スリーパーズ4
 2人はルナリバーで仲良くなった子どもたちに軽く別れの挨拶をして、ホットドッグ屋の屋台を目指し川沿いの街へ向かった。

 大地はドキドキしていた。弱いものを苛める悪者をやっつける、正義のヒーローになったような錯覚に陥っていた。


 ついにホットドッグ屋のいる広場へと到着した。屋台の主人から死角になっているビルへ身を潜める。

 主人は道行く人にラビルーナ名物だなんだと声をかけつつ、匂いに誘われて近づいてくる子どもを相変わらず全身で警戒していた。


「あいつってさァ、あのホットドッグをラビルーナの名物にして、ゆくゆくは全国区にしたいんだってさ」

「へぇ」

「同じような屋台を全国にいくつも走らせるのが夢って聞いた」

 ラビからホットドッグ屋の将来の展望を聞き、大地は少々感心しながら屋台を見つめた。

「…あの屋台、2人じゃそう簡単に動かないだろうなァ」

 その造りを目測して、大地は重さをはじき出す。

「あ〜、やっぱし?」

 マズイなァ、と残念そうにラビは顎をさすった。

「ん〜…でも、一度弾みをつけると後は指先1つでも簡単に動くと思う。やっぱり引くより押す方が早く動きそう」

 機械類の設計・組立・分解が大得意の大地が言うことだ。その考えに間違いはないだろう。


「あいつ、なかなか屋台から離れないな」

 行動に踏み切るチャンスを窺っているのに、その時がなかなか来そうにないのでラビは焦れったかった。

「うん…なんかあのオヤジ、命懸けって感じだね」

 大地は思わずプッと噴き出す。そんなにこの屋台が、この商売が大事なら、まずお客を一番に大事にするべきだと大地は思う。

 それなのに、ラビにしても、先程までルナリバーで遊んでいた子どもたちにしても、主人に対しては悪印象しかない。

 自分の態度が原因でお客を逃しただけではなく、それを盗もうとしているヤツがいるなんて、この男は夢にも思っていないだろう。


 そうこうしていると、自分たちより少し年上の4人組の少年が屋台のショーケースに群がっていくのが見えた。

「あいつら…なんかやる気だな」

 ラビは屋台の主人と子どもたちそれぞれに注意を配る。大地は胸の鼓動が速く打つのを感じた。

 2人はあのオヤジが一瞬でも屋台から離れる隙を作るのを、今か今かと緊張した面持ちで待っていた。


「あっ」

「やった!!」

 年上の少年たちは、案の定ショーケースの中のホットドッグを盗んだ。4人は両腕に抱えきれないぐらい大量に持ち、それぞれがバラバラの方向へ逃げていく。

「こらっ!お前らっ!!」

 当然主人はカンカンになって、少年グループの1人が逃げていった路地へと追いかけていった。


「今だ!行くぞ大地!」

「うん!」

 ホットドッグを盗んだ少年たち。本来は何の関係もないはずなのに、妙な連帯感が生まれる。そのせいだろうか、不思議と罪悪感はなかった。

 屋台の車輪のストッパーを大地は手際よく外す。そして見えない何かに背中を押されるように、屋台を動かそうとする2人の腕に力が入った。

「くっ…やっぱり重いな…っ!」

 ラビは真っ赤な顔で壁面のバーとパラソルを握って向こうへ押した。

「そこより、下の方から押した方がいいよっ」

 大地も必死で屋台を動かそうとする。靴がアスファルトを掻いて、熱くなった。

「せーのっ!」

「……っ!!」


 持てる力の最大限を発し、2人がうんうん唸っていると、背後から怒鳴り声が響いてきた。

「こら―――――っ!!」

 ハッとして大地とラビは振り返った。見れば屋台の主人が、車道の向こう側から血相を変えてこちらへ来ようとしている。

「うちの屋台をどこへ持っていく気だ―――っ!!」

「やっべ!」

「あ、あともうちょっと…!」

 ラビと大地は慌ててもうひと踏んばりする。すると、ギギッ…と車輪が音を立ててゆっくりと動き出した。

「よっしゃ!!」

 大地の目測通り、一度弾みがついた屋台は簡単に移動できた。

 主人に見つかってしまったので最初の計画通りではなくなってしまったが、大地とラビはそのまま勢いよく大きな屋台とともに走り出した。


 ホットドッグ屋の主人は大事な大事な商売道具を子どもにかっ攫われて、怒り狂っていた。

「こら、ガキども…!止まれ!!」

 主人は道路を渡って早く屋台を取り戻したいのに、車が行き交っているためそれが敵わない。見開いた目を血走らせ、肩は激しく上下している。苛立ちは最高潮に達しているらしく、

