百華煉獄99
 大地はそのまま夕暮れまでシャマンとネオ芳町で過ごした。
 怪しい視線がふたりを捉えていたことなど知りもしないで、ただただ平和で幸せな時だった。
 帰るなり見習いたちの視線がひたすら痛かったけれど。


 シャマンの後ろについて中村屋に一歩足を踏み入れた時はなんとも言えない切ない気持ちになった。
(もう…もうこれで、嘘とは言えデートは終わったんだ…今からはもうシャマンさんは『教育係』で、オレは『陰間見習い』なんだ…)
 なんだか泣きそうになってしまったが、こう思えるのもシャマンと過ごせたゆえ、贅沢な感傷だと思い直して大地は明るく笑った。
「シャマンさん、今日はありがとう」
「……」
 シャマンは何も答えなかったが、小さくうなずいた。

「さっさと風呂入って寝ろ」
「…うん!」
 ニコッと笑って大地が自身の部屋に行こうと振り返った時、背後からシャマンがフッと笑う声が聞こえた。
(うぅ、やっぱり大好きだ!!!)
 大地はシャマンへの愛しさを心の中で爆発させつつ、そのまま小走りで去った。

 今日という日は大地にとって特別な日になるだろう。
 泡沫のひと時。夢のような時間。
 大地はシャマンと過ごした時間をゆっくりと反芻しながら眠りについた。



 二十四日目。
 今日からはまた研修の日々だ。
 デビューを一日でも早く迎えないといけないのだから、昨日のことはいい思い出として胸にしまってがんばろう。
 大地はそう思いながら部屋を出た。


 点呼を終えるなり、駆け寄って来た見習いたちにずらずらっと取り囲まれた。
 ぎょっとしている間もなく、目の前に来た颯太という少年が大地を睨みつけたまま言った。
「シャマンさんとふたりっきりであんな長い間外出するなんて、いい度胸だな」
 昨日はシャマンが大地のすぐ近くにいたため睨むだけで何もして来なかったが、このタイミングならひとりだろうと見習いの全員が大地を標的にした。
 一晩悶々としていたのだろう、その顔には大地に対して嫉妬や妬みを通り越した、憎しみといっていい感情が浮かんでいた。


「おい、お前いい気になるなよ?」
「ただでさえ挿入はシャマンさんだけなんて恵まれてるくせに、ふたりっきりで出掛けるなんてよォ」
 彼らはどんどん大地に近づいて来て口々に大地を責めた。
「落ちこぼれのくせに、それをいいように利用しやがって」
「名門だかなんだか知らないけど、うぬぼれんなよ」
「シャマンさんに甘えるのもいい加減にしろ!」
 最後の少年はそう叫んで、大地の肩を押した。

「っっ…!」
 押し寄せて来られた上にそんな風にされて、大地は後ろの上がり框に乗り上げる形で尻もちをついた。
 無様な姿に少年たちの鼻で笑う声が聞こえてきたが、大地はそれでも何も言わなかった。

 大地の中には、彼らが嫉妬するのも無理はないという気持ちが少なからず存在していた。
 オレだって、もしもこれが他の見習いや陰間が昨日のオレみたいにシャマンさんと長い間出て行ったなんて知ったら、いい気はしないし気が気じゃない。
 もちろんこんな風に徒党を組んでその人を攻撃なんてしないけど。


「おい、なんとか言えよ」
 反応しないことにも見習いたちは苛立ちを募らせる。
 上がり框に座ったままの大地の胸ぐらを掴んで来たのは隣室の誉だった。
「っっ!!」
「シャマンさんを独り占めしてんじゃねェよ」
 誉は怖い顔で大地を覗き込んですごんでくる。
 彼は普段、能天気な明るい雰囲気だった。
 それはここでシャマンに気に入られ、なおかつ先輩たちとトラブルがないよう処世術としてそんな風に振る舞っていただけなんだな、と薄々はわかっていた。
 この目を見て大地はそれを痛感した。

 誉が胸ぐらを掴んでいるせいで大地は自由が利かずに彼の手を引き剥がそうとした。
 すると、誉はフフン、と嘲笑気味に言った。
「誘ったんだろ?」
「…え?」
「お前、クロマサたちに特に目をつけられてたの知ってて、わざと襲わせるように誘ったんだろ」

