スリーパーズ41
大地はいよいよ明日、この少年院を出ることができる。ラビと一緒に、明日の昼の12時で完全に自由の身になれるのだ。
部屋の椅子に腰かけて、ぼんやりと机の上のスタンドを見ていた。
明日からはもう、夜が来るのを怖がらなくて済む。家族の待つあたたかい家で、何にも怯えず眠ることができる。
誰かに無理矢理身体に触れられることも、犯されることももうないのだ。
大地はそれが一番嬉しかった。シャマンの蛇のような視線から逃れられるということが、何よりも幸福だと思えた。
そうしていると、いつもの足音が廊下に響いてきた。
コツ…コツ…コツ…。
この足音はシャマンだ。他の足音は聞こえない。
ぎくりとした大地は、椅子に座ったまま扉の鉄格子を見る。そこには案の定シャマンが現れ、部屋の鍵を開けて中に入ってきた。
「…!」
最後の夜までこいつにおもちゃにされるのか。
緊迫する大地はゆっくりと椅子から立ち上がり、シャマンと向き合った。心臓が異常なほど速く脈打っていた。
「もう就寝時間は過ぎているぞ。寝てなきゃダメじゃないか」
言葉ではそう言うものの、シャマンは大地がベッドに入っていないことを少し喜んでいる風に見える。そして大地に歩み寄り、その頬を撫でた。
大地は何も言わず、眉間にしわを寄せて肩をすくませた。
今日が最後。今日が終われば解放される。もう2度と俺に触れさせない。
大地はそう思い、たまらなく嫌だったがシャマンに身をゆだねようと決意した。
シャマンはそんな大地を見て、フ、と笑った。それはいつものように片方の口の端だけを上げる笑いで、目は鋭いままである。シャマンは口を開いた。
「お前の母親は人がいいな」
「……?」
シャマンの言葉の意味が、大地には分からなかった。何故シャマンが美恵のことに言及するのだろう。会ったこともないのに、さも知っているかのような言い方だ。
困惑する大地にかまわずシャマンは続ける。
「お前のサボテン、大空がずっと面倒見ているらしいぞ。『お兄ちゃんが帰ってくるまで枯らさない』と言ってたな」
サボテンのこと、大空のこと。そして母親のこと。
シャマンのこの口ぶりは、まさか。
「こないだの長期休暇でラビルーナに引っ越してな。お前の家のごく近所だったんで、あいさつがてら家族にお前の様子を報告しに行ったんだ」
イヤな予感が的中し、大地は呼吸が荒くなる。
お母さんに会った?ラビルーナに引っ越した?
混乱し、頭がうまく働かない。大地はシャマンをただ見上げることしかできなかった。
「お前の母親は熱心にお前の話を聞いてきたぞ。どんな様子か、どんな風にここで過ごしているかと、矢継ぎ早に質問攻めにされた。とても心配しているようだ。最後には泣いていた。ダメじゃないか、
あんないい母親を泣かせたりして」
シャマンはにやりと笑う。
「母親は、お前がオレのような立派な看守に世話になって、とても嬉しくて頼もしい、と言っていた」
そしてクッ、と喉元を揺らせてほくそ笑んだ。
「思いもよらないだろうなァ、可愛い息子が目の前にいるこのオレに、昼も夜も関係なく毎日犯されているとは」
大地の視界がかすみ始めた。耳の奥から、キーン…と甲高い耳鳴りが聞こえる。
「近所に引っ越してきたと伝えたら、母親から『大地が少年院を出ても、ずっと面倒見てやってください』と頼まれた。おれは『もちろんです』と答えた」
「……!!」
大地はこの少年院を出るまでと思い、シャマンの蛮行に耐えてきた。どんな目に遭っても我慢してきたのは、期限付きだったからだ。それを支えにしてきたのだ。
なのに、退所しても…自由の身になっても、この男の支配から逃れることができないなんて。
しかも家族まで巻き込んでしまっている。悪魔のようなシャマンが、家族に近づいた。その上、美恵の目には立派な人間に映っている。
大地の視界の中のシャマンがぐにゃりと歪んだ。そして猛烈なめまいが大地を襲い、立っていられなくなる。
「おぉっと」
シャマンはそう言いながら、倒れる大地を受け止めた。あまりのことに青い顔で憔悴している大地を腕の中で感じながら、その耳もとで囁いた。
「…お前はオレのものだ。それはお前がここを出ても変わらない」
大地をがんじがらめにしてしまう言葉。言い聞かせるようにうっとりと言うシャマンを、大地は渾身の力で跳ねのけた。
「……!!」
「……」
大地は涙いっぱいの瞳でシャマンを睨みつけた。身体は怒りのため、大きく震えていた。
シャマンはそんな大地を見て、背筋がゾクリとするのを感じた。
そうだ、これだ。この大地に会いたかったのだ。
