立っているところを見るとデートで来ているようだ。
 もともとスイーツ好きには名高い店だったようで、並んでいる何人かの少年たちにインタビューすると彼らは目を輝かせてこの日を待っていた、と答えた。

 店内もオフホワイトを基調としたカラーリングで、太い水色のストライプが効果的でおしゃれだった。
 カメラはイートインコーナーで食べている客たちをちらりと映した後、リポーターの注文したソフトクリームをアップにした。
 なめらかならせんを描いた白い質感が、ひんやりとした冷たさをまとって視聴者に魅力的に訴えかける。
「美味しそう…」
 甘いものが大好きな大地は、思わず呟いてしまった。

 カメラがしっかりソフトクリームの魅力を映し取ったことを確認して、リポーターはカメラ目線で明るく言う。
『では、お味はどうでしょうか?いただきま〜す!』
 しっかり間を取って、ゆっくりとプレーンの白いソフトクリームをぱくりと咥えたリポーターは、一度瞑った目を大きく見開いて唸った。
『うわ、なめらかなコクとバニラのほのかに甘い風味が口いっぱいに広がります。美味しい…!うぅん、王道なんだけど舌の上でとろける感じがゆっくりじんわりで、
でもしつこくないからペロッとイケちゃいますねぇ!』
 リポーターはさすがプロ、余すところなく今食べたものの感想を魅力的に伝えてくれる。
(いいなァ、いいなァ…!)
 大地はリポーターが羨ましくて仕方なかった。


(でもなァ、ひとりでこの街歩くのって好きじゃないんだよな…)
 ネオ芳町に初めて来た日のことを思い出す。
 シャマンと逢えて良かったとは思うものの、逢引旅館に強引に連れ込まれそうになった経験はネオ芳町の散策に二の足を踏ませるには充分だった。
 大地はグルメリポーターが揚々と別の種類のソフトクリームに食指を動かしているのを見ながら、どんなに大衆的に見せたところでここは少年を狙う
男色家の集まる街なんだという悲しい現実を痛感した。



 そうこうしているうちに午後の実技の時間が近づいてきた。
 昨夜の自慰のことを思い出しながら、研修室へと足を運ぶ。

(そう言えば、精通したら誰かに言わなきゃいけないのかな…?)
 見習いたちの発育状況を逐一記録しているここ中村屋だから、ふとそんなことに考えが及んでしまう。
(ご主人様とはなかなか会えないし、クロマサやアカベコには絶対に言いたくない。シャマンさんに…?いや、もっとダメだ。そしたら自慰のこと
告白しなきゃいけなくなっちゃう…!)
 真っ赤になってひとり首をぶんぶんと振っていると、背後から声を掛けられた。


「大地」
「ッッ!!」
 振り向かずとも凛としたその声の主はすぐにわかった。
 大地は一番逢いたいのに一番逢いたくないその人物の方をすぐに見れなかった。

「大地、自主練の状況はどうだ」
(…やっぱり…!)
 そのことを聞かれるだろうと思っていたから余計に反応できなかった。
 が、これで許してくれるようなシャマンではないだろうから大地はおとなしく振り返った。

「…昨日、しました」
「そうか。どうだった」
「…さ、先っぽ…は、入りました」
「亀頭全部か?」
「…は、はい」
 この会話の間中、大地はまったくシャマンを見られなかった。
 そりゃそうだろう、痛くて怖かったのに、張り形が目の前のこの人の魔羅だと思えばそこまで挿入できたのだから。
 しかも…。


「ん?お前体調悪いのか?」
 頬が赤い上に大地の様子がおかしいので、シャマンは大きな背をかがめて大地の顔を覗き込もうとする。
「っひゃ、元気!です!!」
 シャマンの碧い瞳がしっかりと自分を捉える間際に、大地はそう叫んでシャマンから身をひるがえした。
(自慰の妄想相手にしただけじゃなくて、それで初めて射精したなんて…あーもうダメだー!!!)
「おい…」
 大地はシャマンがまだ何か言おうとしているのに、いたたまれずにその場から逃げるように駆け出した。

「…なんだあいつ」
 大地の胸の内など知らないシャマンは、小さくなる背中を見つめながら呆れ声で呟いた。



 実技の練習時間になると、大地は早々に尺八の練習に入った。


 担当の教育係に命じられた通り、基本的な尺八の仕方を何通りか行った。
 挿入練習がなかなか進まない大地はかなりの数の尺八をこなしており、初めて魔羅を咥えた頃からはずいぶんと上達していた。
 苦しくてもえづくことが少なくなり、不快感や辛さをやり過ごして精液を飲み込むこともちゃんとできるようになっている。
 大地自身もそういった自分の進捗状況から、もうそろそろ合格してもいい頃だろうと感じていた。

 しかし実技の教育係たちは名門と名高い大地の菊門を体験できないフラストレーションがたまっており、それを解消するためには尺八の相手になってもらう
しかないと、なかなか合格にしなかった。
 それは中村も気づいており、彼らの性衝動を抑えるためだと目を瞑っているようだった。
(もう何十回尺八したんだろ…合格させてくれたっていいのに)
 大人たちの思惑を大地は知らないため、尺八実技後に汚れた顔や口を洗いながらそう思っていた。



 さて、尺八の次はいつもの挿入練習だ。
 さっきはシャマンの前から逃げるように…というか実際逃げたのだが、今度ばかりはそれも敵わずにきちんと対面するしかない。

 シャマンはいつもの場所、中庭に面する大きな窓の前で大地を待っている。
 大地は黙ってそこへ向かった。

 シャマンは先ほどのことは特に何も言わず、淡々と挿入練習に入る。
 彼のこういうクールな面は場合によっては非常に助かるが、また同時に寂しさを感じる部分でもあった。
(オレなんて、別になんとも思われてないんだよな…)
 大地もルーティン作業でふんどしをほどいて畳に座った。


 シャマンが傍に来て、ローションを手に取る。
 それを合図に大地は寝転んだ。

 ぷちゅ…とシャマンの掌にローションが垂れる音が小さく響く。
 それを聞いた途端、大地は昨日の自主練のことが瞬時に蘇ってしまった。
(…っ!)
 大地がひるんだその時、そんな気など知らないシャマンが大地の脚を開いて近づいてくる。


(うわぁ、自慰のこと思い出しちゃうよ…!!!)
 この人のことを思い描きながら、張り形を挿入してオナニーした。
 その事実が生々しさを持って大地を襲い、ますます気を動転させる。

「ちょ、待っ…!!」
「?なんだ?」
「待ってよ、ストップ!」
「何言ってんだ、時間がなくなるだろう」
 シャマンからすればいつもと同じことをするだけなのにと、あたふたする大地の言動の理由がわからない。


(そりゃシャマンさんからすれば何してんだろうって思ってんだろうけど…!)
 さっきから挙動不審な大地にいちいちかまってもいられないシャマンは、大地と自身にローションを塗って練習を開始した。