大地は中庭で意識を失った後、中村の指示で教育係たちによって見習い寮の医務室に連れていかれた。
そのまま中村屋所属の医師たちから全身精査を受けたが、どこにも問題はなかった。
そんなことは知らぬまま大地はその日の夕方に目覚めた。
「ぁ…ここ…?」
ぼんやりする頭で周りを見渡すと白いベッドがいくつかと壁に大きな薬品棚があるのが見えて、保健室っぽいところだと思った。
しかし初めて来る場所だし、ここには誰もいない。
先ほどの事件。あの後どうなったのだろう。
シャマンは、クロマサは、アカベコは。
クロマサを責めながら、ひどく傷ついているように見えたシャマン。
彼は今、どうしているのだろう。
シャマンの様子が様子だっただけに、犯されそうになった自分がこんな風に思うのはおかしいかも知れないが、彼のことが心配でたまらなかった。
ぐるぐると考えを巡らせているといても立ってもいられなくてベッドから降りようとした時、部屋のドアが開いた。
「騒動のことはアッチでも持ちきりさ。お前が被害に遭ったってんで、内緒で来たんだよ」
ひょっこり現れたミナトは大地の身を心配して駆けつけて来てくれたらしい。
「気なんか遣うなよ。しかし大変だったな」
お互い二週間ぶりに会うので嬉しかったが、それよりも大地はシャマンが今どうしているのかが気がかりで仕方なかった。
そんなことはしっかりお見通しのミナトは、大地のために集めた情報を教えてくれた。
クロマサとアカベコは中村屋を解雇されたと言う。
決定したのはもちろんオーナーの中村だ。
ただでさえ商売道具の見習いに手出しすることは禁じられているのに、標的となった大地は今後中村屋に絶大な富と人脈をもたらしてくれるであろう名門の持ち主だ。
予約を入れている小泉が大物だということも中村の逆鱗に触れた。
早々に中村屋はおろか、ネオ芳町からも放り出された。
ミナトによると彼らはもう二度とネオ芳町の門をくぐることは許されないとのことだった。
一方シャマンは大物の予約が入っている有望な見習いを守るためとはいえ、かなりひどい暴力をふるったことで中村に厳重注意を受けたようだ。
暴力沙汰を起こした張本人ではあったが、以上の理由でおとがめはそれだけだった。
大地はホッとした。
まずはシャマンがここを辞めなくて済んだことが一番だった。
そしてあの忌々しいクロマサとアカベコがネオ芳町を出入り禁止になったことも嬉しかった。
陰間茶屋界を牛耳る中村に背いた彼らは、今後こんなにオイシイ仕事にありつけることはないだろう。
少年愛好趣味が著しいクロマサたちには耐えがたいことだろうが、それも自業自得だ。
大地が最後に見たアカベコは失神していて、クロマサは正気を失いかけるほどダメージを受けていた。
あの後の彼らがどうなろうが大地にとって知ったことではなかった。
「?」
口をへの字に曲げて考え込む仕草を見せながらそう言うミナトを、大地は不思議そうな顔で見つめる。
ミナトはわかっていない様子の大地に言い聞かせるように前のめりになって続けた。
「考えてもみろよ。鼻つまみ者のクロマサとアカベコを見習いの貞操を守るためやっつけたシャマン様に、他のヤツらったらもうこぞってメロメロになってんぞ」
「っ…」
もともと根強い人気のシャマンが、あのセクハラ野郎どもをぶちのめしたのだ。
見習いを守るため、シャマンがタチの悪いならず者を目の前で再起不能にしてくれた。
まさにヒーローではないか。
そりゃあ、みんながさらに熱い眼差しでシャマンを見るのは容易に想像できた。
「拓海さんなんかさ、あんな風に助けてもらえるんなら僕があの下衆野郎どもに襲われれば良かった、なんてしょーもねーこと言ってるらしいぜ」
ミナトは拓海のデリカシーのなさに呆れ果て、ケッ、と言って肩をすくめた。
「そう…」
実際あの状況に我が身を置いたら、そんな軽はずみなことはとてもじゃないが言えないはずだが。
シャマンに優しくされたいばっかりに軽率にものを言う拓海に、大地は苛立ちを通り越して情けなさを覚えた。
「ま、ひとりで言ってろ、って感じ。今にオレがあいつをナンバーワンの座から引きずり下ろしてでかい顔させねーようにしてやるからな!」
にやっと笑って大地にウインクするミナトは、本当にたのもしかった。
思わず大地も笑顔になってうなずいた。
「ミナト、それはそうと、仕事は?ご主人様に見つからない?」
「ああ、大丈夫。ご主人はこの騒動の対処で大忙しみてェ。オレがいないことにゃ気づいてねェよ。客は…あ、もうこんな時間か」
時計を見て慌てるそぶりを見せるミナトに大地は礼を言った。
「忙しいのにありがとうな。こうやって会いに来てくれてすごく嬉しかった。元気もらった、ありがと」
久しぶりに大地からまっすぐに礼を言われて、やっぱりミナトは大照れだった。
「そんなたいしたことしてねェって。オレさ、今じゃ中村屋の陰間上位五位に入る売れっ子なんだぜ?今から来る客はこないだ教えた大物政治家の息子。
官僚の息子でさ、そいつもゆくゆくは先生様になる予定」
すごい。
ミナトは見習い時代に大地に宣言していた通り、ミライのために着実に大金を得る陰間へと日々前進している。
大地は素直に感心した。
「そういうのどんどん捕まえて、荒稼ぎするぜ!」
「うん、いってらしゃい!」
親指を立てて大地にアピールしつつ、急ぎ足で医務室を後にするミナトに大地は笑顔で手を振り送り出した。
