殿と大地之助 2
(うわ、すごい…!!)

 大地之助は、城の門の前で早くも圧倒されていた。

 城下町で育っていつもこの城を遠くから眺めていたが、こんなにも大きく威厳のあるものだったなんて。

 幾重にも重なる大きな門と、それに伴い何人もの門番がいかめしい武装をして立っている。

(き…緊張してきた…!)

 自然と顔が強張ってくる大地之助を見て、一緒に進んでいる侍が笑う。

「まあそう堅くなるな」

「は…はいっ」

 そう答えたものの、城の内部に入ると大地之助は見たこともないきらびやかな世界に一層身体が強張った。

 廊下や階段、障子などありとあらゆるものが綺麗に磨かれピカピカで、その上装飾がとても豪華だ。

 通されている間にすれ違う人達は皆大人ばかりで、羽織袴をきっちり着こなし、その振る舞いはとても凛々しい。

 大地之助は町人の恰好のままなので、なんだか場違いな気がして、小さな身体をより小さくさせた。

 大地之助を連れてきた侍2人がある部屋の前まで案内し、殿のお声が掛かるまでここで待っているよう指示してその場を離れた。



「ふぅ〜〜…」

 大地之助は1人きりになり、少々気を抜いて大きな溜息をついた。

 その部屋は20畳ほどの大きさで城の中では小さな方だったが、大地之助には充分広く感じられた。

 さりげなく置かれている掛け軸や壷はどれも高価そうで、大地之助のこれまでの生活には縁のなかったものばかりだ。

 そんなところに1人にされて、大地之助は正直な話、居心地が悪かった。

(今までは狭くても、家族みんなでワイワイ楽しく暮らしてたからな…)

