スリーパーズ15
 そこへいきなり、笛の音がけたたましく鳴り響いた。

 食堂中の人間が、一斉にハッとして音の元をたどる。

 そこには、シャマンの姿があった。


 シャマンは口元からゆっくりと笛を離しながら言った。

「もう気が済んだか」

 静かな声がとてつもない迫力をもたらしていた。ラビとホークは互いを掴んでいた手を放した。

 大地もホークの仲間も、また他の少年たちも、突然のシャマンの出現にどうしてよいのか分からず立ち尽くしていた。

 動けば目立って、何か言われるのではないか。すぐさま攻撃されるのではないか。

 みながみなそう感じるほど、シャマンは全身から圧倒的な威圧感を放っている。異様な緊張感が誰しもをその場に釘づけにさせていた。


 シャマンは腰のベルトから警棒を引き抜き、自分の肩をそれで軽く叩きながらこちらへ近づいてくる。

「本当にお前らは揃いも揃ってバカばっかりだな。どれほど長い間ここにいようと、何も学ばない。カスだらけだ」


 この騒動の中心がラビとホークだと気づいていたシャマンは、床にいる2人の傍まで来た。

 ラビは、ホークがシャマンを前にして小さくなっていることに気づいた。どの職員に対しても偉そうな態度で言うことを聞かないこの男が、シャマンに対しては下手に出るような、

媚を売るような感じに見える。ラビは違和感を感じた。


 シャマンが傍に来たことで、一同にさらに緊張が走る。

 シャマンは一瞬、ラビと大地をちらりと見やり、次いでホークに声をかけた。

「ホーク、食事が済んだのなら部屋へ戻れ」

 ホークはゆっくりと身を起こす。ラビとの格闘で左目の周りが紫に腫れ、ほぼ塞がっていた。

 シャマンにそう言われても、自分をそんな姿にまでしたラビに怒りが収まらないホークは、何も答えずじっとラビを睨んでいる。

 腹の虫が収まらないのはラビも同じで、ホークを正面から見据えていた。


「…聞こえなかったか?」

 喧嘩にケリをつけたくて動こうとしないホークに、シャマンはほのかに苛立ちをにじませながら言った。

 ホークはシャマンの方を向いた。

「だってこのガキが」

 懇願するように言いかけたその時、シャマンの警棒がいきなりホークの顔面を強打した。


「っっ!!!」

 ホークは口から血しぶきを上げながら、床に倒れこんだ。

 あまりのことにその場にいた全員が、ハッと息をのんだ。


「オレに口答えするな。また懲罰房に入れられたいのか貴様」

 痛みに堪えて顔を歪ませるホークに、シャマンは容赦なく追い打ちをかけた。

 懲罰房とは、言うことを聞かない収容者が反省すべく罰を受ける独房だった。

 完全なる暗闇で、ネズミやゴキブリが這うかなりひどい場所という噂だった。一度入れられれば1週間は出てこられず、看守以外の誰とも顔を合わさずに、朝から晩まで1人で

過ごさなければならない。

 収容者はみな、そこにだけは入れられたくないと強く思う場所だった。


 ホークはシャマンに何か言いたそうな顔をしていた。くやしそうな、でもすがるような目。ラビはそれを見て、またもや何か引っかかるものを感じた。

 だが、過去に年少の収容者に対して集団レイプ騒ぎを起こし、その首謀者として懲罰房に入れられた経験のあるホークは、すごすごと自分の部屋に帰っていった。仲間たちも、この機に

