スリーパーズ44
次の日。
送別会という名の下、今までの集大成とも言うべきひどいレイプをされた大地は、思いつめた表情でベッドに腰掛けていた。
本来ならば、この少年院で過ごす日々の中で、今日が一番嬉しい日のはずだった。
ラビと一緒に退所して、家族に迎えられ、誰にも何にも怯えずに自由に過ごせるのだから。
そこに水を差すように、シャマンの声が響いてきた。
『お前はオレのものだ。それはお前がここを出ても変わらない』
シャマンは大地のこれからにもずっとつきまとうつもりだ。
外の世界はこことは違い、手錠で繋がれることもないし、突然夜中にやってきて犯されることもないだろう。自分を守ってくれる家族もいるし、武器を持って立ち向かうことだってできるはずだ。
だがシャマンからは、そういうことすべてにいとわずに大地を支配しようという強い意志が感じられた。
大地が家族想いなことや、2人の関係を知られたくないというその気持ちを利用して、言葉巧みに自分の思い通りにしようとしている。
それに気づいていたが、シャマンの行動を制御できる自信がなかった。圧倒的な力で性的虐待を受け続けた大地と、本能のままに大地を凌辱し続けたシャマン。その関係は環境が変わっても、
簡単に覆るとは思えない。
このままあの男が飽きるまで、おもちゃにされなければならないのか。
イヤだ。イヤだ。イヤだ…!!
じっとりと汗ばみ始めた大地の手には、1本のナイフ。先日この部屋で、ラビから預かったあのナイフだった。
シャマンとの関係をここで終わりにしよう。
…シャマンを殺そう。
そう思ってナイフを逆手に持ち、囚人服の袖に隠した。
きっともう少しすればここに来る。『明日からはラビルーナで顔を合わすことになるな』などと言いながらゆっくりと近づいてくるだろう。
そして抱きしめられたら、腹を刺してその後…。でないと、オレは一生…!
大地は口唇を噛みしめ、カラカラに乾いた喉を潤すため唾を飲み込んだ。きゅっ、と音を立てて喉が鳴った。
だが大地は、シャマンを殺す決心がまだつきかねているのも事実だった。
と言うのも、自分がラビに言った『オレはラビと一緒にここを出たい』という思いを、いまだ強く持っているからだ。
シャマンが少年院を出た大地に、まだ手出ししようとしていることはラビには伝えていない。そんなことを言えば、今度こそラビはシャマンを殺してしまうだろう。
自分のためにラビの手を汚れたシャマンの血で染めるわけにはいかなかった。
それにこれはオレのことだ。オレ自身で決着をつけなければならないんだ。
ナイフの柄をギュッと握りしめていると、シャマンの足音が聞こえてきた。大地は思わずベッドから立ち上がった。
この音を聞くのもこれが最後。大地は右手でナイフをきちんと持ち直し、なんとか自然に見えるようそっと背面に隠した。
だがその手は震えており、大地の恐怖心を物語っていた。
シャマンが大地の部屋の前まで来て、中を覗いた。大地を見て幾分驚いたような様子を見せた。
「…わざわざ立ってお出迎え下さるのか」
部屋の扉が、バタン、と重い音を響かせて勝手に閉じた。
ゆっくりとシャマンが近づいてくる。大地はナイフをギュッと握りしめ、黙ってシャマンを見つめた。その瞳には涙がたまり、今にもこぼれ落ちそうだった。
「……」
シャマンの顔から笑みが消え、何かを考えているのだろうが、特に何も言うことなく大地の頭に手を伸ばした。
そしてそのまま頭や髪を撫でている。大地はギュッと目を閉じた。涙がすぅっと両頬を伝った。
ラビのことを想うと、家族のことを想うと、何もせずにこのままここを出た方がいい。
でもそのあと、シャマンにずっと弄ばれる生活を送るのだ。ここではない、普段の暮らしの中で。何にも制限のない自由な毎日の中で、唯一シャマンには囚われ続けなければならない。
それは耐えがたいことだった。
なぜこうなってしまったのだろう。何故オレたちは出逢って、こんな風になってしまったのだろう。
シャマン、オレにお前を殺させないでくれ…!
