殿と大地之助 13
小枝を何本か集め、それにたいまつの炎を移して火をたいた。
パチパチと音を立てるたき火を見つめながら、大地之助は万次郎に何もかもを話した。
自分が城に連れてこられ、お小姓としてそばに仕えながら殿を愛し、愛されたこと。
だが今日、その全てを否定するかのように殿は他の子供を抱き、自分をその場に近寄らせないために何者かにこの身を提供したこと。
殿はそんなことをするはずがないと弁明していたが、もう信用できないと一言残し、こうやって城を飛び出したこと…。
大地之助は、会ったばかりの万次郎になぜここまで話しているのか自分でも不思議だった。
万次郎にはどこか、人の心を開かせる不思議な雰囲気がある。
それに、一旦話し出すとあふれ出る感情をせき止めることができずに、全てを吐き出した。
何も言わずに静かに聞いていた万次郎は、大地之助に同情しながら呟いた。
「そうか…そんなことが…それなら誰でも逃げ出したくなるな…」
大地之助はしゃくり上げながら答える。
「…っでも、僕が出ていく時、殿は『違う』って言ったんだ…っっ…あんなひどいことして何が違うのか分からないよ」
そしてまた大粒の涙をこぼす。
万次郎は、様々なことが起こり疲れているだろう大地之助の心と身体を思いやり、優しく微笑みかけた。
「これからのことは明日考えよう。今日は遅いからもうお休み。私がずっとここについているから安心しなさい」
大地之助は言われるまま横になり、しばらくすんすんと鼻を鳴らしていたが、すぐに眠りについた。
万次郎は自分の羽織をそっと大地之助に掛けてやる。
(やっぱり疲れていたんだな。すぐに眠った)
たき火の灯りに照らされて規則的な寝息を立てる大地之助は、殿の夜伽をしていたとはいえ子供そのもので、そのあどけなさに万次郎はくすりと笑った。
だが、今の大地之助の話をゆっくりと考え直し、真顔になった。
(…お優しいことで有名なあの殿が、一度は愛したお小姓にそんなひどいことをするだなんて…。これには家来が絡んでいそうだな。
大地之助を手籠めにした男達は、どうやら殿にごくごく近い側近の可能性が高い。それにしてもそいつら、こんなに幼くか弱い子供を輪姦するなどと…許せんな!!)
万次郎が密かに怒りに震えていると、大地之助が小さくうめいた。
「ぅ…ん…」
「?」
万次郎が大地之助を見ると、大地之助は幸せそうに笑って寝言を呟いた。
「ふふ…殿…待ってよ」
どうやら殿と遊んでいる夢を見ているらしい。
本当に幸せそうな表情を見て万次郎は思った。
(大地之助殿…あんなひどい目に遭ってもやはり殿のことがまだ好きなのだな)
そして自分の胸の奥がチリ…とざわめいたのに気づいた。
(あ…あれ?何だこの感覚は…もしや嫉妬?)
大地之助の寝顔を見て、万次郎は赤くなった。
(私は…もしかしてこの少年のこと…)
そうっと大地之助に近づいていく。
こんなに小さい、華奢な身体で大人達のふしだらな行いに耐え、それでもまだ健気に殿を思っている。
そう思うと、万次郎は大地之助を抱きしめたい衝動に駆られた。
だが慌ててその考えを打ち消した。
(駄目だ駄目だ!抱きしめてどうしようと言うんだ私は!!これでは他の男共と同じではないかっ!)