 誰も見ていないのに礼儀正しく正座をして、今はいない家族の思い出に浸っていると、障子の向こうから声を掛ける者がいた。

「失礼」

 そう言って入ってきた者は、穏やかな表情をたたえる若い侍だった。

「は…はいっ」

 大地之助は背筋を伸ばしてその男を迎え入れる。

「…君がお小姓志願の大地之助殿か。殿は今お仕事でお忙しくてまだお会いすることができぬので、先に夕餉を食べるようにとの指示があった」

 そう言って侍は夕食を乗せた膳を運び、大地之助の前に置いた。

「…ありがとうございます…っ」

 大地之助は三つ指をついて礼を言った。

「ふふ…緊張しているようだな。私は殿の側近の1人で名は五代と言う。まあ気を遣わずに食べなさい」

「はい…」

 大地之助は目の前に並べられている食事を見つめた。これまた豪勢な内容で、大地之助はぐっと息を飲む。

 箸を持ち上げ食べようとしたが、極度の緊張に胸がいっぱいでなかなか食べられない。

 なにより、五代がニコニコと見つめているので、どうにもドキドキして箸が進まなかった。

「どうした?腹は減っておらぬのか?」

 問いかけてくる五代に、大地之助はおずおずと聞き返した。

「あの…五代さんは夕ご飯食べたのですか?」

「…私か?私は後で食べるのだが…どうしてだい?」

 不思議そうな顔をする五代に、大地之助は答えた。

「なんだか僕1人食べるのが悪い気がして…良かったら五代さんも一緒に食べませんか?」

 大地之助の思わぬ提案に、五代はクスクスと笑った。

「いや、私はいいよ。君とこうしている間は仕事中だし、何よりまだ腹が減っては…」

 そう言いかけていると、『ぐるるる…きゅ〜…』という妙な音が部屋に響いた。

 大地之助は「?」という表情を浮かべたが、五代が顔を赤らめているのを見て、その音源が五代の腹からのものだと分かりニコッと笑った。

「ご無理は言いませんが、五代さんが良ければぜひご一緒に食べましょう。ほら、1人で食べるより誰かと食べたほうがおいしいし」

 大地之助の微笑みはまるで花が咲いたように華やかで、五代は思わず見とれてしまった。

「…そうだな、大地之助殿の言う通りだ。ではお言葉に甘えてご一緒させて頂こう」

 五代は頬を紅潮させて自分の食事を取りに行き、部屋に戻って夕餉を2人で食べ始めた。



 大地之助はそうしているうちに少しずつ気持ちをほぐして、おいしい料理に舌鼓を打った。

 そして、殿のお小姓というのはどんなことをすればよいのか、五代に尋ねてみた。

「うむ、殿のお世話全般だな。着物を着せたり、お髭を剃ったり、ずっと殿について身の回りのこと全てをやるんだよ」

「身の回りのこと全て…もし殿が僕をお小姓にお選びになったら、僕にそんなことできるのかな…」

 不安そうに呟く大地之助に、五代は明るく言った。

「殿はすごくお優しい方だから、一から教えて下さるはずだよ。大地之助殿は、可愛らしくて利発そうだから、きっと殿も大事にしてくれるだろう」

 それを聞いて、大地之助は少し安心した。

 自分を連れてきた侍達や、目の前にいる五代は優しくて、このような人々の上にいる殿はきっと素晴らしい方のなのだろうと、まだ見ぬ殿を想像する。

 食事も終わり、たわいのない話をした後、大地之助は風呂に入るよう促された。

 連れて行かれる間に見た城の外は、もうすっかり日も暮れて真っ暗だ。

 城下町の明かりがぽつぽつと揺れていて、大地之助は綺麗だな…と感じた。

 風呂場も他の部屋と同様、広く大きい。

 総檜造りでドギマギしたが、殿と会う為大地之助は丹念に身を清めた。



 風呂から出て五代と2人長い廊下を歩いていると、家臣の1人が近づいてきて言った。

「殿はご準備が整っています。今からその童を向かわせてください」

「ああ、分かった。大地之助殿、殿にお会いしに行こう」

 五代にそう言われて、大地之助は心臓がドキンと大きく音を立てたのが分かった。

 湯上りで火照った身体が更に熱くなる。廊下を歩く脚が緊張で震えてしまっていた。

 そして、2人は殿のいる部屋の前まで来ると、他の側近に言われるまま中に入っていった。

 障子が幾重にも張り巡らされ、仕切られた部屋の一つ一つが他の部屋と比べものにならない程きらびやかで、さすが殿様の部屋、といった感じだ。

 最後の障子の前で、五代は座って頭を下げる。

 どうやらこの向こうに江戸城、そしてこの国の主がいるようだ。

 大地之助も五代に倣い、慌てて座りお辞儀をした。

「殿、お小姓志願の大地之助が参りました。御目文字お願いいたします」

「ああ、待っておったぞ。入りなさい」

 穏やかな声にそう言われて、大地之助の鼓動はうるさいくらい早鐘を打った。

 身体の前についてある手が震えている。

 家臣たちが障子をすっと開けた。

「おもてを上げなさい」

 大地之助はゆっくりと顔を上げた。

 初めて目にした殿は、品の良い穏やかな佇まいで、家臣達や町の噂で聞くように優しそうな人物だった。

 綺麗に結った髪は半分ほど白髪で、丸顔に刻まれる柔らかなしわを見ると、歳は大地之助の父親やおじさんよりは10ばかり上の50歳前ぐらいだろうか。

 殿は大地之助を見て、幾分驚いたような表情を浮かべ、赤くなった。

(僕…なんかヘンだったかな)

 そんな殿の様子に一層緊張感を増してしまう大地之助。

 殿は口を開いた。

「歳はいくつだい?」

「じゅっ…11歳でございます」

 直接声を掛けられて、上ずった声で大地之助は答えた。

「11か…君のご家族の話は聞いたよ。そんな幼い頃に独りぼっちになって、さぞや辛い思いをしただろうな」

 大地之助はそれを聞いて涙ぐんだ。

 一国一城の主が、たかだか町人の子供である自分の身の上を思ってくれている。

 その優しさに、大地之助は感謝した。

「お殿様、もったいない程のあたたかいお言葉、どうもありがとうございます。たった1人残されて大層不安でしたが、もしお殿様が僕をお小姓として

迎えてくださるのであれば、精一杯お仕えしたいと思っております。それが僕ができる、両親や弟に対するせめてものご恩返しだと思っております…!」

 大地之助はそう言って再び深々と頭を下げた。

 殿は無言で何度かうなずき、あたたかい笑みを浮かべて言った。

「大地之助、お前は優しい子だな。よし決めた。お前を私のお小姓として迎えよう」

 大地之助はパッと顔を上げた。

 殿と目が合い、笑い掛けられる。

「あ…ありがとうございます。僕、頑張ります!よろしくお願いいたします!!」

 殿の笑みにつられて大地之助も笑顔になった。そのあまりの可愛らしさに殿はまた赤面している。

 五代をはじめ、その場にいた家臣たちも皆大地之助がお小姓になったことを微笑ましく見守っていた。

「では大地之助、お小姓としてこれからどのようにすれば良いのか話をするから近ぅ寄りなさい」

 大地之助は殿に手招きされて、うやうやしく殿のそばの座布団に座った。

「私たちはこれで…」

 家臣たちはそう言って2人を部屋に残し、障子を閉めた。