スリーパーズ16
「美味いだろう?ここの料理の売りは『床にぶちまかれても、その上踏みしだかれても味は損なわない』ってところだからな」
心底愉快そうに、2人の顔を交互に見るシャマン。大地は歯を食いしばって耐えていた。
「そこまでだ、シャマン」
誰かが不意に近づいてきて、声をかけた。
シャマンはそちらの方を振り返った。大地とラビは首を抑えつけられているせいでその人物の顔を見ることが敵わなかったが、足元を見るとシャマンと同じ濃紺のズボンを穿いている。
どうやら看守の1人のようだが、聞き覚えのない声だった。
「…オセロ」
シャマンの声は別の怒りで包まれた。オセロと呼ばれた男は落ち着いた口調で続けた。
「交替の時間だぜ」
「オセロ、交替は少し待ってくれ。オレはこいつらに、自分たちが起こした騒ぎの後始末をさせてる最中なんだ」
「後始末ならオレが引き継ぐ。さあ、休憩に入れシャマン」
そういうオセロにシャマンは向き直った。おかげで大地とラビはシャマンの暴力から解放され、ゆっくりと身を起こすことができた。
オセロは鼻が大きく、左目に大きな黒い眼帯をしていた。人好きのする顔の男で、年齢はシャマンよりは5つほど年上の20代後半ぐらいだろうか。
「オレの勤務担当中に起こった騒動の当事者に、オレが処罰を与えてる最中なんだ。分かれよオセロ」
言い聞かせるように説明するシャマンに、オセロは冷静に告げた。
「お前の勤務担当中に騒動が起こったのなら、そんな事態に陥ったという自分の反省をしろ、シャマン。交替時間は守るってことになってるだろう?オレの勤務スケジュールが
どんどん押すのは困るんだよ」
オセロは大地とラビに視線を移した。目が合うと、一瞬悲しそうな表情を浮かべた。が、すぐに顔を明るくして言う。
「今日は初めての結婚記念日なんだ。嫁さんがご馳走こさえて待ってるからな、早く帰らなくちゃならない」
オセロは肩をすくめる。
「嫁のお杏はイイ女だが、すげェ気が強くてな。このせいで仕事が押して結婚記念パーティーに遅刻しようものなら…想像しただけで、おー怖ぇ。シャマン、そん時はオレと一緒に
お杏に土下座してくれよ」
くりくりと目を動かせておどけながら言うオセロに、周りの少年はくすくすと笑っている。大地もラビも、不安や屈辱から少し解放された気がした。
シャマンは逆に怒り心頭だった。少年たちの気持ちを軽くしたオセロの陽気さは、シャマンの神経を逆なでするだけだ。
オセロの大きな鼻と自分のスッとした高い鼻がぶつかるぐらい傍に近づいて、シャマンは言った。
「――オレを怒らせるなよ、オセロ」
「…それはこっちのセリフだ。オレは真っ当なことをお前に頼んでいるだけだ」
オセロの顔からは、もうふざけた様子は消えている。シャマンは鋭く威圧的な目でオセロを睨む。オセロは無表情でそれを見つめ返していた。
看守同士が目の前で衝突している。大地はその一触即発の事態にハラハラしていた。
人の良さそうなオセロの行為は嬉しかったが、悪魔のようなシャマンのことだ。どうなるか分からない。
ラビは大地の隣で同じように立ち尽くしてはいたが、伏し目がちで看守のもめごとには興味がなさそうだった。
シャマンはじっとオセロを見つめた。その目には少年らの前でプライドを傷つけられた怒りがありありと浮かんでいた。
オセロも同様に、シャマンから片時も目を離さなかった。陰湿な虐待を行う同僚を目の当たりにし、それを見過ごすことのできない正義感がオセロにはあったのだ。
長時間睨みあっていた2人だったが、先に根負けしたのはシャマンだった。オセロから目をそらし、舌打ちした。
「…さあ、今からオレの勤務担当だ」
オセロがシャマンに、早くここから出ていくよう促す。シャマンは去り際、大地とラビを見て一言吐き捨てた。
「このカタはきっちりつけてもらうぞ」
シャマンの後ろ姿を見ながら、2人はひとまず事が収まってホッとしていた。だがあの様子なら、必ず何かの形でこの仕返しをしにくるだろう。
それに戦々恐々としていると、オセロが声をかけてきた。
「ほら、突っ立ってないでカウンターで飯をもらって来い。なくなっちまうぞ」
オセロはラビの肩を押して、配膳カウンターへ行くよう急かした。
「で、食い終わったら床の掃除の手伝いをしてもらうからな」
人懐っこい表情で、大地にウィンクするオセロ。眼帯をしているため、見えている方の目をつぶられると両目を閉じているように見えて可笑しかった。
このオセロという看守は、あの狂ったようなシャマンから自分たちを助けてくれたのだ。
こんな優しい人物がこの少年院にいることを初めて知った。大地とラビは、心に暖かいものが流れ込んでくるのが分かった。
だが、幸せなのもつかの間だった。この食堂での一件が、シャマンを決定的に怒らせてしまった。
残忍で狡猾なシャマンがとった手段は大地たちの想像を絶した。そしてそれは長い間大地たちを支配し、追いつめ、苦しめることになる。
少年院の日々の中で、大地たちはこの瞬間が一番幸せであった。だが、そのあとにひどい仕打ちが待っていた。
この少年院で一番幸せな日は、一番不幸な日でもあった。