全身から凄まじい怒りを放っていた。


 大地たちはそんな主人を見て痛快だった。いけすかないヤツが自分たちに振り回されて焦っているのが面白くて仕方がない。

 ガラガラと大きな音を立てて路面を駆ける屋台を、すれ違う人はみな慌てて避けた。

 車道を挟んだまま大地たちと並走していた主人は、ついにこちらへ渡る信号へと辿り着いた。

「げっ、あいつこっち来るぜ」

 ラビは顔をしかめてヤバイという顔をする。

「まだ赤信号だから大丈夫だよ」

 とは言ったものの、大地たちはあまりの人通りの多さに脚を止めた。この先の道はかなり混雑していて、さっきまでのように屋台を走らせるのは無理だと大地は思った。

 大地は、信号が青に変わるのをイライラと待っている主人と目が合った。その目は変わらずに怒りに燃えていたが、大地の顔を見るやいなやどう懲らしめてやろうかという悦びが

宿った気がした。

 捕まったら殺されるかもな…と大地は背筋が一瞬、ゾクリとした。


「あいつ絶対頭イッちゃってるな」

 ラビも主人の狂気めいた表情に気づいて、ぼそりと呟く。

 あと少しで横断歩道の信号が青に変わることを、電光掲示板の目盛りが教えていた。

「ヤベーよ…」

 ラビが屋台を動かそうとする。

 逃げ切って、ホットドッグにありつきたかった。もうお腹なんてすいてなかったが、ここまで来たら何がなんでも計画を成し遂げたいという意地が生じていた。

 大地はラビの気持ちを察し、それを手伝った。だがやはり屋台はなかなか動こうとしない。

「〜〜〜〜〜っ」

「くっ…!!」

 2人が渾身の力をふりしぼった瞬間、屋台がゆっくり動きだした。

 喜んだのも束の間、それと同時にガタン!と音を立てて段差らしきものを踏み外した感覚が腕に走る。

 見れば、屋台の前輪が地下鉄へと続く階段に落ちてしまっていた。大地とラビがハッとした時には、もうすでに屋台は大きく傾き始めていた。


「…なんてこった!!」

 大地の背後から、信号を渡り始めたホットドッグ屋が顔面蒼白で叫んだ。

「!!」

 大地はとっさに壁面のバーを掴んだ。ラビも同じく屋台の背面に手を掛ける。

 だがそれは何の効果もなかった。周りの通行人の何人かが手を貸そうとしたが、それよりも屋台が大地たちの手をすり抜ける方が早かった。


 屋台は凄まじい音を立てながら、階段を落ちていった。

 パンやソーセージや玉ねぎ、ケチャップやザワークラウトなどの食材から、紙ナプキン、パラソルなど様々なものを飛び散らせていた。

 屋台そのものも、ほんの数秒足らずでバラバラになった。

 ショーケースは割れ、壁面に使われている派手に彩られたパネルも、枠から外れたり湾曲していた。


 大地とラビはなす術がなく、それらをただ呆然と見ているしかなかった。通行人たちも一様になりゆきを見守っている。

 一方、主人は自分の夢を託した屋台が無残に壊れていく様を直視できないのか、頭を抱えたまま歩道にくず折れていた。


 そこへ、予期していない最も怖ろしい事態が起こってしまった。

 地下鉄から降りて、何も知らずに階段を昇っていた初老の男性が、暴走する屋台に巻き込まれてしまったのだ。

 大音響に何事かと、踊り場を折り返して顔を上げた瞬間の出来事だった。

「……っ!!!」

「……!」

 大地もラビも、一部始終を目撃してしまった。

 男性が屋台ごと壁に叩きつけられるところも、男性のスーツがボイル用のお湯で激しく濡れるところも、その拍子に車輪が吹っ飛んでいくところも。


 屋台はようやく止まった。大地とラビはあまりのことにその場に凍りついていた。

 通行人の悲鳴が鋭く響く。

 初老の男性は壁と屋台に挟まれたまま、目を閉じてぴくりとも動かなかった。

 その時、ラビが大地を見た。ラビの顔は恐怖で青ざめていた。きっとラビにも自分の顔が同じように見えているだろうな、と大地は思った。


 突然、大地は誰かに腕をとられ驚いた。そちらを見ると、見知らぬ中年の男だった。ラビも同じようにその男に手首を掴まれていた。

 困惑していると、強張った表情で男が言った。

「君たち…何てことをしたんだ…」

 男は責めるというより、この2人の子どもがしでかした事の重大さに大きなショックを受けている様子だった。


 救急車のサイレンが聞こえる。この初老の男性のためにこちらへ向かっているのだと思いたかった。

「…オレたち…もしかして人殺しになったのかよ…」

 ラビは誰に言うともなく、力なく呟いた。