強張った表情で立ち尽くす大地を、シャマンはいきなり抱きしめた。
「っ…!」
「大地…」
シャマンの声は、今まで聞いたどれよりも弱々しく聞こえた。別人かと思うほどだった。
大地は、右手に持ったナイフをシャマンに気づかれないよう気遣いながら身を捩った。それを大人しくさせようと、シャマンはさらに強く大地を引き寄せる。
「大地…お前はオレが憎いと言ったな…。今までオレがお前にしてきたことを思えば当然だろうな」
シャマンの声は先程と同じトーンを保ったまま、大地の耳もとで囁かれる。
大地は意外だった。シャマンの中で、憎まれても仕方がないほど悪いこと、という意識があったのだ。あえてそれを口に出されると、大地の中に新しい怒りが生じる。
シャマンが張りつめた糸を弾いたような声で言った。
「では、そのナイフでオレを刺せ」
「な…!」
大地は思わず声を上げた。シャマンは自分がナイフを隠し持っていることに気づいていた。そしてそれで刺せと命じてくる。
いきなりの信じがたい発言に困惑する大地の右腕を掴んだシャマンは、その先にあるナイフの刃を自分に向けて叫んだ。
「ほら刺せ、大地!オレを殺そうと思ってこんなものを持っていたんだろう!?殺したいほどオレを憎んでいるんだろう!?だったら早く刺せ!刺すんだ!!」
「ぅっ…!」
大地が掴むナイフをぐいぐいとすごい力で自分の脇腹へと導くシャマン。大地は反射的にそれに抗った。
シャマンを殺してしまうことの抵抗感と、この行動をとるシャマンの真意を計りかねたからだ。
自分が持ち出したナイフだったが、このままだとシャマンの意のままに刺してしまうことになる。それがイヤで、またそうなってしまうことが怖ろしくて、大地はナイフを手から離した。
「イ…イヤっ…!!」
ナイフはカシャーン!と音を立てて落ち、床の上をくるくる回転しながら滑っていった。
「うっ…うぅ…っ…ふっ…!」
大地は情けなかった。シャマンを殺すつもりで迎えたのに、そのシャマンから刺せと言われたら怖ろしくなって何もできない。
腕を掴まれたまま俯いて泣いている大地に、シャマンは告げた。
「オレは…お前に忘れてほしくないんだよ」
大地は俯いたまま、泣くのをやめた。オレに忘れてほしくない?
「お前がオレを刺せば、今日のお前の退所は当然ながら取りやめだ。お前はここにとどまることになる。それに、オレはお前のようなひ弱なガキに刺されて死ぬわけはない。
再びここに戻ってくることになる」
大地はゆっくりと顔を上げ、シャマンを見つめた。シャマンの瞳はどことなく愁いを含んでいた。
「そうなれば、また今までと同じような日々が続く。オレはお前を犯し、お前はオレに犯される。今日退所したお前を娑婆で追いつめるのもよいが、せっかくナイフを持っているんだ。
自分が刺したオレのことを、お前は一生忘れることはないだろう」
大地はヒクヒクと胸をわななかせた。シャマンの魂胆を聞きながら、自分に対してどうしてそこまで執着するのか本当に疑問だったし、何よりも怖ろしかった。
シャマンの発言への拒絶から、大地は無意識にゆっくりとかぶりを振っていた。
刺しても刺さなくても、シャマンの魔の手からは逃れられない。
その絶望感に大きく飲み込まれ、耐えきれずに膝から崩れ落ちた。
「〜〜〜―――っ…!!!……っ」
右腕を掴まれたまま自分に倒れ込むように泣いている大地を見て、シャマンは頭の奥がジンジンとしびれ出したのを自覚した。
「憎んででも嫌いでもなんでもいい。お前の心を一番大きく占めている存在は、間違いなくこのオレだ」
認めたくなかったが、実際そうだった。ラビでも美恵でもなく、大地の心に大きく居座っているのは、シャマンだった。
「〜〜〜…なんで…」
大地はハァッ、と大きく息を吐いて、シャマンに疑問をぶつけた。
「何でそこまでオレに…オレにイジワルするの…?」
『意地悪』などという言葉では片づけられないほどの被害を数々受けていたのだが、子どもの大地にとっては他にうまく表現できる言葉が見つからない。
伏せられたまつ毛に涙の粒が光る。シャマンはそれを親指でそっと拭ってやった。
「意地悪か…」
ふ、とシャマンが笑うのが大地に分かった。
「…なぜだか分からないか?それは」
次の瞬間、何かの衝撃が2人を襲った。同時にシャマンの言葉がいきなり途切れた。
シャマンの身体がにわかに強張り、大地の右腕を掴む力が強まった。
大地は何か異変を感じ目を見開いた。青ざめた顔のシャマンと目が合う。シャマンは表情を歪ませ、ゆっくりと後ろを振り返った。