これ以上、大地之助を見つめていると何をしでかすか自信がなかった為、万次郎は背を向けて自分も眠りについた。
大地之助は、夢の中で殿と2人、海岸沿いの砂浜で遊んでいた。
そこには2人以外誰もおらず、殿は子供のように大地之助に水を掛けてはしゃいでいる。
大地之助も負けじと殿に水を掛け返して、共に笑い合った。
殿はそのまま笑いながら大地之助の元を離れ、沖へ進んでいく。
『待って、殿』
大地之助はそう言って追いかけるが、殿はどんどん身体を海に沈めながら離れていく。
最初は笑っていた大地之助だったが、急に家族を海で失ったことを思い出し、猛烈な不安に襲われた。
必死で追いつこうと走っても、波に阻まれ前へ進めない。
『とっ…の!殿っ!!』
大地之助の呼び声にも殿は振り返らず、瞬く間にその姿はかすんで見えなくなった。
『いやだ…殿っ、殿ォーーーーっっ!!!』
そう叫んだところで目が覚めた。
最初ここがどこなのか理解できず、キョロキョロと辺りを見渡したが、たき火の向こうに見える万次郎の姿を見て今のが夢なのだと気づき、ホッとした。
だが、今日起こったことを改めて思い出すと、今の夢は大地之助の気持ちを暗示しているようで、鉛を飲まされたように心がズシリと重くなった。
あんなに幸せだったのに、殿ともう一緒にいられない…。
その現実に、胸がつぶれそうになる。
助けてくれた万次郎に視線を移し、心の中で語りかけた。
(万次郎さん、話聞いてくれてありがとう。このまま僕と一緒にいることが知れたらきっと迷惑かけちゃうと思うから、このまま黙って出て行きます。
ろくにお礼が言えなくてごめんなさい)
大地之助は起こさないよう、静かに立ち上がった。
洞穴の外は、ザーザーと激しく雨が降っていた。
(当てはないけど、町中へ行って何か仕事を探そう。なかなか見つからなければ…すごいイヤだけど、身売りでもしていけばなんとか食べていけるかな…)
そうっと音を立てないように大地之助が一歩踏み出そうとした時、気配を察した万次郎が目覚めて身を起こした。
「大地之助殿…どこへ行くのだ?」
大地之助はハッとして振り返った。
「あ…ごめんなさい、起こしちゃった」
「どこへ行くんだ?殿のところへ戻るのか?」
声は優しいものの、自分の問いかけにちゃんと答えない大地之助に、万次郎は緊迫した表情を浮かべている。
「万次郎さん、色々とありがとう。…殿のところへはもう戻らないよ。親戚のおじさん家へはお城の人が来て困らせちゃうかもしれないから、どこか別の場所へでも…」
万次郎はすぐさま立ち上がって、大地之助のそばへ近づいた。
「どこか別の場所って…君みたいな子供が一人でなど生活できないぞ!」
心配のあまり強い口調になってしまう万次郎に、大地之助は力なく笑った。
「それはそうだけど…どうにかなるよ。もし困ったら、身売りでも何でもするつもりだから…」
そう言いかけた大地之助を、万次郎は思わず抱きしめた。
「まっ…万次郎さんっ?」
大地之助は驚いて動けなかった。
万次郎は大地之助を抱きしめる腕に力を込めて、辛そうに呟いた。
「身売りだなどと…そんな悲しいこと、私がさせない!!」
万次郎は、先程かき消した大地之助への想いを、もう隠そうとしなかった。
自分の腕の中にいる少年の存在が本当に儚く感じられ、こうして抱きしめていないと霧のように消えてしまいそうな気がした。
「万次郎さ…」
大地之助が困惑して顔を上げる。
その時、万次郎は花びらのような大地之助の口唇に口づけた。
「……!!」
突然のことに驚いて大地之助は身を捩るが、万次郎は口唇を離そうとせず、大地之助の腰を強く引き寄せた。
急に怖ろしくなり、大地之助は頭を振って万次郎の口づけから逃れ、思わず叫んだ。
「いやっ…とのっ…殿っっ!!」
万次郎はびくりと肩を震わせ、大地之助から身体を離した。
