スリーパーズ32
12月も半ばを過ぎ、大地たちが入所してから早4ヶ月が経とうとしていた。
大地は昼食後、自分の部屋で椅子に腰かけていた。
目の前には白い紙。大地は母親の美恵に手紙を書こうと思いそうしているのだが、鉛筆を持った手が動かなかった。
大地はもともと筆まめで、一緒に住んでいるのに家族のみんなに手紙を書いてはよく渡していた。特に喜んでくれたのが美恵だった。
そんな美恵と、入所する際に『手紙を書くこと』を約束した。それなのに、ここ2ヶ月ほどはこちらから1通も出していなかった。
この少年院で過ごす日々…シャマンたちから受ける性的虐待と凌辱の日々のことなど、到底書けるはずもない。
それに、どうせ書いたところでシャマンが検閲だと言って必ず目を通し、破り捨てられるのがオチだ。それどころか、そんなものを書いた自分にさらにひどいことをするのが目に見えている。
だが大地は、自分とラビがどんな辛い目に遭っているか、母親たちに知ってもらってここから助け出してほしい、という気持ちが少しだけあった。
誰にも知られたくないという気持ちは依然強く自分の中にあったが、これだけしつこくシャマンたちに痛め続けられると、心のよりどころというべきそんな場所を欲しがる思いが生じている。
少年院の中でどんな事が行われているか。知られるのはとても恥ずかしく嫌だったが、こんな日々から解放されるのなら…と、当てのない希望が心の片隅に存在していた。
『お母さんへ』
それだけ書いて、大地は一息ついた。
迷ってはいたが、やはり美恵には知られたくない。この状況から脱け出すことよりも、この事実を知った母親たち、家族の衝撃の大きさを考えると本当のことが書けない。
ただ、出せはしなくても母親宛てに正直にすべてを書く、ということだけはしたかった。
鉛筆で書いて、あとは消しゴムで消してしまえばいい。それなら誰にも見つかることはないんだ。
手紙を出せなくても、書く真似ごとをすることで、少しは自分の心が救われる気がした。
大地は鉛筆を慎重に軽く走らせた。
『なかなか手紙を書かなくてゴメンね。お母さんもお父さんも、おじいちゃんも大空も、みんな元気かな?』
家族に想いを馳せていると、瞳が涙でうるんできた。
『ここの少年院に来て、早くも4ヶ月が経とうとしています。僕は』
そこまで書いて、鉛筆の先が一旦止まる。いよいよ本当のことを書く段になった。
『僕は…元気と言いたいところだけど、本当は元気じゃありません。ここはひどいところです。』
大地の口が固く引き結ばれる。
『ここは…地獄です。僕もラビも一日でもいいから早くここから出たいです。』
ぽた、と手紙に涙が一滴落ちた。それを服の袖で拭って、続けた。
『僕たち2人は、受け持ちの看守の男2人に初日から目をつけられてしまいました。気まぐれに殴られたり、蹴られたりしています。』
鉛筆を持つ手が震える。また涙がこぼれた。
『それだけじゃありません。シャマンとナブーというこの2人の看守から、僕とラビは毎日』
大地はその先を書くことをためらった。いくら出さない手紙、母親が読まないものとはいえ、改めて文字にするとその残酷さに胸が締めつけられて、先に進むことができなかった。
口唇を噛みしめ、鉛筆を握ったまま止まっている大地の耳もとで突然声がした。
「『僕とラビは毎日』…続きはどうした」
大地は凍りついた。椅子に腰かける自分に背後から覆いかぶさるようにして、シャマンが机に手をつき手紙を覗き込んでいた。
大地は手紙を書くことに没頭していて、シャマンが部屋に入ってきていることにまったく気づいていなかったのだ。
「さあ…遠慮せずに書け。せっかくの母親への手紙だろう?」
目を見開いて固まる大地に、シャマンは嫌味な笑みを向ける。
誰にも知られずに葬ろうと思っていた手紙を、一番知られたくない人物に見つかってしまった。シャマンの全身から放たれる、静かではあるが大きな怒りを間近で感じて、大地は心が
恐怖で満たされていくのが分かった。
「こんなものを書いたって、どうせオレたちに見つかって届くわけがないのに…お前はどこまでバカなんだ」
そう言ってシャマンは机から手紙を取りあげた。文面をチェックするシャマンに、大地は立ち上がり慌てて弁解する。
「違…っ!違う、出すつもりはなかったんだ…!!」
「出すつもりがないなら、こんなものを書く必要がどこにある」