 大地は我が耳を疑った。しかし誉は大地の気持ちなどお構いなしに続ける。
「ドスケベなクロマサたちはまんまとお前の誘いに乗って犯そうとする。そこにシャマンさんが登場して、あいつらはボコボコ、レイプされかけた可哀想なお前を
優しいシャマンさんは気遣ってさらにかまう。すべてはシャマンさんの気を引きたいがためにお前が計画したことだとも知らずにな」

「なん…だと…?」
 大地は自然に怒りで身体が震え出したことを自覚した。


 今回の事件は大地がすべて仕組んだものだと言う誉の言葉。
 男に力づくで想いを遂げられそうになった恐怖は、経験した者でないとわからない。
 過呼吸にもなり、もう二度とそんな目になど遭いたくないと日々思っている。
 それに、おとといはシャマンの何がしかの心に負った傷…それも深いものに思いがけず触れる事態に繋がってしまったのだ。


 そんなことも知らない誉の意見はとても幼稚で浅はかで大地は愕然とした。
 しかも他の見習いたちがこれと同じことを強く信じているというのが、誉の後ろに並ぶ彼らの表情から伝わってくる。
「……」
 今までは何を言われても何をされても特に言い返したりやり返すことをしなかった大地だったが、そろそろ限界が近づいてきたことを自覚した。

「お前の思惑通りにことが運んで、どうだ満足…」
「黙れっっ!!!」
 挑発を繰り返す誉に大地は躍りかかった。そのまま一発、二発と顔にパンチを見舞う。
 何もして来ないと高をくくっていただけに、誉は虚を突かれてまともにそれらを浴びてしまった。
「ぐっ…!!」
「何も知らないくせに…好き勝手なこと言うな!!!」

 怒りが限界に達した大地は容赦なく攻撃を続ける。
 他の見習いたちは大地の剣幕に最初は唖然としていたが、ハッとして劣勢の誉を助太刀しようとふたりに駆け寄った。
「こら、生意気だぞ大地!やめろ!!」
「うるさい!!」
「髪の毛掴むな!!」
「お前が放せよ!」
「おい、誰だ今顔蹴ったの!!」
「イッテー!!!」
 十人近くいる少年たちが団子になって暴れるものだから、標的が大地とあってもうまくいかずにいろんなところで取っ組み合いが繰り広げられてしまった。


 そこへ、なんとなく騒がしいと感じた並木が戻ってきた。
 見習い全員がもみくちゃになっている。明らかにケンカだ。
「こらー!!やめなさい!!!」
 しかし血気盛んな年頃なので、並木がそう止めてもいまいち効果がない。
 それどころか巻き込まれて誰かの拳が一発股間にキマり、うずくまる始末だった。
「おゥ…!!」
「…大丈夫か?」
 心配する声に涙目で並木が見上げると、そこにいたのは薄黄緑色の髪をした美丈夫だった。

「シャ、シャマ…」
 情けない声でそう小さく呟く並木の声を、耳ざとい少年たちはしっかり聞きつけていた。
 並木が制しても留まらなかった勢いは、シャマンの登場であっという間に収束を迎えた。


 シャマンはバトルしていた彼らに何も言わなかった。
 少年たちはそんなシャマンを見ながら、静かにお互いから身を離してその場に立ち尽くした。
 大地も同様だった。誉の袂を掴んで引き寄せていたのを離して、床に膝をついたままシャマンを見た。

 こんなところをシャマンに見つかって恥ずかしかった。
 それはもちろん他の見習いたちも同じだったようだ。
「シャマンさん…」
「シャマンさん…」
 口々に小さく呟きながら、バツが悪そうに乱れた着物を整えていた。
 いつもの彼らならシャマンの姿を見つけるとときめいて嬉しくなるものだが、今は違う。
 何せ本性を剥き出しにして、お互いを攻撃するためはしたなく暴れていたのだ。
 恋する相手には絶対見せたくない姿だった。


