絆 8
 その時城では、殿が京都から帰ってきて尚一層慌ただしくなっていた。

「大地之助はどこだ?」

 帰る早々、一番に顔を見たかった大地之助の姿がないことに気づき、殿は辺りを見回しながら江田と五代に聞いた。

「実は、城の風呂が掃除中に壊れまして…大地之助殿は1人、離れの風呂場へと参りました」

 江田に言われて殿は厳しい顔になった。

「あんな寂しい場所に1人で行かせたのか」

「は…はい。殿のお出迎えの準備で忙しかったものですから、大地之助殿がご自分でそうおっしゃられて…」

 五代が申し訳なさそうに言うと、殿は少し考えて言った。

「よし、今から私も離れの風呂場に行くぞ。大地之助に一刻も早く逢いたい」




 そして殿が籠に乗り、家臣達と城の門を出た時、家臣長の中条が遠くの大地之助の姿を見つけた。

「殿、大地之助殿がお帰りになってきてますよ。大地之助殿も嬉しくてたまらないのですな、懸命に走っておりますぞ」

 殿はそれを聞いてホクホク顔で籠から出た。

「大地之助〜!!帰ったぞ〜〜!!!」

 笑顔で手を振る殿は、駆けてくる大地之助を見てクスッと笑った。

 田崎は大地之助を見て眉をひそめる。

「…殿、大地之助殿の様子が少し変ですよ」

 近づいてくる大地之助を目を凝らしてよく見ると、着物が乱れ、その裾はボロボロに破れている。

 大地之助は殿の姿を確認すると、すがるような声で殿を呼んだ。

「と…のっ、殿ォ!!」

「大地之助!!」

 殿は大地之助の元へと駆け寄り、肩をつかんだ。

「ど…どうした大地之助、何が…」

 青い顔で殿を見上げた大地之助の大きな瞳から、玉のような涙がポロポロとこぼれる。

 乱された着物の胸元からは、口づけの跡と思われる赤い痣、覗いた太股にはひっかき傷がいくつも見られた。

「ぅ…!殿!!!」

 大地之助は殿の胸に飛びついた。

 殿は明らかに何者かに暴行された大地之助をきつく抱きしめ、家臣に命じた。

「すぐに城の周りの不審者を探してひっとらえろ!!」

「はっ!!」

 大地之助は殿に優しく肩を抱かれて城へと帰った。



 殿と大地之助、それと家臣の中条、田崎、江田、五代の6人は殿の部屋にいた。

 殿に抱きしめられ、やや落ち着きを取り戻した大地之助は、震えながらゆっくりとこの5日間で起こった出来事を話した。

 殿は大地之助の背中をさすりながら呟いた。

「…そうか…。あの安井という男、お前が城を飛び出した時に良からぬことをして今回も…」

 殿の声は静かだが、憤りを隠せない。殿は大地之助の目を見て言った。

「大地之助、あの男を雇うという話になった時、なぜその話をしてくれなかったんだい?」

 大地之助は殿の着物をぎゅっと掴んだ。

「…っ。殿が大事な出張を控えてる時にそんなこと言ったらっ…きっとお仕事どころじゃなくなると…お、思ってっっ」

 しゃくり上げて泣きながら言う大地之助を見て、五代は口を開いた。

「昨晩、安井がこの城に侵入した際、そのことをすぐ殿にご報告すると言った時にも、大地之助殿は同じことを言ってお止めになりました。

『殿の大事なお仕事の邪魔はしたくない』と…。大地之助殿は常にご自分のことより、殿のことを一番にお考えなのです…」



 殿はそれを聞いて、胸元に顔を埋める大地之助にそっと視線をやった。

 自分が京都へ旅立つ時に見せた、寂しそうな表情。安井のことが不安だっただろうに、それを隠して気丈に笑って手を振っていた。

 それに以前の忌まわしい記憶が蘇っただろうこの2日間、どんな思いで自分の帰りを待っていたのだろう。

(こんな小さな子供が、自分のことより私のことを優先して、耐えていたのか…)

 殿は胸が苦しくなるのを感じ、大地之助に呼びかけた。

「大地之助…色々と気苦労させてしまったな。すまない」

 大地之助は涙を瞳いっぱいにためて殿を見上げた。

 殿の眼差しはあたたかみを帯びている。

「…私は大地之助の存在で、頑張ろうという気になれる。仕事だけじゃないぞ、生きていくこと全てにおいてそう思えるようになったんだ。

お前と逢えたことで毎日を楽しく、心豊かに過ごせることができて私は本当に幸せだ」

「殿…」

 大地之助の顔が幾分赤くなる。

「そんなお前が辛い思いをしたり、こんな目にあったりしているとなると、私は自分の身を切られるよりも苦しいんだ。私の知らぬところでだと、なおさらだ。

だから、何でも言ってほしい。私の仕事のことなど気にしなくとも良いぞ。仕事もお前が明るく笑っていてこそはかどるのだ。こんなことで泣いている大地之助は

もう2度と見たくない。…分かってくれるか?」

 殿は優しく笑う。それを見て大地之助はまたポロポロと大粒の涙をこぼした。

「うん…殿、ごめんね…」

「お前が謝ることはない」

 殿は大地之助の頭をポンポンと撫でた。



「謝らなければならないのは…江田!!五代!!」

 いきなり殿に怒鳴られて、江田と五代は背筋を伸ばした。

「ハ…ハイィ!!」

「お前らがついておりながら、なぜこんなことになるのだ。安井に簡単に城に入られ、一度は捕まえておきながらまた大地之助に対して不埒な真似を許しおって!

全く不甲斐ないぞ!!」

「も…申し訳ございません!!」

 焦って深々と頭を下げる江田と五代。大地之助も殿のあまりの迫力に圧倒されていた。

「警備の者にも強く言っておけ!良いな!!」

「はっ、ははぁっ!!」

 江田も五代も完全に小さくなっている。そんなところに、他の家臣から報告があった。

「ただいま安井とその仲間の中村という、材木運びをやっていた男を捕らえました。今度こそ厳重な見張りの中、地下牢に収容いたしました!」

 大地之助はそれを聴いて心底ホッとした。

 殿は厳しい顔のまま伝える。

「明日早々に奉行所に引き渡す。大事な大地之助に2度3度悪さをしたからには、それ相当の刑を処してもらうよう連絡する」

「は、かしこまりました!!」

 そして殿は大地之助に笑いかけた。

「大地之助…ヤツらに手出しされて気持ち悪いだろう。どうだ、今から一緒に離れの風呂に行かないか?」

「…うん!」

 大地之助は殿が帰ってきて、初めて笑顔になった。