スリーパーズ14
 その日、入所者でごった返す食堂に大地とラビが入った時、珍しくそこにシャマンの姿がなかった。

 あの男はめざとく2人を見つけると、いつも難癖をつけようと嫌な視線を寄こしてくる。

 少年たちがザワザワと騒がしい。心なしかリラックスしているように見える。それは威圧的なシャマンがここにはいないことの証しだった。

 大地もラビも、あの視線に晒されずに済むとホッとした。


 列に並んで、食事の乗った皿をトレイにいくつか受け取る。

 ひどい少年院だったが、食事は栄養バランスをきちんと考え、また味も良かった。ラビが、居心地の悪いこの場所で食事だけは楽しみにしていたぐらいだ。

 実情はどうあれ、これだけは救いだと大地は思っていた。


 少し離れたテーブルに2人分の空席を見つけ、ラビがそこに行こうとした時だった。

 食事を終えて仲間としゃべっていたホークが、ラビの持っているトレイを突然底から跳ね上げた。

 ラビの食事は宙を舞い、その後無残にも床に散乱した。プラスチック製の食器は派手な音を立てて、同じく床に転がった。


 いきなりのことで、ラビは何もできなかった。

 後ろからついてきていた大地もホークのしたことを見ており、息をのむ。他の少年らも一同にこちらを見た。


「ウサギ人間も、オレたちと同じもの食うんだな」

 初日の身体検査以降、顔を合わすことのなかったホーク。

 気に食わないラビを痛めつけられるチャンスが来た。その悦びがありありと浮かんだ顔でラビを挑発する。


「…何すんだてめェ…!」

 されたことと、再び『ウサギ人間』などとバカにされたことで、ラビは完全に頭にきている。大地はラビを止めた。

「ラビ!」

 ホークは余裕しゃくしゃくな様子でラビに言う。

「お前と同じもん食ってると思うと、飯がまずくならァ。ウサギ人間はウサギ人間らしく、菜っ葉でも食ってろよ」

 ホークの仲間がクスクスと笑っている。他の少年たちは静かにこのやりとりを見守っていた。


 ラビの身体が怒りでわなわなと震えているのを感じる。大地はラビの袖を握った。

「ラビ、行こう。ご飯はもう1回並びなおして貰えばいいじゃないか」

「じゃあまたひっくり返してやる」

 ホークは大地にそう言うと、意地悪く微笑んだ。


 大地もムッとしたが、今のホークの言葉にさらに頭にきているラビを抑えるので精一杯だった。

 ラビの腕を掴んで、大地はそれを引っ張りながら言う。

「もうほっとこうよ。オレのご飯、分けてやるから」

 それを聞いて、ホークは幾分驚いたような表情を浮かべ、鼻で笑った。

「へェ〜。お優しいこったな」

 少年院という場所では、『他人より自分』という考え方が当たり前だった。

 抑圧された特殊な環境。問題児のホークやその仲間たちはもちろん、特に問題のない収容者でさえ、みな他人を気遣えるほどの余裕を持ち合わせていなかった。また、そうでないと

