百華煉獄97
 シャマンは中心部の喧騒から少し離れたところへと歩を進めていった。
(シャマンさん、どこへ行くのかな。教えてはくれないけどどこでもいいや。シャマンさんとならどこだっていい)
 大地がそう思っていると、遠くに少年たちの大行列が見えた。

「あ」
 大地は立ち止まった。
 大行列の先に見えるのは、大きなソフトクリームのオブジェ。
 先日、情報番組で見たあのソフトクリーム専門店だった。


(あの店、こんなところにあったんだ)
 店からはソフトクリームを手に手に、少年たちやカップルが楽しそうに出てくる。なんだかみんな幸せそうだ。
 テレビで初めて見た時に感じたうらやましさが急激に募ってきた。

(あ〜食べたいなァ…)
 ちらり、とシャマンの方を見てみる。
 シャマンは人が少なくなってきたこともあって、大地の数歩先を歩いていた。
 一瞬だけ大行列の方へ視線を移したようが、すぐに逆側の景色へ向き直った。その様子を見る限りまったく興味はなさそうだった。
(シャマンさん、甘いもの嫌いなのかな。というか、ソフトクリーム食べること自体イメージにないし…)
 大地はシャマンとソフトクリームが食べられたらホントの恋人みたいで夢心地だろうなァ…と思ったものの、恋人のふりをして一緒に歩けるだけでも
贅沢だよな、とあきらめた。



 シャマンは店の反対側に広がる湖に大地を連れていった。
 もともとネオ芳町に湖はなく、中村によって一大陰間街に刷新する際に人工的に作られたものだ。
 周辺にはデートなどで利用しやすいよう緑が多く、男色の歓楽街にしては爽やかで、珍しく雰囲気のいい場所だった。


 中村屋からほとんど出たことのない大地は、その広々とした眺望に感嘆の声を漏らした。
「うわぁ…ネオ芳町にこんなとこあったんだ…!!」
 たたたっ、と思わず湖のほとりに大地は駆け寄る。
 シャマンは小さく呟いた。
「…造りもんだがな」
 そうは言っているが、大地が喜んでいる様子を見てシャマンは少し安心しているようだった。

 穏やかに吹く風に湖面が音もなく揺れ、陽光をキラキラと魅力的に映し出す。
 対岸にある高い木々も豊かな緑を涼やかに揺らせていて、まばらに佇む人たちをゆったりとした幸福感へと誘っているようだ。

 高くて分厚い壁に覆われている陰間街の最高峰と言われるネオ芳町。
 そんなことなど忘れそうなほど、ここは特別な空間だった。


 シャマンがぽかぽかと陽の光が落ちる芝生へ腰を落とす。
 大地もそれに倣って隣に座った。

 大地は最初、昨日の礼をシャマンに言わなければと思い口を開いた。
 が、辞めた。
 きっとシャマンは礼を言われることを望んでいないし、今ここであの話をするのはなんだか違うと感じたからだ。

 だからなんとなくボーッと美しい景色を静かに眺めていた。
 大好きなシャマンの隣にこうしていられるなんて、大地からすれば夢のようなことだ。
 道中ずっとドキドキしっ放しだった。だけど、不思議と今は穏やかだった。


 シャマンとふたりきり。
 静かな時が過ぎる中、大地は機会があればシャマンに聞いてみたいことが山ほどあったな…と思い出した。

『何故ネオ芳町にいるのか』
『何故中村屋で教育係として働いているのか』
『何故オーナーの中村と不仲なのか』
『何故他の教育係と違って少年愛者ではなさそうなのに、こんな仕事をしているのか』

 シャマンと出逢ってからの疑問が矢継ぎ早に大地の中に浮かんでくる。
 こうして中村屋を離れてシャマンとふたりきりでいられる今、彼の本質に迫れるいいチャンスだとは思う。
 だけど今は、そんなことよりもこの閑かで落ち着いた平穏な時を、彼と感じていたかった。