大地之助は自分が殿を呼んでしまったことに驚いている。
もう信じることができなくなって、自ら離れていったのに。
1人で生きていく為に、男に身体を売ることも覚悟していたつもりだったのに。
殿に裏切られても、まだ自分は殿の存在を求めている。
それを思い知らされた気がして、大地之助は胸を鷲づかみにされたようだった。
震える手を口元へ持っていき視線をさまよわせている大地之助を、万次郎は正面から見据えて告げた。
「…殿のことなど、私が忘れさせてやる!!」
「あ…」
強く肩をつかまれ、大地之助は猛烈なめまいに襲われた。
万次郎の姿がぐにゃぐにゃと歪む。
なんとか気を確かにしようと思うのだが、万次郎の着物の胸元を掴んでいた手にも力が入らなくなって、大地之助はついに意識を失った。
「…おい、大地之助殿っ?」
自分の腕の中でぐったりと気絶している大地之助を見て、万次郎は焦った。
肩を揺さぶって何度も呼びかけるが、青い顔で目を覚ます気配がない。
その時万次郎は初めて、大地之助の身体が熱っぽいことに気づいた。
複数の男達に容赦なく嬲り者にされ、殿への不信感から心身共に参ってしまった大地之助を、万次郎は再度抱きしめた。
早く医者に見せねばと、大地之助を抱え上げようとした時、家臣の中条、田崎が洞穴に入ってきた。
「お前、こんなところで何をしている!」
「あっ…大地之助殿がっ!!」
中条はすぐさま万次郎の腕の中から大地之助を引き剥がした。
「殿ーーっっ!!いましたっ!大地之助殿が見つかりましたよーー!!」
雨の中、みのは着ているもののずぶ濡れになりながら大地之助を探しに来ていた殿は、田崎の声を聞いて慌てて駆けつけた。
「大地之助っっ!!!」
気を失っている大地之助を殿は抱き寄せる。
「だ…大地之助…」
ボロボロになっている大地之助を見て、殿は心が張り裂けそうだった。
大粒の涙がこぼれ落ちる。
「貴様確か、先日警護の仕事に就いた社万次郎だったな。こんなところで大地之助殿と2人きり、一体何をしようとしていた!!」
田崎の厳しい詰問に、万次郎は動揺を隠せない。
「ひっとらえろ!!」
中条の命令で、同様に大地之助を探索に来ていた江田と五代が万次郎を取り押さえる。
万次郎は大人しく2人に連行されていたが、殿と目が合ったとき初めて口を開いた。
「殿っ…!無礼を承知であえて言わせていただきますっ…。大地之助殿をこんなに苦しめて、あなたはどうお思いですか!!」
殿はビクリと身体を揺らせた。
「おい、殿に向かってなんという口を聞くのだ!!」
中条が叱りつけてもなお、万次郎は殿に向かって叫んだ。
「心から信頼し、愛している殿に裏切られて大地之助殿はひどく傷つき、もう行くところがないと…身売りまでしようと考えていたのですよ!!」
殿はそれを聞いて、グッと息を飲んだ。
「貴様…だまれっっ!!!」
「やめろ、斬るな!!」
江田が刀を抜こうとした時、殿がそれを制した。
万次郎は悲痛な声で続ける。
「大地之助殿に悲しい思いをさせて、そこまで追いつめたのは他でもない…あなただ!!」
万次郎に罵倒されて、殿は腕の中の大地之助に視線を移す。
目は泣き腫らして赤く、胸元には男達につけられた紫の点が無数についている。
襦袢は泥でひどく汚れており、身体は熱の為とても熱かった。
…万次郎の言うとおりだ。
自分のせいで大地之助は小さな胸を痛め、こんな姿になった。
ぽたぽたと殿の頬から涙が伝い落ち、大地之助の閉じられたまぶたを叩く。
「大地之助…っっ!すまない。本当に…すまないことをした…」
大地之助の肩をさすりながら何度も詫びる殿を見て、万次郎はもう何も言えなかった。
「おら、来いっ!」
黙りこんだ万次郎を、江田と五代は厳しい表情で連れて行った。
殿は気を失っている大地之助の頭を優しく撫でて、自らの腕に大事そうに抱いて城へと帰った。