ここでは生きていけないというのが現状であった。

 誰かが看守や年長の少年から痛めつけられていても、見て見ぬふりをする。助けに入るなどもってのほか。

 それは正真正銘の『命とり』だということを、みなが心得ていた。


 なので、ラビに助け船を出す大地の言動には、ホークをはじめその場にいたラビ以外の全員が驚いていた。

「ほら、ラビ」

 大地はラビの手をとって、目的の場所へ数歩進んだその時、後ろからホークのからかいを含んだ声がした。

「もしかしてお前ら…デキてんじゃねェの!?」

 ラビはピク、と身を小さく震わせて脚を止めた。ホークの取り巻きは一斉に噴き出して囃したてた。

「まーじかよー!!」

「どうりでいつも2人、仲良く一緒にいる訳だ!!」

「飯分けてやるって、もしかして…口うつしだったりして」


 ラビはホークを振り返る。その目は自分が『ウサギ人間』などとバカにされた時よりも、さらに激しい怒りに包まれていた。

 ホークはラビの反応に気をよくして、調子づいた。隣の手下の1人にしなを作りながら話しかける。

「ラビ〜、食堂でご飯分けてあげたんだから、今日はいっぱいサービスしてねェ〜ん」

 2人が恋人同士だという設定で、大地のフリをしてふざけるホークに、仲間たちはどっと笑った。

 ホークの隣の少年は、ノッてこう返す。

「よしよし大地、お前は可愛いヤツだ。もちろん気持ちいいこといーっぱいしてやる。今夜は寝かさないゾ?」

「あ〜ん、嬉しい〜」

 そしてホークと手下の少年は、ガバ、と抱き合った。だがすぐ顔をしかめて「オエ〜〜〜ッ」と言いニヤニヤ笑っている。

 ホークの仲間たちはますます盛り上がり、げらげらと心底楽しそうに腹を抱え大爆笑していた。聞き耳を立てていた他の少年たちも、ホークのモノマネに口元を緩めている。


「……」

 大地はいまいちホークたちがなんのことでそんなに盛り上がっているのか理解できなかった。

 だが、自分とラビがさらにバカにされているのは分かったし、今のでラビが最大級に腹を立てたことに気づいた。

「…人が大人しくしてりゃあ、調子に乗りやがって…!」

 唸るような低い声でラビは言った。ホークはそれを聞いてふざけた様子から一変し、ラビを睨み返す。

「何だって?聞こえねェなあ、ゲイのウサギちゃん?」


「そんなに気分がいいか」

「あぁ?」

 ラビに問われたホークは顎をしゃくり上げた。大地はハラハラしていた。

 ラビは椅子に腰かけたホークにゆっくり近づいて続けた。

「こんなカスみたいな連中引き連れて、気にくわねェヤツをぶちのめして…。ゴミ溜めみたいなこんな場所で、王様気分で自分は偉いと勘違いしてる。それでお前は気分が

いいのかって聞いてんだよ」


「……!!!」

 ラビの発言により、ホークの全身が猛烈な怒りに包まれた。もうへらへらとふざけていた表情は消え、代わりに顔を真っ赤に燃えあがらせている。

 ホークの仲間たちは、ラビに『カスみたいな連中』と言われて当然息巻いた。

「なんだとコラァ!!」

「ふざけんなウサギ野郎が!!」

 ラビはそいつらを無視して、ホークだけを見ていた。

 ホークは興奮する仲間たちを制すように、椅子を乱暴に押しのけて立ち上がった。ガタン!という大きな音がラビを威嚇するように響いた。

「…こいつはオレが殺す。お前らは手出しするな」

 ホークはラビの目の前に立ち塞がる。この少年院の中でも1、2を争うぐらいホークは体格が大きかった。熊のように熱い胸板をラビにぐいぐいと押しつけ威嚇する。

 だがラビは1歩も引かなかった。

「お前みたいなバカに、オレは殺せねェよ」

「っ…!!!」

 次の瞬間、ホークがラビの胸倉を引っ掴んだ。ラビは即座に、固く握った拳をホークの腹めがけて勢いよく突きつけた。


「ぐぅっ…!!」

 体格の差を逆に利用して、ガラ空きの部分に鋭いパンチを浴びせられたホークは短く呻いた。

 ホークが攻撃されたことにより、その取り巻きたちも一斉に立ち上がる。そして一気に2人を取り囲んだ。

「ホーク、このふざけたガキを殺せ!!」

「ここでホークに逆らうってのがどういうことか、思い知らせてやれよ!」

 どっと群がった少年たちが前へ前へと押し寄せ、大地はまたもや熱狂する荒くれどもの集団からはじき出されそうになった。

 だが、ホークに加勢する者がいるといけないと思い、その場にどうにか踏んばった。

「ラビ!!」

 少年たちの間からなんとかラビの姿を確認する。見れば、すでに殴り合いが始まっていた。


「ラビ…ラビ!やめろよ!」

 人垣を押しのけてラビの元へ行こうとする大地を、ホークの仲間の1人が背後から羽交い締めにしてきた。

「うわっ…!」

 そのまま髪を引っ掴まれ、首の前に回された腕で首を締めあげられる。

「っっ…くそっ、何すんだよ!」

 大地は苦しさのあまり、襲いかかる少年にエルボーをかました。それはみぞおちに綺麗にハマったようで、呻き声とともに大地は解放された。

 だがすぐに、別の少年が拳を握って腕を振りかぶったのが見えた。大地はすぐに身をひるがえしてそれをかわす。

 大地は思わず、ラビを止めに行っていたことを忘れて応戦した。


 大地もラビも、もみくちゃになりながら互いの相手に殴りかかった。ホークの仲間たちは口々に新入り2人を罵った。

「一番チビのくせに生意気なんだよ!!」

「殺しちまえ!!」

「そうだ、そうだ!」

 いつしか他の少年たちも野次馬と化し、派手な喧嘩にエキサイトしていた。

 気の弱い者は、日頃から自分たちにひどい仕打ちを行うホークに対して、ラビを応援する気持ちが芽生えていた。

 一方で、単に見知った顔が争うのを愉しむ者、退屈な日常のちょっとした刺激を悦ぶ者も多くいた。娯楽に飢えている彼らにとって、この喧嘩は1つのショーのようなものだった。

 看守の姿がないことで、みなは日頃の鬱憤を晴らそうとしているようだった。