 シャマンも同様に、何も言わなかった。
 シャマンの表情は心なしか中村屋にいる時よりもリラックスしているように見えた。
 そんな彼の顔を湖面から反射した陽射しが照らしている。あの宝石のような碧い瞳にも乱反射して、さらなる輝きを与えていた。
(綺麗だな…)
 大地はシャマンと同じ陽射しを自身の顔に映しながら、その美しさをしみじみと感じた。

 そこで自然と連想した人物がいた。
 楓。
 見習いの教習動画に登場した、中村屋創業時の陰間だという楓。
 タイプは違えど、他を圧倒するほどの美貌を持つという点でシャマンと彼は似ている気がした。

 楓は今、どこで何をしているのだろう。
 中村屋にいたというのなら、シャマンは彼のことを知っているのだろうか。


 大地はここで初めて、シャマンに尋ねてみようという気になった。
 シャマン自身のことではなく、楓のことならばこの穏やかな空気が壊れることはないだろうという気持ちもあったからだ。

「シャマンさん」
「なんだ」
 シャマンは静かに返事をする。視線は湖の対岸を捉えたままだ。
 大地はこれならばさりげなく会話できるかなァ、と思いながら続けた。
「『楓』っていう人…知ってる?」

「……」
 シャマンは何も答えなかった。
 しかし、表情が先ほどのリラックスしたものから少し張りつめたものへと変わった。
 楓の名を聞いてなんらかの衝撃を受けたことは確かだった。

 わずかだが遠くを見つめる視線に険しさが宿る。
 大地は最初、シャマンが気分を害したと思ってひやりとした。
 だがそれよりも…うまく言えないが、辛そうに見えた。


 触れてはいけないことに触れてしまったのだと気づいて、慌てて自分の質問を取り消す。
「あ、別に答えたく…」
「知ってる」
「えっ…」

 シャマンの様子の変化と、すんなり答えてくれたことのギャップに大地は驚いた。
 意外な展開に質問した大地が困惑していることも構わずにシャマンは続ける。
「楓のことは良く知ってる。友達だった」
「友達…」

 中村屋の創業は確か十年近く前だ。
 とすると、年齢的に考えてシャマンと楓は同年代に当たるだろう。
 陰間の楓と友達。
 これは、意図せずシャマンの過去に触れてしまうことになるような気がする。
 大地の鼓動が急激に早まった。


 しかしシャマンが今までどうしていたかを知る時ではないと感じている大地は、少し話題の矛先を変えようと楓の現在を尋ねてみることにした。
「楓さん、今はどうしてるの?」
「……」
 シャマンは静かに立ち上がって、数歩歩いた。
 湖上のきらめきがさらに際立つ。光の粒ひとつひとつが、シャマンの身体に降り注ぐことができて喜んでいるようだった。

 大地に背を向けたままシャマンは答えた。
「…死んだ」
「っ!!!」
「死んだ。あいつは中村屋に来て二ヶ月後に死んだよ」
 淡々と告げるシャマンは、湖の向こう岸を見つめたままだった。そのため表情は見えなかった。


 大地は中村屋でデビューした陰間たちがその後どう過ごしているのかがずっと気になっていた。
 少年たちが成長して大人になったら、当然お稚児趣味の男たちが通う中村屋にはいられない。
 だから青年になった彼らはそのような売春を行う場所から解放されて、穏やかな日常を過ごしているか、良くわからないが別のところへ行くと思っていた。

 なのに、奔放に男に抱かれていた楓があの若さでこの世を去ったなんて。
 しかもシャマンと友達だった少年。
 大地はえも言われぬショックを受けた。


 シャマンは一見いつもと変わりないように見える。
 しかしどこか空虚な無力感を漂わせていた。
 それゆえ楓の死に対し、何か辛く悲しい過去があることが推察できた。

 それを見て、昨日のクロマサへ暴行を働いたシャマンの様子が自然とオーバーラップする。
 シャマンの心に土足で踏み込んでしまった。
 大地は楓のことなら…と軽率にシャマンの秘密を暴こうとした自分を責めた。