殿と大地之助 4
「殿ー、起きてください、朝ですよーー?」

 大地之助の元気な声に、殿は目を開けた。

 目の前でニコニコと微笑む大地之助につられて、殿も笑った。

「大地之助、おはよう」

「おはようございますっ。今日はすごく天気が良くって気持ちいいですよ!」

 そう言って部屋の窓を開ける大地之助は、朝の陽光に負けないくらいきらきらと光って見えた。

 殿は眩しそうに目を薄める。

「今日のお召し物、ご用意させていただきました」

 差し出された着物に着替えようと、殿が立ち上がる。

「大地之助、お前は朝からずいぶんと元気がいいな」

 クスクス笑って帯を解く殿に、大地之助は照れながら答えた。

「へへ…僕のとりえはこれだけですから。頑張ってお仕えさせていただきます!」

 着付けに取りかかった大地之助は、そう言ったものの人に着物を着せるのは初めてなので、かなり手間取った。

 着付けの相手が殿様というのも緊張を誘って、手元がおぼつかなくなる。

「あ…あれ?」

 上手くできずに焦る大地之助に、殿は機嫌良く一つ一つ丁寧に教えていく。

「最初はこの着物で、次はこれだ。そして帯を締めて、羽織だな」

 ほとんど大地之助より殿の手で着付けが終わった。

「すみません…」

 少し落ち込む大地之助に、殿は優しく声を掛けた。

「最初はみんなこうなんだ。気にすることはない。元気がとりえなんだろ、大地之助?」

 大地之助はそう言われて、パーッと表情を明るくさせた。

「はいっ!次はお髭をお剃りしますね!!」

 忙しそうに準備する大地之助を見ながら、殿は顔をほころばせた。



 その日から大地之助はお小姓として精一杯働いた。

 殿は自分に対して敬語を使わなくても良いと言ってくれた。堅苦しいことがいやなのと、大地之助には遠慮せずに接してほしいと思ったからだ。

 最初は恐れ多いと思っていた大地之助だったが、その方がより殿と親しくなれるようで言われた通りにすることにした。

 大地之助は、殿の家臣たちにもすこぶる評判が良かった。

 殿のお気に入りということに対して決して尊大にならず、誰に接する時も明るく素直だった。

 むさ苦しい男たちの中に可愛らしい少年がたった一人いることで、こんなにも心洗われるものかと城の誰もが大地之助のことが好きだった。

 とりわけ殿の側近中の側近、家臣長の中条、それに続く江田、田崎、五代の4人は『大地之助親衛隊』と言っても過言ではないほどの熱狂ぶりで、

殿のお小姓仕事を懸命にこなす大地之助を嬉しそうに助けていた。



 そんな中、城下町で暮らす大地之助のおじさん夫婦の元に、城からたくさんの貢ぎ物が届けられた。

 使者によると、大地之助は殿に大層気に入られ、お小姓として元気に頑張っていると言う。

 忙しい合間を縫って書かれたであろう大地之助の文には、下手なりに一生懸命書いた文字がつらねられていた。

『おじさん、おばさん、それにみんな、元気ですか。

 僕はお優しい殿の元、元気に働いています。

 お城の人はみんな良い人ばかりなので心配しないでね。

 殿が僕の身の上を聞いて、おじさん達に是非にと贈り物を色々ご用意くださったので、お受け取りください。着物や食べ物、その他食器やお金などです。

 また何かあればいつでも言ってきてくれと殿がおっしゃっていたので、遠慮せずに申し出てくださいね。

 僕はいつもみんなのことを想っています。それでは』

 子供たちはみんな物珍しそうに、貢ぎ物を見て喜んでいる。

 その手紙を読みながら、おじさんは熱くなる目頭を押さえた。

「大地之助…私達のことを気遣って…」

 奥さんも隣でぐずっと鼻をすすっている。

「本当にいい子ね、大地之助は…。あの子だったら殿もお気に召されるでしょうと思っていたけど、大事にされているみたいで良かったわ…」

「ああ、貢ぎ物もありがたいけどそれが一番嬉しいよ。大樹衛門や美恵さん、大空衛門も天国で喜んでいるにちがいない」

 そう言って、2人は丘の上にそびえる城に深く頭を下げた。



 大地之助は、優しい殿にだんだんと魅かれはじめていた。

 この気持ちが一体どういうものなのか分からなかったが、殿と一緒にいるだけで胸が高鳴り、落ち着かない。

 こんなことでは仕事にならないと気を取り直すのだが、いざ殿を前にすると平常心ではいられないのだ。

