スリーパーズ46
大地は退所の日に騒動に巻き込まれてしまったものの、簡単な事情聴取のみで解放されることになった。
ホークに刺されたシャマンは命に別条はないということだった。
一方ホークは正直に自分がやったと言ったのだが、大地に傾倒するシャマンが憎くて、ということは一切話さなかったらしい。
ナイフも自分が作ったものだと供述したようだ。自分からシャマンを奪ったと一方的に思っている大地の存在を、事件の供述とはいえきっと認めたくなかったのだろう。
少年院側はシャマンと大地の関係を以前から把握していたが、事件をなるべく早く小さく処理しようとしているらしく、大地はただその場に居合わせただけ、という立場になった。
大地も、シャマンが自分に対して行ったことを今さら少年院に訴えるつもりもなく、そう決まった時も何も言わなかった。
少年院としては内々で済ませたかった事件なのだが、現場に居合わせた少年、しかも今日退所する少年のため事情聴取をしないわけにはいかず、迎えに来ていた美恵にも説明せざるを
得なくなった。美恵には絶対に他言せぬように、と厳重に口止めをしてきた。
もちろん、シャマンと大地の関係は美恵にも伏せられたままであった。
どんなに綺麗で素晴らしい環境だと謳っているここ邪動少年院も、一皮むけばこんなものなのだ。
いったん中に入り込めば体面ばかりを気にする少年院と、それを利用して少年たちをストレスや欲望のはけ口にしているシャマンのような人間ばかりだ。
そのような体質を身をもって知っている大地は、もうこれ以上苦しめられたくない、というのが正直なところだった。
大地もラビも、この少年院でのことは誰にも言わないでおこうと誓った。
美恵にも大樹にも、信頼するV−メイにも。
大地とラビ、2人だけの秘密。もう2度と口にすることのない、苦しく辛い秘密だった。
邪動少年院を出た大地は、自由の身になったというのに、常にシャマンの影に怯えていた。
夜寝る時は、電気を消してしまうと怖くて怖くて眠れなくなった。なので必ず明るくして眠った。
そうしないと、今にもあの足音を響かせながら、シャマンがシーツをはぎ取りに来そうで気が気ではなかった。
また、外で何人かの若い男が笑い声を上げるのを聞くと、えも言われぬ恐怖に襲われた。警備員などの、看守に似た服を着ている男を見た時もだ。
ひどい時には父親の大樹がベルトをカチャカチャと外す音や、自分の後ろに回り込んだ時なども、大地にはたまらなく怖ろしく感じる瞬間だった。
大地にとってシャマンやナブーを想起させるものすべて、それがたとえ一般的に性的なものでなくとも、レイプを瞬時に思い出し血の気が引いた。
ほんの短い時間――たった数秒ほどだが、呼吸ができずその場に凍りついてしまうのだった。
どんなに振り払おうとしても、シャマンから植えつけられた恐怖心は絶大だった。
夢の中にまで現れ、泣き叫ぶ大地を愉しむかのように、笑いながら犯し続ける。うなされて、汗だくで飛び起きる日がほとんどだった。
不思議とナブーは出てこない。すべてシャマンだった。
ハァ、ハァ…とベッドの上で息を荒げる大地。
いつまでこれに囚われなければならないのだろう。大地は膝を抱え、うなだれて泣いた。
絶望の涙が枯れる日は、なかなか迎えられそうになかった。
そんな日が続く中、退所して初めてラビに会った。邪動少年院を出た日以来、1週間ぶりだった。
「よぅ、大地」
ラビは明るく大地にあいさつしたが、あまり顔色がよくない。どうやら大地の現状と同じようなことが、その身に起こっているようだ。
ただ、少年院でのことはもう話題にしないと2人の間で決めいていたので、お互いを気遣うものの、この件に関して何も話さなかった。
そうやって無理矢理蓋をしていた方が、自分たちにとって良いような気がした。
