スリーパーズ13
大地たちが邪動少年院へ来てから、1週間が経った。
不慣れな生活の中で、大地もラビもなんとか毎日をやり過ごしていた。
院長のアグラマントは、少年院の持つ悪いイメージを払拭することに懸命になっている、70歳の老人だった。
ここのモットーは『環境を整えてこそ真の更生への道が拓ける』である。
在院者の人権を考慮して監房を部屋と呼び、ストレスや悪影響にも考えを及ばせ完全個室制、院内がすべて清潔に保たれているのはそのためだった。
だがそれは表向きの理由だった。
アグラマントにとって、収容される少年のことはどうだってよかった。そんなものより、政府や援助してくれる団体、また少年院周辺に住む人や在院者の保護者への面目の方が大切だった。
アグラマントはそれらへのアピールのために、一見居心地のよさそうな少年院を作り上げたのだ。
体面を保つために、院内で何かもめごとが起こっても、アグラマントはあらゆる手を使って内々で処理していた。外部に知られないよう万全を尽くして、いつも巧妙にもみ消していた。
そういった体質は職員にも受け継がれていた。院長のことなかれ主義を自分たちによいように利用して、大半が好き勝手な行動を起こしていた。
在院者の一番身近な存在の看守は、全部で80人以上いた。
9割方はこの周辺の出身者で、20〜30代の若者が中心だった。
その他の職員は、教師・整備員・調理人・校医・用務員などがいた。これもほとんどが地元出身者だった。
在院者の方はというと、現在10〜18歳が収容されていた。平均年齢は16歳だ。
10歳というのはむろんラビであり、次いで11歳の大地が年少だった。
その上になると14歳で、小学生は大地とラビだけだった。
ここでの生活はこうだ。
在院者は午前7時から午後7時30分までなら、院内のどこへ行くのも自由だった。
ただし、在院者同士が互いの部屋を行き来するのは禁じられている。それ以外の時間はちゃんと自分の部屋に戻って、外から施錠され出られないようになっていた。何かの用事で
出たい際は、看守の許可を得てからだった。
収容されている少年らはみな学習する義務があった。
大地たちは小学クラスで、同様に中学クラス、高校クラスがある。普通の学校と同じく国語・算数・理科・社会などの授業があり、それぞれ専門の教師が教えに来た。
体育は看守が授業を行っていた。
授業時間は午前9時から45分間ずつ、15分の休憩を挟んでそれが3回続く。
それが午前中の授業で、間に1時間の昼休みをとり、再び13時から午後の授業を2時間こなす。午後は工作やボランティア清掃などが中心だった。
15時から『犯罪ミーティング』と称して、少年同士が自らの犯罪を語り合ったり、被害者に対して見つめなおす時間が1時間設けられていた。
それが平日に5日間続き、土日は休息日だった。
この2日間は面会日になっていて、午前9時から午後6時まで、終日許可されていた。
食堂は午前7時から、午後12時から、午後6時からの3回、それぞれ1時間ずつ利用できる。全収容者を受け入れられるほど、かなり広かった。
トレイを持って食事を受け取り、各々好きな場所で食べるという、どこにでもあるスタイルの食堂だ。
基本的にパン・スープ・メインのおかず・サラダ・デザートで、メニューが豊富で美味しいため在院者はみな食事を楽しみにしていた。
食事時は、各棟の看守がシフト制で見回りを担当していた。
そして清潔第一のため、シャワールームは午前8時から午後10時までの間、好きな時に利用できた。
ただ、ほとんどは夜間に1度だけ利用する者が大半だった。利用時間は1人最大30分までで、ここでも看守がシフト制で監視していた。
一応個室制ではあるが、トラブルや事故防止のため、仕切りはすべて透明だった。
在院者の服は、濃いグレーのシャツ、長ズボン、ゴム底の白い靴といった、支給されているものしか身につけてはいけなかった。
帽子も存在しているが、屋外活動などでつける以外は特に使用しなくてもよかった。
シャツと長ズボンは1人3着まで支給される。靴は基本1足だった。下着類はトランクス・タンクトップ・靴下で、これも3点ずつだった。
冬場は長そでの下着とフリースの上着が与えられ、夏場はシャツが半そでになった。体育の授業用に、体操服も1着支給されていた。
少年院で毎日を過ごす中、収容者は保護者からの仕送りや作業等でもらう収入で、身の回り品を売店にて購入することができた。売店には小説や辞典・雑誌などの本類、
石鹸・タオルなどの日用品、文房具などを取り扱っている。
ただ、なんでも買える訳ではなく、欲しいものがある場合は事前に少年院側に申請して、許可が下りないと購入はできなかった。
また、月に使用できる金額の上限が3,000ムーンドルと決められていた。
この少年院は基本的に看守の号令の元、1日のスケジュールが進行していた。
朝7時に起きて、夜10時30分の消灯時間まではおろか、寝ている間もすべて、シャマンの言うとおり看守のルールに従わなければならなかった。
大地たちのC棟は収容者が少なく、しかも低年齢で構成されていたため比較的問題のない大人しい者がほとんどで、シャマンとナブーの2人で充分管理できていた。
23歳のシャマンはサディスティックな男だった。この一週間の間、大地もラビも他の少年がシャマンに警棒でひどく殴られるところを何度も目にした。
この男は、在院者を打ちのめすことに悦びを感じているようだった。トラブルの種を見つけるために、鋭い眼光は常にあたりを窺っていた。
彼は冷酷そのものだった。無表情で歩いているところを見ると整った顔立ちも手伝って、大地は時々、血が通っていないのではないかと感じることがあった。
他人を威圧するオーラは強大で、在院者はもとより職員のほとんどから怖れられていた。
初日のもろもろがあって以降、大地たちはシャマンにあまり関わらないでおこうと思っていた。
そのシャマンとよくつるんでいるナブーは35歳で、彼もかなりの長身だった。その上、筋骨隆々でゴリラのような体格に、スキンヘッド、ひげ面と、シャマンとは別の意味で威圧感があった。
口調は下品で、意味なく大地たちにからんできた。後ろからいきなり両肩に手を置いて呼びとめたり、頬や首筋に触れてきたりした。よく見ていると、年長者の少年には一切そういうことは
していなかった。しないどころか、視界に入れてもいないようだった。
その理由はよく分からなかったが、ニヤニヤと笑いながら身体に触れてくるナブーが気持ち悪くて、大地もラビも彼のことが苦手で嫌いだった。