(オレも早くデビューしないとな…)
クロマサたちに再び犯されかけた恐怖は簡単に拭えそうにない。
だが大地は陰間としてやっていくしかない。今この時にミナトのあんな姿を見ると、少し前向きになれそうだった。
その一方で、大地はシャマンが守ってくれたことでますます彼に気持ちが傾いていた。
陰間になるためにここへ来たのに、シャマン以外の人に触れられたくない。
そんな想いがこの事件でさらに強くなった。
陰間になるために出逢った教育係の男性。心底惚れてしまったゆえに、陰間になどなりたくない。しかしならなければならない。
相反する気持ちが拮抗して、大地は大いに煩悶した。
それに、クロマサに暴行するシャマンの痛々しさもとても気になった。
普段はクールでポーカーフェイスなのに、あの時は誰も触れることのなかったシャマンの本質が剥き出しになっていたような気がした。
大地の知らないシャマン。
ますます知りたくなり、ますますシャマンが恋しい大地だった。
二十三日目。
あれからずーっとずーっと、大地はシャマンのことだけを考えていた。
この一晩シャマンはどう過ごしていたのだろう。
シャマンと言えばひとつ心配なことがあった。
それは自分に対して彼が怒っているかもしれないということだ。
実技研修室で張り形挿入の自主練をしろと言われたのに、勝手に中庭に出てひとりきりになった。
犯人は結局クロマサたちだったものの見習い寮に不審者が出たということも知っていたのに、むざむざ誰もいないところで隙を見せる行動をとってしまったのだ。
初めて出逢った当初から自分の身は自分で守れと言われているのに。結局はシャマンに助けられることになってしまった。
あげくにシャマンの心の闇が露呈するような騒動になってしまって、大地は後ろめたい気持ちだった。
見習いたちはどことなく大地を遠巻きにしているような感じだ。
輪姦されそうになってシャマンに助けられた大地に同情しつつも嫉妬している。
大地を見ながらヒソヒソ話をしている少年ばかりで、みんなの複雑な心境が伝わってきた。
しかし今までも無視に近い扱いを受けていたから、こんなのどうってことないと大地は知らぬふりをした。
(今日の午前は…)
いつもなら点呼終わりに並木が当日の授業内容を伝えてくれるのだが今日は何も言われなかった。
並木も昨日の事件で対応に追われているようで、朝見る限り落ち着きがなかった。
(バタバタして伝達を忘れてたのかな。まァいいか、いつも通りにしよ)
大地は並木の授業を受けようと、教養室へと向かった。
すると、シャマンが向こうから歩いてくるのが見えた。
「あっ」
シャマンの表情は無表情で相変わらず読めない。
無防備に行動して自衛できなかった大地を怒っているかもしれない。
まず最初は助けてもらった礼を言わなければと思ったのだが、そんなこんなで合わす顔がないのと、シャマンにどのような態度で接していいかわからずに
困惑してしまった。
普段ならシャマンと逢えて嬉しいはずなのに、今日はその反対で委縮してしまった。
(やばい、どうしよう…でもやっぱりひとまずお礼言わないと…)
大地はビビりつつ、シャマンに一歩踏み出した。
シャマンも大地が目当てだったようで、すぐ目の前に来た。
何も言わずに大地を見下ろす。
その顔はどことなく怒っているように見える。整っているゆえというのもあるだろうが、こういう時美形は感情が読み取れないので困る。
大地は完全に動転してしまい、『ありがとうございました』という礼の言葉を言えないでいた。
「あっ、あっ…」
焦る大地に、シャマンは口を開いた。
「おい、外出するぞ」
「…え?」
「今日は一日、中村屋から出てぶらぶら散歩でもしようと言ってるんだ」
「えっ」
思ってもいないシャマンの誘いに、大地はますます思考が乱れた。
(一日、ぶらぶら散歩する?なんで…)
疑問いっぱいの頭でシャマンを見上げる。その意図を読み取ろうと思うのだがいかんせん美形ゆえの端正な顔で見下ろされて、その真意が測りかねた。
彼の真意は別にして、これはきっとシャマンの急な提案だろうから、今日のスケジュールはまるまる変更になるということだ。
これでは中村からますます彼への風当たりが強くなる。それを心配して大地は答えた。
すると、シャマンがフフンと笑った。
「そうか。オレはお前が行かなくても行く。可哀想に、お前は留守番だな」
首を傾げて不敵な笑みを浮かべ、大地をからかうシャマン。
そんな彼を見て、大地はシャマンが昨日のできごとで落ち込んでいる自分を励ますために出掛けようと誘ってくれたんだと気づいた。
やっぱり優しいなァこの人は。何も言わないでオレを気遣ってくれる。
だから大好きなんだ。心の底から大好きなんだ。
「ほら、どうする?迷ってるうちに日が暮れるぞ」
大好きな人から一緒に出掛けようと誘われている。大地は断る理由などないと思った。
「…行くッ!!」
満面の笑みで返事をする大地を見て、シャマンは思った通りだな、と言うようにフッと小さく笑った。
呆れたような感じだったがそれがなんとも優しくて、大地はとてもこそばゆい気持ちになった。
「よし、じゃあこのまま行くぞ」
「えっあ…はい!」
のぼせて頬を真っ赤にさせた大地に背中を向けて歩き出したシャマン。
その後を、大地は正気に返って慌てて追いかけた。
