もともと実技研修室で張り形練習をしたくなかった上に、あの拓海がいる場所にいたくない。
大地は着物の裾をずりずりと引きずりながら中庭に出た。
シャマンの言いつけ通りに自主練習を行わねばデビューは遠い世界のままだ。
拓海や他の見習い連中に馬鹿にされて腹は立つが、張り形練習は自分のためだと大地は気持ちを切り替えることにした。
ひとまずお湯につかって菊門を柔らかくする必要があった。
中庭の隅に水場があり、その横に立て掛けてあるタライを引っ張り出した。
蛇口からはお湯も出るので、ホースを繋げてタライに引き入れる。
この場所は実技研修室からの死角になっていて大地は安心した。
タライに入っている姿など、絶対に拓海や見習いたちに見られたくない。
これ以上みじめで屈辱的な思いはしたくなかった。
お湯がタライいっぱいになってきた。
先ほどまで挿入練習をしていたためふんどしは脱いでいる。
羽織っていた着物が濡れても面倒だからと、大地は全裸になって張り形を手にタライに入った。
今日は天気が良く、この水場は午後の陽射しが差し込んできて暖かい。
じんわりとお湯の温かさやぽかぽか陽気のおかげで気持ちはいいが、さっきの拓海や見習いたちが自然に思い出されて気分がムカムカした。
(オレだって自覚はあるよ。自分が見習いとして落ちこぼれだってこと…でもあんな風に笑い者にすることないじゃないか!)
突如現れた拓海の存在は、大地の心をかき乱した。
(シャマンさんにべたべた纏わりついてさ。仕事の邪魔なんだよ、なんでデビューしてるのにここに来るんだ。あんな風に手繋いで…!)
両手で掴んだ張り形をぎゅっと力任せに握りしめる。
拓海に対する憤りは、自分を馬鹿にして笑ったことより、シャマンを独占してつきまとうことへの焼きもちの方が大きかった。
シャマンの厳しさも、本当は優しさの裏返しであることはわかっている。
なのにその後に拓海があんなことを言うから、シャマンまでが大地の存在に困り果てているのではないかという気になってしまう。
自分はひどく足手まといのでき損ないの、救いようのない問題児。
彼にそう思われているのではないかと邪推してさらに落ち込む。
(でもシャマンさんはそんな人じゃない。そんな人じゃないと思うけど、オレが三週間ちょっとでまだこのレベルってのは否定しようのない事実であって…)
お湯の中にある張り形が光の屈折でゆらゆらとゆらめいて見える。
大地は気持ちの整理がつかずに、それを悲しい気持ちで見つめていた。
余計なことは考えない方がいいのかもしれない。
大地はそう思って目を瞑った。
しばらく無の気持ちでそうしていると、静かな中にちゅんちゅんという雀の声が明るく響いていることに気づく。
また、陽気の良さと温かいお湯、ぽかぽかした陽射しで次第に眠気が襲ってきた。
(あぁ、眠くなってきた。ここで寝ちゃったらまたシャマンさんに怒られるだろうな…)
そう思うのだが、猛烈な睡魔についうとうとしてしまう。
こくり、こくりと舟をこいでいると、陽光を明るく映していたまぶたの裏がふと暗くなった気がした。
「……?」
わずかな異変を感じて目を開くと、すね毛の生えた脚が見えた。
一瞬シャマンかと思ったが、目の前の脚は太く、ごつごつしている印象だ。
彼の脚はこんなに多毛ではないし、もっとスラリとしている。
(誰?)
不思議に思って顔を上げたが、逆光で良く見えなかった。
こちらを向いているらしいが大きな黒い影となって人物を判別できない。
次の瞬間、いきなり背後から口を塞がれた。
「!!!」
もうひとり別にいたのかとハッとした途端、後ろの人物はもう片方の手で大地を抱きすくめて、タライからものすごい力で引き上げた。
背後の人物が無理矢理立たせた大地の下半身を目の前の男は低い姿勢で素早くさらい、軽々と持ち上げる。
(な、何者なんだこいつら…何をする気だ!?)
訳がわからず混乱する大地を、誰だかわからない者たちは中庭から連れ去って行った。
その手口はあまりにも鮮やかであり、一瞬のできごとだった。
ゆえに実技研修室にいる者をはじめ中村屋の誰もこのことに気づいていなかった。
その者らは、大地を抱えたまま裏庭近くにある用具小屋に入った。
狭くてホコリ臭い空間は扉を締め切ると真っ暗で何も見えない。
無理矢理こんなところに自分を連れて来て、この傍若無人なヤツらは何をするつもりなのかと大地は焦った。
もしや見習いをレイプしたいと潜り込んだ不審者なのではないか。
だとすると、自分は犯されてしまう。
「………!!!」
クロマサにレイプされかけた恐怖を思い出す。
どうにかこの場から逃れたいのに、背後から拘束してくる者はずっと大地の口を塞いだままだ。
必死で声を出してもくぐもってしまって、どうしようもなかった。
そうしていると、ふ…と小屋の中が明るくなった。
その人物らが天井の裸電球を点けたようだ。
自分をここへさらってきた者。
その姿が如実に目の前に浮かび上がった。
(ク、クロマサ!!!)
灯りの下で笑っているのはクロマサだった。そして大地の後ろの人物が背後から覗き込んできた。
「ひっひ〜!うまい具合にひとりぼっちになってくれたぜー」
(…アカベコ!!!)
大地はその時初めて、自分を連れ去った人物の正体がクロマサとアカベコであることを知った。