お仕置きの日以来、従順になった大地より、意志のある瞳で立ち向かう大地が自分を燃え上がらせるのだ。
何より、大地の目は自分をきちんと捉えている。自分が映っている。
シャマンは本来の大地に戻ったことが嬉しく、口の端をきゅっと上げて笑った。
大地はこの男に何か言いたかったが、あまりのショックに何も言葉にできず、怒りに包まれたまま息をあえがせている。
大地の隠しようのない自分への憎しみ。たまらない。
シャマンは胸の奥からぐらぐらと煮え立つような熱を感じながら、大地をさらに怒らせたくて口を開いた。
「弟の大空…お前にはあまり似ていないが、なかなか可愛いじゃないか」
「え…?」
大地の顔がぴくりと反応した。自分にさんざん良からぬことをしてきた男が弟を可愛いと言う。もしかしてシャマンは…。再び大地の鼓動が凄まじい速さで動き出す。
「お前の話が聞きたいらしく、オレに何度も質問してきた。少し身体が弱いらしいが、すごくはしゃいで…自分からオレの膝の上に乗ってきたぞ」
意味ありげに薄く笑うシャマン。両手は大空を模しているのか、子ども1人分ほどの形を作って胸の前で軽く揺らしている。この男がどんな人間か知らない大空が、無邪気にじゃれついている姿が
そこに見えた気がした。
大地は、シャマンが大空をも毒牙にかけようとしていることが許せず、叫んだ。
「…大空に、変なことするな!!」
大地の右の拳が空を切ったが、いち早く気づいたシャマンが手のひらで鋭くそれを封じた。
そして素早く大地の右手首をとり、別の手で顎をとり上向かせる。
大地はそれでも怒りを露わにし続けた。大空をいやらしい目で見ていることが、とにかく不愉快だった。あんな屈辱的な想いをするのは自分だけで充分だ。可愛い弟が性的な視線で
見られているだけで、虫酸が走る。
シャマンは、胸元で総毛立てて威嚇する猫のような大地を見下ろして言った。
「…勘違いするな大地。オレは大空に興味はない」
「…嘘だ!」
大地はすぐに言い返す。シャマンはクックッと笑った。
「ナブーじゃあるまいし…」
大地の顎を掴んでいたシャマンの手はゆっくりと広がりながら、大地の頬や耳もとに這いあがっていく。
「オレはお前で充分だ」
シャマンの目に強い光が宿ったのが分かった。大地の背筋にゾクリと悪寒が走った。
じんわりと侵食してくるシャマンの手。それはまるで、身体だけではなく、心までもシャマンに取り込まれるかのようで、大地は反射的に跳ねのけた。
「は…放せっ!」
だがシャマンはすかさずそれを利用して、大地を再び抱きすくめた。
「っあうっ!」
あまりの力に大地は思わず悲鳴を上げる。シャマンは大地の耳もとに顔をうずめ、尋ねた。
「大地…オレが憎いか」
「っ…」
大地はそう聞かれてうろたえた。
憎い。当たり前ではないか。
自分のすべてを痛めつけ踏みにじって、ボロボロにしておきながら、今後さらにつきまとって好きにしようとしている。
殺してやりたいくらい憎くて仕方がない。
「オレが憎いか。大地、答えろ」
大地は肩で息をしながら、無言でうなずいた。
そう答えることでシャマンがどう思うか分からなかったが、憎くないなどそんな白々しいことが言えるはずもない。
シャマンは、抱きしめた大地の首が縦に動くのを身体で感じ、身を上げて狂ったように笑いだした。
「……!!」
戸惑う大地に、シャマンは肩を揺らせながら言った。
「そうだ、それでいいんだ大地。もっとオレを憎め」
シャマンの真意が分からずに、眉根を寄せて困ったような表情のまま立ち尽くす大地。シャマンはずっと嬉しそうに笑っていた。
そんな2人の元に、ナブーがやってきた。
「何を話し込んでんだ、2人して」
ナブーは言うほどシャマンと大地が何を話しているかに興味はなく、自分の後ろにいる少年を手前に引っ張り出した。
「ラビ…!」
ナブーに手錠をかけられ、大地たちの前に出てこさせられたラビの顔は青かった。この少年院で過ごす最後の夜が、穏やかなものにならないことを察知して憔悴しているようだった。
「おーら、あんまりとろとろしてると時間がなくなっちまうぜ」
ナブーは今から始まることにワクワクしていた。その後ろには校医のケヴィンの姿が見えた。
シャマンはおもむろに手錠をとり、大地の手首にかけた。
「…明日出ていくお前たちのために、送別会をしてやる。今夜はフルメンバーで盛大に愉しもうじゃないか」
「っ…!!」
「会場は最初の夜と同じ…地下室だ」
この少年院最後の夜も、嗜虐と恥辱にまみれたひどい夜になる。大地とラビはそう予感して、身を震わせた。