「すぐ消して捨てるつもりで…っ…本当に出す気はなかったんだよ!」
「信じられないなァ?」
「本当だよ、今すぐシャマンの目の前で消すから…!」
そう言って、手紙をどうにかシャマンから取り返そうと大地が飛び上がる。シャマンは再び笑って言った。
「手紙は消せても、お前の行為は消せない。これはれっきとした看守に対する反逆行為だ」
手紙を頭上に高く掲げて、シャマンは大地が困惑するのをニヤニヤと笑って愉しんでいる。
レイプされ、心身ともにとてつもない屈辱を味わわされているこの気持ちを、少しでも楽にしたくて書いた手紙。そんなことを説明したって、この男には到底理解してもらえないであろう。
大地は、シャマンがこの一件で再び自分をいたぶる材料を見つけて、心底悦んでいるのを感じた。
そうしていると、この騒ぎを聞きつけたナブーが大地の部屋に入ってきた。
「なんだ?何ごとだ?」
「ああ、いいところに来たなナブー。こいつがまた余計なことをしでかした」
そう言って大地の書いた手紙をシャマンはナブーに手渡す。
「読むなっ!」
ことを大きくしたくなくて、大地は再び慌ててそれを取り返そうとするが、大男はそれを許すはずもなくしげしげと文面を見つめている。
「…ほ〜…これはいかんな。いかんよ大地」
わざとらしく演技がかった悲しい表情を浮かべ、ナブーは首を横に振る。
「…ホントに…ホントに、ただ書いて…書くだけで出さない気だったんだ…!」
泣きながらそう言う大地を後ろからかき抱いて、シャマンが冷たく笑った。
「お仕置きだ」
「……!!」
大地の身体から血の気が引く。
「お前はまだまだしつけが必要だ。ナブー、お前も参加していいぞ」
「ぃよっしゃあ!!」
シャマンに誘われて、ナブーは悦び勇んだ。大地の手首に素早く手錠をかけ、シャマンはその腕を引っ張った。
「来い」
「い…イヤ、イヤだぁっっ!!!」
恐怖で泣き叫ぶ大地を、無情に部屋から引きずり出す。はす向かいの部屋からなんの騒ぎかと心配しているラビと目が合い、大地はすがった。
「ラビぃっ…!!」
今から行われることへの怖れから、泣いている大地の顔は青白かった。
「…大地!!」
ラビは部屋から飛び出した。が、すぐにナブーが近づいてきて部屋に押し戻され、あげく鍵をかけられ閉じ込められた。
「何すんだ!出せよ!!」
扉の鉄格子を持って、ガタガタと揺らす。ナブーは何がおもしろいのか愉快そうに笑うだけだった。
「おいシャマン!!大地をどこに連れていくんだっ!!」
シャマンはラビを無視し、大地を強引に連れ去っていく。
「大地に何しようってんだよ!クソ、答えろ!!」
叫び続けるラビに、ナブーがニタニタと笑いかけた。手にした手紙をヒラヒラとラビの目の前にチラつかせながら言う。
「大地はな、ここでのことを手紙に書いて、おふくろさんに知らせようとしたんだ」
ラビは自分の耳を疑った。そんな手紙をシャマンたちにバレずに出せると思うほど、大地は愚かではない。
「大地は『書いたらすぐ消すつもりで出す気はなかった』なんて言いわけしていたが、そんなのは嘘っぱちだ。油断も隙もないガキだな」
それを聞いて、ラビは合点がいった。
大地が言ったことは本当だろう。大地は恋しい母親に、自分が置かれている苦しい状況を伝えるという形をとることで、つかの間だけでも救われたかったのだ。夢を見たかったのだ。
それが運悪くシャマンに見つかってしまった。そのため今からおぞましい目に遭う。
ラビは先程の大地の顔を思い出した。胸が痛くなり、自然に涙があふれた。
「だから今から大地は罰を受ける。ま、あいつがそんな間抜けなことしてくれたおかげで、オレは万々歳だけどな」
完全にやに下がった顔でナブーはラビを見た。ラビが泣いていることに気づいて、さらに追い打ちをかける。
「お前の可愛いオトモダチと、思う存分ファックしてくるからもう行くぜ。大地は午後の授業を全部休むと教師らに伝えておけ」
シャマンを追いかけるナブーを見送り、ラビは俯いた。
「大地……!」
拳を思いきり鉄扉にぶつけた。激しい音が廊下に反響する。
できることなら、すぐにここから飛び出してシャマンとナブーを殺してやりたかった。あの悪魔どもから大地を救い出してやりたかった。
「クソ…くそォ!!」
何度も扉を殴った。ラビの手にじんわりと血がにじむ。
ラビは今日ほど、この扉を忌々しいと感じたことはなかった。