ホークの後ろについて食堂から出ていった。

 さすがのホークもシャマンには逆らえないようだった。


「他のヤツらも席について飯を食え」

 シャマンにそう言われて、他の少年たちは誰もが無言でそれぞれの席に戻っていった。

 その場に残された大地とラビに、シャマンが口を開いた。

「お前らはもう食ったのか?」

 ラビは大きな外傷はなかったが、どうやらホークのパンチが鼻に当たったらしく、鼻血を拭いながら答えた。

「…食ってないけど、もういらない」

「そんなこと言わずに食ったらどうだ。ここの楽しみと言えば、食事ぐらいなもんだろう」

 口元だけ薄く笑って問いかけるシャマン。大地は胸がざわめいた。ラビはシャマンに返す。

「腹が減ってないんだ」

 シャマンは腕を胸の前で組みながら言った。

「お前らが腹をすかせていようがいまいが、そんなことは関係ない。オレが食えと言ったら、大人しく食えばいいんだよ」


 大地はシャマンの傍若無人ぶりに腹が立ったが、また逆らえば何を言い出すか分からないため従うことにした。

 新しく食事を取りにいこうと、シャマンの横を通り過ぎようとしたその時、警棒がぬっと大地の顔の前に飛び出してきた。

「どこへ行く」

「どこへって、食事を取りに…」

 食えと命じたのはシャマンではないのかと戸惑いつつ、大地は答えた。シャマンはにやりと笑って言った。

「その必要はない。お前らの飯はここにたんまりあるんだから」


 床にぶちまけられた食事。

 それは今の乱闘で見るも無残な状態になっている。まさかこれを食えと言うのか。

 他の少年たちに聞こえるように、シャマンは大声を張り上げた。

「さあ、お前も大地もさっさと食え。でないと他のヤツらは全員ここから出られないんだぞ?」

「……!」


 大地もラビも、在院者がぎくりと身じろぎしたのが分かった。

 先程まで傍観者でいられたのに、お前らの勝手な振る舞いでシャマンの横暴に巻き込まれてしまったじゃないか。

 早くしろ。早く食え。

 そんな少年たちの声が聞こえてくるようで、大地はいたたまれなくなった。

 シャマンはご丁寧に、ブーツの先で床の食べ物をかき集めている。残酷で嗜虐的なこの男に、ラビは反発した。

「もういらねェって言っただろ」

 シャマンはそれを聞いて、ラビの首根っこをいきなり押さえつけ床に倒れこませた。

「なんだその口のきき方は…逆らうんじゃない。オレが食えと言ったら食え!!」

「うぇっ…!」

 ラビは汚物と言っていいような食事を無理矢理口に入れられた。顔を歪ませ逃げようとしても、シャマンは髪の毛を掴んでそれを許さなかった。


 親友のラビが目の前で理不尽な暴力を振るわれている。大地はたまらず、ラビを押さえつけているシャマンの腕を引きはがしに向かった。

「やめろよ!!」

「…なんだと?」

 シャマンは大地を睨み上げた。
 
 ホークでさえ閉口するシャマンに逆らおうとする大地に、在院者は息をのんだ。大地はひるまずにシャマンの腕をさらに引っ張る。

「こんな…こんなひどいことっ…ラビを放せ!」

 先程の喧嘩の余韻がまだ残っているのか、大地は興奮気味だった。

 うん!うん!とりきみながら、精一杯の力で2人を引きはがそうとしている。シャマンはそんな大地に反して、冷酷な表情で大地を見つめ返していた。


 当然、大地の力ではシャマンからラビをなかなか解放できない。大地は躍起になった。

「くそっ…シャマン、放せったら!」

「お前…」

 小さく呟いたかと思うと、シャマンは大地の二の腕目がけて勢いよく警棒を振り下ろした。

「あうっ!」

 大地はあまりの激痛に悲鳴を上げ、思わずシャマンから手を放した。

「大地っ!!」

 ラビはシャマンに抑え込まれたまま、大地を心配して叫んだ。


 すぐさまシャマンは大地の胸倉を掴んで、グイッと顔を間近に近づけてすごんだ。

「オレに逆らうなと言わなかったか!?」

 どこまでも残忍でどこまでも邪悪な瞳。それに囚われた大地は、目を見開いて固まってしまった。シャマンのあまりの迫力に完全に圧倒されてしまったのだ。


 その隙をついて、有無を言わせず大地も床にくず折れさせる。

「おら、食え!」

 シャマンは両手で大地とラビをそれぞれ抑えつけた。

 その痛みと理不尽さに、大地は涙があふれて止まらなかった。ラビも同じく苦しみに喘ぎながら、従わなければならないことを悟り、目をどんよりと曇らせていた。


 在院者は緊迫しているものの、大地とラビを見て笑う者やヒソヒソ話をする者もいた。

 自分たちでなくて良かったという安堵感、可哀相に…と所詮他人事だからこそ感じることのできる同情…さまざまな表情で見ていたが、誰も2人を助けに来ようとはしなかった。

 この少年院では、これが『当たり前』だったからである。