 シャマンはケンカが終わったようなので、それを見届けるようにぐるっと少年たちをひと通り見渡した。
 大地とも目は合ったが、特に何も言わなかった。
 そして、自身の前に股間の痛みのためうずくまっている並木に再度大丈夫かどうかの声掛けをして、お互いにうなずきあったらそのままスタスタとその場を去った。

「……」
「……」
 少年たちはシャマンが来たことですっかり気をそがれ冷静になったようで、完全に戦意喪失していた。
 誉は大地の目の前でシャマンが消えた方向をしばらく見ていたが、そうしていても仕方がないといった様子でおもむろに着物の裾を直しながら立ち上がった。
 彼の頬は大地がぶったことで赤らんでいて、ふくれっ面になっていたこともあって腫れて見えた。
 しかし大地とて腕に引っかき傷をつけられ、すねは蹴られたことにより嫌な痛みが生じている。
 腹は立つがおあいこだ、とこのケンカの終わりはどうにか落着するよう自身に言い聞かせた。



 その後の朝食は何も起こらず時が過ぎた。
 しかし、誉をはじめ大地を見る見習いたちの視線が少し違っていた。
 いつもはおとなしくやり返さない大地がキレて、全員を含む大立ち回りに展開した。
 あいつ、あんな激しいとこあったんだ…と少し怖れのようなものが生じている。
 大地はそんな風に彼らが思っていることに気づいていた。
(シャマンさんに知られたのは恥ずかしいけど、いらないちょっかいが減るんならそれでいいや)
 誉とのケンカがこんなところで効果を発揮してくれた、と大地はホッとしたものだった。


(…あれ?)
 大地はふと、食堂にいる彼らをなんとなく見ていてあることに気づいた。
 那智の姿がない。
 そう言えば、いろいろなことがあり過ぎてはっきり把握はできていなかったが、彼の姿をおとといから見ていなかった。

(那智も…デビューしたんだな)
 彼も大地と同様、研修に時間がかかっていたようだが無事陰間としてデビュー寮に引っ越したようだ。
 大地を敵視する見習いばかりの中で彼だけは少し違った態度を見せてくれていた。
 目が合えば軽く会釈をする程度の間柄だったが、今朝みたいなことがあっても那智はきっと大地を攻撃してくるような真似はしなかっただろう。
 そんな彼だったから、見習い寮で会えないことを少し寂しく感じた。



 午前は三日ぶりの並木の授業を受けた。
 今朝は股間にダメージを食らった彼だったが、それ以上に精神的にクるものがあったようで元気がない。
「私が一生懸命お前たちを止めたのに、誰も言うことを聞かなかったばかりか股間にパンチされて…なのにシャマンが来た途端全員が静かになっちゃって…
私なんか、私なんか…」
「……」
 どうやら今日の事件で、自分の影響力がシャマンに比べてほぼゼロに等しいということが証明されてしまって、自信喪失しているらしい。
 午前の大地はこんな具合で、並木の愚痴をタハハ…と苦笑しながら延々聞かされる羽目になった。



 十一時が回った頃、午前の授業…と言うか並木の愚痴大会が終わった。
 彼には悪いが励ますのもネタが切れてしまって早めに終わったことに大地は心底ホッとした。
(並木さんはすっごいいい人なんだけど…比べる相手が悪いよ。なんてったってあのシャマンさんだもん)
 並木の愚痴りたい気持ちはすごくわかるけど、シャマンが相手ではどんな男でも分が悪すぎる。
 それほどまでにシャマンの魅力が尋常ではないのだから。


(今朝のこと、呆れてるだろうな…)
 取っ組み合いの最中に現れたシャマンの顔を思い出す。
 挿入困難で落ちこぼれ、そしてなんだかんだと問題を起こしてしまう自分をシャマンはどう思っているのだろうか。
 昨日のことを思うと、決して嫌な印象を持たれてはいないと思う。
 しかし、きっとそれだけだろう。ちょっと問題の多い見習い。ただそれだけ。

(シャマンさんは見習い全員に優しいんだもんな。他のヤツらが思うほど、オレは特別扱いされてないよ。ハァァ…)
 大地は何度目になるだろうか、シャマンへの想いゆえに深いため息をつく。
 なんだか気分が落ち込みそうだったので、気分転換にゲームでもしようとリラックスルームへ向かうことにした。