忘れたふりをしていた方が、シャマン達の影から少しでも早く解放される。
あいつらの存在をいったん認めてしまうと、途端に黒く邪悪な力に犯されてしまいそうだった。
大地たちは見て見ぬふりをして、『ヤロレパパ』に向かった。
母親の美恵は、大地が少年院から帰ってきて、様子がおかしいことに気づいていた。
ただし、それはよくしてもらっていたシャマンが目の前で刺されるところを見てしまったからだと思っていた。
命に別条はないというものの、慕っていた親切な看守が他の少年にナイフで刺された、というのは、息子にとってとてもショッキングなことであろう。
大地が前ほど笑わなくなったのも、灯りをつけていないと眠れないのも、きっとそのせいだ。
早く大地を元気づけてあげないと。
そう思っていた美恵は、秘かに邪動少年院と連絡を取っていた。
そして待ち望んだある知らせを受けて、すぐさま大地に教えた。
「大地、嬉しいニュースよ!シャマンさん、今日退院したんですって!!」
「……!!」
大地はそれを聞いて、心臓がキン、と痛んだ。
「しばらくは車椅子で過ごさなきゃならないみたいなんだけど、リハビリでまた元通り歩けるようになるんですって。良かったわね、大地!」
「……」
笑顔をほころばせて報告する美恵に、大地はなんと答えていいのか分からなかった。無言でそこに立ち尽くしていた。
「あら、大地ったら何も言えなくなっちゃうくらい嬉しいのね」
美恵は当然、大地とシャマンの関係を知らない。
可愛い息子が毎日のように、シャマンにわいせつな行為を働かれていたなど、微塵も思っていなかった。
無邪気に喜ぶ美恵は、大地に一枚のメモ紙を渡した。
大地がそれを見てみると、何やらラビルーナのとある住所が書かれている。
「シャマンさんの住所よ」
大地はガバ、と顔を上げた。
シャマンの住所…?
メモに書かれてある文字を見てしまうと覚えてしまいそうだったので、大地は紙からすぐに視線をそらした。激しい動揺のため、その目は泳いでいた。
あの男がラビルーナにいる。
大地はそう思うと息がつまり、苦しさの余り夢中で呼吸をして、肩を上下させている。脚がガクガクと震えだした。
美恵はそんな大地に気づかず、窓の外を指さして言った。
「ほら、新しいマンションが見えるでしょう?シャマンさんち、あそこなの。とっても近いでしょう」
「……!」
「今は、退院して自宅療養中らしいわ。ねぇ、近々大地と大空と私、3人でお見舞いに行こうと思うの。大地、いつがいい?早く行きたいでしょうけど、今日は退院したばかりでシャマンさんの
ご迷惑になるでしょうから…」
壁のカレンダーを見ながら日取りを決めようとする美恵を残し、大地は2階の自分の部屋に駆け込んだ。
大地はすぐさまカーテンを閉め切った。
なぜなら、大地の部屋から、今美恵に教えられたシャマンのマンションが見えたからだ。
「…ぅっ…ひっく…!!」
ベッドに突っ伏して嗚咽を漏らす大地。その手にはシャマンの住所が書かれたメモ紙が、くしゃくしゃになって握られていた。
退院してからずっと、シャマンの幻影に怯えていた。
が、とうとう本物のシャマンが自分の近くに迫っている。
大地の鼓動が速まる。
また犯される。少年院と同じあの関係を、何の制限もなくなった自由な大地に強要しようとしている。
イヤだ。イヤだ。イヤだ。
本気であいつから逃れたい、と強く願う大地に、ふと別の考えが浮かんだ。
「……」
大地の涙が止まる。荒くなっていた呼吸も軽くなった。
ベッドから身を起こした大地は、おもむろにカーテンを開き、シャマンのマンションを見つめた。
住所の書かれたくしゃくしゃのメモをゆっくりと開く。しばらくそれを見ていた大地は、顔を上げて再度マンションを見た。
大地の瞳は、先程まで泣いていたため涙でうるんでいたが、何かを決意するような強い光を宿していた。