 自分が殿のことを好きだというのは自覚していたが、同じ好きでも家族やおじさん達に対する想いとはまた少し違うような気がする。

 最初の夜以来、殿は大地之助に『契り』の行為を持ちかけることはなかった。

 一緒の布団で抱きしめあって朝を迎える。

 きっと大地之助のことを思いやって殿はそうしているのだろうが、大地之助は今なら殿にあの続きをされても構わないと思い出していた。

 だがなかなか自分から言い出せずに、ドキドキする胸を押さえて殿とただ床を共にするだけの日々が過ぎていった。



 そしてある朝のこと。

 大地之助が着物を出し、殿の着付けが始まる。

 殿はいつものように手伝おうと手を出したが、大地之助が明るく言った。

「待って、殿。今日は殿のお助けなしで、僕1人で着付けさせて」

「あ…ああ、いいが…」

 殿は素直に大地之助の言うことに従った。

 着付けというのはお小姓の数ある仕事の中でも難易度が高いものだ。

 衿の出し方や高さ、帯の締め方等全体の均整を取った上で、殿の着方の好みというものを考えねばならない。

 もともと手先は器用な大地之助だったが、人の着物を着せるというのはそう簡単にはいかず、この城へ来て2週間ほど経ってはいたが、

上手くいかずにいつも殿に手伝ってもらっていた。

 大地之助は殿にお手間を取らせたくないとの思いで、今回こんなことを言い出したのだ。



「んっと…んしょっ」

 真剣な表情で着付けていく大地之助。

 速度ははっきり言って遅いのだが、いままでの着付けで覚えた殿の着方をちゃんと考慮して、一つ一つ的確に着せていく。

 一生懸命に帯を締めている大地之助を見下ろして、殿は胸がキュン…と締め付けられた。

「はい、できました!」

 羽織の留めを綺麗に結んで、大地之助は笑顔で立ち上がった。

「どう、殿?苦しいところはない?」

 殿の前に鏡を持っていき、確認してもらう大地之助。

 殿の後ろに回ったり、帯を触って全体の均整を見る大地之助を鏡越しに見て、殿は優しく言った。

「ああ、完璧だよ。すごく綺麗に着付けてくれたな。ありがとう、大地之助」

 頭を撫でられて、大地之助は無邪気に喜んだ。

「やったぁ!!僕、お仕事の合間に練習してたんだー。頭の中でもずっと着付けの順番考えてて…だから嬉しい!」

 手を叩いてぴょんぴょん跳ねる大地之助を、殿はたまらず抱き寄せた。

「…殿…?」

 突然の抱擁に、大地之助の心臓がドクンと大きく音を立てた。

 殿は大地之助を抱きしめる腕に力を込めて、囁いた。

「大地之助…私は大地之助が愛おしい…」

 ドキン…ドキン…殿の胸から鼓動が聞こえる。

 同様に大地之助の鼓動も高鳴り、2人で一つの大きな心臓になったような錯覚を引き起こす。

「僕も殿のこと…」

 頬を真っ赤にさせて見上げる大地之助に、殿はそっと口づけた。

「……っ」

 目まいにも似た陶酔が大地之助を襲う。

 自分でも良く分からなかった殿に対する気持ち…これが『愛おしい』というものだったのか。

 そして殿も同じように自分に対しそう思ってくれている…。

 大地之助は殿と舌を絡め合いながら、心の中が幸福感で満ちていくのが分かった。

 殿の方も、自分の『殿様』という立場ではない、自分自身を慕ってくれる大地之助にそう言われて、たまらなく嬉しかった。

 自分は元気だけがとりえだと大地之助は言っていたが、それだけではない。

 明るく素直で無邪気に笑う大地之助の存在そのものが、純粋に愛おしかった。

 いてくれるだけで心が安らぐのだ。

 2人がお互いを求めて深く口づけあっていると、廊下から中条の声がした。

「朝餉を持ってまいりました」

 殿と大地之助はハッとして目を開き、身体を離した。

「あ…ああ、入れ」

 殿は真っ赤になって中条を迎えた。大地之助も頬に手を当てて熱を帯びた顔を冷やしている。

 そんな2人の様子を気にすることもなく、膳を運び入れる家臣達に殿は自慢げに言った。

「今日は大地之助1人で着物を着付けてくれたんだぞ?すごいだろう」

 中条や江田達は感心した様子で殿と大地之助を見る。

「ほお〜!大地之助殿、頑張ったでござるな!!」

「品よく着付けられていて、殿の凛々しさが見事に出ておられる」

 大地之助は褒められて頭をかいた。

「へへ…ありがとう」

 2人はドキドキする胸を押さえて、仲良く朝餉を食べた。